サックス記事 ダニー・マッキャスリン N.Y. ジャズの現在をリードする話題のサックス・プレイヤー
THE SAX vol.82 Cover Story

ダニー・マッキャスリン N.Y. ジャズの現在をリードする話題のサックス・プレイヤー

デヴィッド・ボウイの遺作となった「★(ブラックスター)」が、今年2月に発表されたグラミー賞2017の5部門で受賞したことは記憶に新しいだろう。このアルバムは、盟友トニー・ヴィスコンティによるプロデュースで、デヴィッド・ボウイ69歳の誕生日(2016年1月8日)に発売された。注目すべきは、この作品には、新世代ジャズシーンを牽引するアーティストたちが参加していること。その主要メンバーの一人が、サックス奏者ダニー・マッキャスリンだ。

ダニー・マッキャスリンは、1966年米カリフォルニア州サンタ・クルーズ生まれ。音楽に傾倒した父親の影響で、幼い頃からジャズに興味を持つ。12歳の時にテナーサックスを始め、ジャズ系の授業で有名な高校に入学すると自分のバンドを組み、3年連続でモントレー・ジャズ・フェスティバルに参加。またサンタ・クルーズの非営利ジャズ教育機関で多くの時間を過ごす。1984年バークリー音楽大学に入学すると、ゲイリー・バートン、ジョージ・カゾーンらに師事する。1991年NY移住後は、エディ・ゴメスのバンドに参加、またゴメスの紹介でマイケル・ブレッカーの後任としてステップス・アヘッドに加入。2000年代前半には、それまでエキストラ参加だったマリア・シュナイダーのオーケストラにレギュラーとして加わる。

リーダー作として、1997年から2015年にかけて12枚のアルバムをリリースしている。中でも2016年9月にリリースした自身のカルテットでボウイに捧げたアルバム「ビヨンド・ナウ」は、ジャズシーンのみならずロックファンの間でも 話題となり、脚光を浴びる。

そんなダニーが、「★」にも参加した自身のバンドを引き連れて、2月に来日公演を果たした。多忙なスケジュールの中、バークリー時代からの友人である三木俊雄氏によるインタビューが実現した。久しぶりの再会に話は尽きず、笑顔にあふれた時間となった。
(取材協力:ブルーノート東京 / インパートメン ト / インタビュア・翻訳:三木俊雄)


今から30年前のこと。
バークリーで初めて彼の演奏を観たときの衝撃はいまだに忘れられない。あのときは「自分が夢を見ているか、彼が手品をやっているかどちらかに違いない」と思った。彼はポスト マイケル・ブレッカーの最右翼と目されていて「その筋」では高い評価を受けるも、その活動は必ずしもそれに相応しい注目を集めたわけではなかった。その彼が遂に自己のグループを率いて満員のブルーノート東京にやって来た。

三木
お久しぶり、素晴らしいステージでした。あなたは僕にとってバークリー時代の「神」だったので、こうやってリーダーとしてブルーノートのステージを観ることができたのが凄く嬉しいよ。
Donny
アハハ、それはどうもありがとう。僕も本当に嬉しいよ。
三木
今日は日本の読者、特にサックス・プレイヤーにもっとあなたのことを知ってもらいたいと思うので、まず音楽的な背景から聞かせてくれるかな。
Donny
OK。僕が育ったのはカリフォルニアのサンタ・クルーズで父はピアノとヴァイブを演奏するジャズミュージシャンだった。街のショッピングモールで毎週演奏していて、小さい時からよくバンド脇の椅子に座って聴いていたんだよ。そのバンドのテナー・プレイヤーは、いわゆる70年代のヒッピースタイルでカリスマ性があったんだ。髭を生やしタイダイ (※tie dye=絞り染め) のTシャツを着てサックスのベルを灰皿にしてるような。わかるだろう?当時はそういうのが凄くクールに見えたんだ。いま考えたらゾッとするけどね(笑)。それで僕もテナーを始めた。12歳の時だ。
三木
それまで例えばピアノとかは習っていなかったの?
Donny
いや、父からもずいぶん勧められたんだけど、僕はどういうわけか興味がなかったんだ。
それからテナーのレッスンを受けるようになったんだけど、たまたま進学したハイスクールにとても素晴らしいジャズのビッグバンド・プログラムがあってね。当時普通は手に入らなかったデューク・エリントン・オーケストラのスコアを持っていた。僕はそのバンドで非常に多くを学び、経験したよ。
サンタ・クルーズはサンフランシスコから車で1時間半ちょっとのところで、大都会のサンフランシスコでコンサートをしたミュージシャンが立ち寄って小さいギグをするような街だった。そこでエルビン・ジョーンズのグループでパット・ラバーベラ、ソニー・フォーチュン、ブレッカーブラザーズ、デイブ・リーブマンなどたくさんのテナー・プレイヤーを間近に観ることができた。素晴らしい経験だったよ。
三木
僕のイメージでは西海岸といえばスパイロジャイラやケニー・Gなんかのフュージョンが盛んだと思っていたんだけど......。
Donny
うーん、おそらくサンタ・クルーズという街も、また僕を取り巻く環境もいわゆる西海岸を代表するようなものではなかったと思う。ベイエリア・ファンクのタワー・オブ・パワーなんかは大好きだったけどね。
ウェストコースト・ジャズといえばチェット・ベイカー、ジェリー・マリガンなんかが有名だけど、僕はジョン・コルトレーンみたいなハードコアなジャズが好きだったんだ。
ダニー・マッキャスリン

Profile
Donny McCaslin (ダニー・マッキャスリン)

1966年8月11日アメリカ、カリフォルニア生まれのサックス奏者。ジャズシーンの最前線にいながらクロス・ジャンルで新たな地平を目指す鬼才。高校時代からジャズを学び、その後バークリー音楽大学に進む。90年代になるとマイケル・ブレッカーの後任としてステップス・アヘッドに参加。その後も様々なアーティストたちのサイドマンとして活躍を始める。2000年代になるとマリア・シュナイダー・オーケストラでも活動し、その人脈で知り合ったデヴィッド・ボウイと「★」で共演、世界的な注目を集めた。「★」で第59回グラミー賞(ベスト・ロック・パフォーマンス)を受賞したときには亡きデヴィッド・ボウイの代わりに受賞スピーチを行なった。
https://www.youtube.com/watch?v=vrUu418i8MQ(94号プロフィールより)

三木俊雄(みきとしお)

Interviewer
三木 俊雄(みき としお)
1963年大阪府生まれ。関西大学卒業。バークリー音楽大学卒業。1996年より自己の率いる「フロントページ・オーケストラ」の活動を続け、2004年に「ハーモニー・オブ・ザ・ソウル」、2013年に「STOP&GO」をリリース。ジャズシーンのみならずDOUBLE、押尾コータロー等とのコラボアルバムも手掛けるほか、小曽根真率いるNo Name Horsesのメンバーとして国内外のコンサートに出演、アルバムごとに楽曲を提供する。スイング・ジャーナル誌人気投票において、テナーサックス部門第3位、コンポーザー・アレンジャー部門第5位、ビッグバンド部門においてフロントページ・オーケストラが第6位を獲得している。尚美学園大学芸術情報学部音楽表現学科 非常勤講師。

 


CD Information

「ビヨンド・ナウ」 ダニー・マッキャスリン
 
「ビヨンド・ナウ」ダニー・マッキャスリン
【AGIP-3583】AGATE / Inpartmaint Inc.

[曲目]Shake Loose、A Small Plot of Land、Beyond Now、Coelacanth 1、Bright Abyss、FACEPLANT、Warszawa、Glory、Remain

[演奏]Donny McCaslin、Jason Lindner、Tim Lefebvre、Mark Guiliana、Jeff Taylor、David Binney、Nate Wood


次ページにインタビュー続く

登場するアーティスト
画像

ダニー・マッキャスリン
Donny McCaslin

ダニー・マッキャスリンは、1966年米カリフォルニア州サンタ・クルーズ生まれ。音楽に傾倒した父親の影響で、幼い頃からジャズに興味を持つ。12歳の時にテナーサックスを始め、ジャズ系の授業で有名な高校に入学すると自分のバンドを組み、3年連続でモントレー・ジャズ・フェスティバルに参加。またサンタ・クルーズの非営利ジャズ教育機関で多くの時間を過ごす。1984年バークリー音楽大学に入学すると、ゲイリー・バートン、ジョージ・カゾーンらに師事する。1991年NY移住後は、エディ・ゴメスのバンドに参加、またゴメスの紹介でマイケル・ブレッカーの後任としてステップス・アヘッドに加入。2000年代前半には、それまでエキストラ参加だったマリア・シュナイダーのオーケストラにレギュラーとし加わる。リーダーしている。中でも2016年9月にリリースした自身のカルテットでボウイに捧げたアルバム「ビヨンド・ナウ」は、ジャズシーンのみならずロックファンの間でも話題となり、脚光を浴びる。「★」で第59回グラミー賞(ベスト・ロック・パフォーマンス)を受賞したときには亡きデヴィッド・ボウイの代わりに受賞スピーチを行なった。

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