躍動するサックス史70年|THE SAX 70号

ジャズ・サックス70年の歩み

今年2015年は戦後70年という節目の年にあたる。 終戦の焼け野原から目覚ましい復興を遂げた日本の歩みは、今さら語るまでもないだろう。 そして、奇しくもあのSF映画の名作「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2」で描かれた未来の舞台も2015年。そこでTHE SAX 70号と次号の2回に亘って、戦後日本と同様に70年の間に大きな発展を遂げてきた日本のサクソフォン界が歩んだ道のりを辿り、前編となる70号本誌では、特にその黎明期にスポットを当てて振り返った。

 

ジャズ・サックス70年の歩み

同じ楽器でありながら別々の道を歩んできた、クラシック・シーンとジャズ・シーン。THE SAX 70号では、それぞれの歴史に目を向けてみた。ここでは、戦後70年の間に多くのスターを生み出してきたジャズシーンから、一部を紹介しよう。

 

■前野港造
日本ジャズ・サックスの開祖とされる。1912年から7年間、何度もサンフランシスコ行きの船で演奏した。残された音源にCD「大大阪ジャズ1924~1941」(ぐらもくらぶG-10006)がある。。

■ニュー・パシフィック・バンド結成
一部の腕利きによって1945年に結成された、新太平洋楽団(ニュー・パシフィック・バンド)。 サックス・セクションには、松本 伸、芦田 満、多田 修、レイモンド・コンデなどが出入りした。

■空前のジャズブーム到来
50年代初頭には、新生代が次々と登場。与田輝雄、厚母雄次郎、松本英彦、宮沢 昭、海老原啓一郎、五十嵐明要など。宇都宮から上京してきた渡辺貞夫は、五十嵐のプレイに感激し、アルトを購入。56年には「スイングジャーナル」人気投票ベスト5に初めて登場。原信夫は当時、シャープスアンドフラッツの前身である進駐軍クラブのバンド、ムーンライトでテナーを吹き、リーダーに就任。活動場所を横浜から品川に移したことを機にバンド名を改名。多くの有名ジャズマンたちと競演する。60年代にかけては、芦田ヤスシ、西条孝之介、原田忠幸、尾田 悟、杉原 淳、古谷 充、稲垣次郎、村岡 建 たちも頭角を現した。

■渡辺貞夫の影響
1962年にバークリー音楽院留学のために渡米した渡辺貞夫が65年11月に帰国。多くのプレイヤーに影響を与えた。アルトでは大友義雄、土岐英史、沢井原兒、本多俊之、渡辺と同じくバークリー音楽院出身の大森 明、MALTA、本田雅人など。テナーでは、山口真文、峰 厚介、植松孝夫、高橋知己、清水靖晃、佐藤達哉など、サックスプレイヤーの層がさらに厚くなった。

■フリー・ジャズシーン
一方で、フリー・ジャズシーンでも次々とジャズサックスの可能性は広がっていた。富樫雅彦のバンドでは、高木元輝や藤川義明、高柳昌行のバンドでは阿部 薫や森 剣治、山下洋輔のバンドでは中村誠一や坂田 明や武田和命、林栄一などが大活躍した。その他、梅津和時や片山広明や松風鉱一、井上敬三、篠田昌已なども活躍した。

 

 

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