THE FLUTE vol.167

特別企画 万能の巨人! テオバルト・ベーム

ベーム式フルートが発明されていなかったら、今日のような多くのフルーティストたちの活躍もなかった―。テオバルト・ベームがベーム式フルートの特許を取得した1847年は、日本では江戸時代末期。それから170年余の今なお、当時の完成形からフルートは基本的に変わっていない。そんな現在のフルートの生みの親であるテオバルト・ベームを、1994年発行のTHE FLUTE11号「万能の巨人! テオバルト・ベーム」にて大特集した。ベーム式フルート完成から日本では4つの時代を迎え、平成も末期となった。この節目に、もう一度当時の内容をふり返り、あらためてフルーティストの“父”テオバルト・ベームの偉業に思いを馳せてみたい。(以下、本文はすべてTHE FLUTE11号より抜粋、一部改変)

 

ベームは本当にファンタスティックな人物でした!
クローズアップインタビュー:ウィリアム・ベネット ベームを語るより
インタビュー:中川紅子

新しいフルートのシステムに気がついたベーム

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フルートの演奏家として、ベームのことをどう思われますか?
ベネット(以下B)
彼は本当に偉大な人物だと思います。彼の時代までのフルートはトーンホールが6つで、全音階スケールで1オクターブの中に7音しか出せなかったのです。トーンホールの大きさもそれぞれ違っていました。また、たとえば当時のフルートだと、Aの音を出すとき、Aから下のトーンホールをいくつかふさがないといけなく、そのために共鳴が妨げられていたのです。トーンホールをできるだけ大きくし、不必要にふさがなくてもよくしたのがベームの改良でした。それまで誰も試みることすらなかったのですが、実はこのアイデアはそれほど難しいものではなかったと思います。それに当時の楽器では容易に転調もできませんでした。
ベームが新しいフルートのシステムに気がついたのはロンドンに来た折、チャールズ・ニコルソンという人の演奏を聞いたときのことでした。ニコルソンは6つ穴でキィが8つついた古いシステムのフルートを演奏していましたが、当時のフルートに比べてトーンホールをできる限り大きくしていました。当時トーンホールを大きくすることは大変難しいことだったのです。なぜなら小さなトーンホールのほうが半音が出しやすかったからです。音程はあまり良いものではありませんでしたが、例えばGisの音を出すのに、いろいろな穴を開けたりふさいだりしていたので、Gisの音程はとんでもなかったのです。Gisキィが発明されてAとのバランスが良くなったものの、どちらもまあまあというところでした。
ところがニコルソンは大きなトーンホールの楽器で、速いパッセージではクロスフィンガーを使うことはできなかったのですが、技巧にたけ大きな素晴らしい音で演奏していたのです。この演奏を聞いて、ベームは大きなトーンホールを採用し、それを不必要にふさがなくても良いシステムを作ろうと考えたわけです。だからベーム式フルートのアイデアの発祥の地はロンドンなんですよ。たぶんね(笑)。
――
ベネットさんご自身も、フルートの音程や音色の改善に取り組んでいらっしゃいますね。
B
やってはいますが、あくまでも従来の事柄だけです。ベームの発明のような新しいことではありませんよ。  彼は本当にファンタスティック! 素晴らしい発明をしました。またいろいろな良い曲も書いていますが、それは彼のまた違った素晴らしい一面です。  その後、ベーム式フルートを作る権利をルイ・ロットとゴットフロイという優れたフランスのフルートメーカーが買い取り、製作を始めたのです。

ベームは作曲家としてもとても興味深い作品を残している

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ところで、いくつかのアルバムでベームの曲を取り上げていらっしゃいますね。
B
そうですね。その中の一曲『グランポロネーズ』についてお話ししましょうか。この曲はライブでも演奏していますし、例えば1980年ミュンヘンでのベーム記念演奏会でも吹きました。それにフルートと木管8重奏にアレンジされた演奏のレコーディングでも出しています。
――
どんなところが気に入って選ばれたのですか?
B
この曲は、デトロイトのコンサートでとてもうまく演奏できたのですが、たまたまレコーディングもしていたので発売することになりました。
もちろん、以前からこの曲は知っていました。モイーズ先生がボスヴィルで教えているのを聞いたこともあります。とてもすてきで、また興味深い曲です。それでロンドンでのコンサートに入れてみようと練習を始めました。
この曲は1831年にベーム自身もロンドンでオーケストラと一緒に演奏しています。
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