THE FLUTE 150号 Special Contents

知って楽しむ フルートの歴史 ♪ダイジェスト♪

本誌150号では記念拡大号にふさわしく、フルートという楽器の歴史をいまいちどふり返り、その変遷をたどる“タイムスリップの旅”のような特集を組んでいます。
前半は、トラヴェルソ奏者の前田りり子さんをナビゲーターに迎え、ルネッサンス・バロック時代を皮切りに現代のフルートをかたちづくったベーム式フルートが誕生するまでを案内しています。
後半は、フルート製作者の秋山好輝氏による、ルイ・ロットフルートにまつわる系譜のお話です。ベーム式フルートの誕生とともに始まったルイ・ロットフルート(そして同時代に隆盛をきわめた“オールドフルート”の数々)のたどった道のり、それに魅せられたフルート職人としての歩み……など、歴史の中のフルートと、それにまつわる人々の人生が交差するとても興味深い物語が語られています。

ここでは、ダイジェスト版として17世紀ルネッサンスからルイ・ロットまで、時代を軸にフルートという楽器の移り変わりをたどっていきたいと思います。さまざまな時代背景や、関係する人々も巻き込みながら進むフルートの歴史の“小旅行”へ——。

17世紀初め、フルート「不遇」の時代

17世紀初頭のバロック時代、オペラの登場や華やかな器楽曲が隆盛をきわめる中で、ピッチの調節ができず半音を出すのも苦手、おまけに音量も小さかったルネサンス・フルートは、次第に顧みられなくなりました。そしてついには、この時期にいったん姿を消すに至ります。

ルイ・ロットフルート

▲ルネサンス・フルート。上から6本目までバス・フルート、7本目以降がテナー・フルート。バスは2分割になっていたがテナーは1本の木から作られ分割できなかったため、ピッチが変えられなかった

分割されて蘇ったフルート

その後、フルートが再び登場するのは1660年代のこと。以前のものに比べ、3つの改良が加えられました。
1つ目は、楽器が3分割されてピッチが変えられるようになったこと。これにより、アンサンブルの幅が広がっていくことになります。
2つ目は、頭部管以外の内径を円錐形(頭部管から足部管に向かって次第に細くなる)にしたこと。これによってオクターブの運指が同じになり、音色は少々メランコリックな暗い感じのものになりましたが、フランスの貴族にはとても人気が出たそうです。
3つ目は、新たに7番目の指孔が開けられ、そこにキィが付いて足部管が本体から分離したこと。このキィは右手小指で押すと穴が開くシーソー形のもので、この形態から「1鍵式フルート」とも呼ばれています。このキィのおかげで、ルネサンス・フルートには最も出しにくかった半音D#(E♭)が容易に出せるようになりました。

オトテールフルート

▲オトテールフルート(パリ楽器博物館所蔵)。3分割になり、小指で押さえるキィが付けられた

バッハ、ヘンデル…時代は4分割

さらに、1720年代頃には4分割フルートが登場しました。左手管の長さを変えることができる“替え管”が付属していて、3分割のものよりもさらに多様なピッチの違いに対応できるようになったのです。小指で押さえるキィが付いているところは3分割のときのものと一緒ですが、J.S.バッハやヘンデルなど、盛期のバロック音楽に使われたのもこの「4分割1鍵式フルート」でした。
音色は今までのものより少し明るくなり、テンポの速い曲を軽やかに吹けるようにもなりました。

J.S.バッハ、ヘンデル フルートソナタ

▲J.S.バッハ、ヘンデル フルートソナタ

4分割フルート

▲18世紀前半にブリュッセルに工房があった、I.H.ロッテンブルグのフルートと替え管。4分割1鍵式になっている

キィが増えたら……

18世紀半ばから19世紀前半になると、より多くの調に対応できるよう、不安定な半音や高音域の出しにくさなどを改善するために、新たなトーンホールを設け、これを開閉するキィを付け加えたフルートが登場しました。
モーツァルトの『フルートとハープのための協奏曲』は、6鍵式フルートのために書かれました。
19世紀の初めには、中高音ドのためのキィが付けられるようになり、12音すべての音に対応する穴が開けられた8鍵式フルートが誕生しました。これらにより出せる音量や音域の幅は広がっていきましたが、様々なバリエーションのキィシステムが存在したため、操作法が統一されず運指も複雑になるといったことも起こりました。

モーツァルト『フルートとハープのための協奏曲』

▲モーツァルト『フルートとハープのための協奏曲』

8鍵式フルート

▲19世紀初めのロンドンで多鍵式フルートを作ったW.H.ポッターの8鍵式フルート

本誌では、さまざまな多鍵式フルートの写真を掲載しています。ぜひご覧ください!

ベーム登場!

1820年頃から活躍していたイギリス人フルート奏者C. ニコルソンは、その手の大きさと卓越した技術によって通常よりも大きな指孔の楽器を演奏していました。ドイツ人フルート奏者で製作者でもあったテオバルト・ベームは、1831年にロンドンでニコルソンの演奏を聴き、その音量の大きさに衝撃を受けました。そして、これを機に本格的なフルートの改良を手がけるようになります。
翌1832年に、ベームは従来よりも指孔と歌口の大きな楽器を発表しました。これは、現在のフルートにかなり近い形状になっています。
ベーム式フルートは、最初にフランスでその優秀性が認められ、次いでイギリスでも使われるようになりました。が、発祥の地であるドイツでは、20世紀に入るまで受け入れられませんでした。旧来のフルートと運指や演奏法があまりに異なるという点で、保守的なドイツでは普及するのに時間が必要だったようです。

1832年式ベーム・フルートは、こんな楽器だった……詳細は本誌でお楽しみいただけます!

現代につながるフルートの登場

その後、1847年にベームは銀を材質とし、すべての穴にカバーをつけた画期的なフルートを発表します。この1847年式ベーム・フルートこそ、現代の私たちが吹いているフルートの原型でした。実際、ブリチャルディ・キィがないこと、G#キィが開鍵式であること以外、現代のフルートとほとんど同じです。
このベームによる1847年型フルートから、フルートの歴史は新たな一歩を踏み出したのです。

1849ベーム円筒型銀製フルート

▲1849年のベーム作円筒型銀製フルート。リッププレートは金製

ルイ・ロット

▲ルイ・ロット作 1847年式フルート(1857年制作)

ここまで駆け足でご紹介してきた、フルートの歴史。THE FLUTE 150号では、さらに深く掘り下げたフルートの変遷を、さまざまな写真とともにお読みいただけます!

この後は、 その後のベーム式フルートを受け継いだいくつかの工房のうち、フランスで1900年代半ばまで代々続いたルイ・ロット工房とそこで作り出されたフルートについて、フルート製作者・秋山好輝氏が本誌からのこぼれ話をそっと教えてくれます——。

1   |   2      次へ>      


フルート奏者カバーストーリー