追悼:70年ものキャリアを歩んだジャズ偉人

ウェイン・ショーターの軌跡

©︎Robert Ascroft

1950年代にシーンに現れ、アート・ブレイキーやマイルス・デイヴィスといったモダンジャズの創造者たちと交流しながら60年代中盤からは新主流派の旗頭としてトップを走り、70年代後半からはウェザー・リポートの一員として世界的フュージョン大ブームにも貢献。その後も20世紀と21世紀を股に掛け、常にジャズ・シーンの頂点に君臨したウェイン・ショーターが去る3月2日に惜しまれつつこの世を去った。
その長く幅広いキャリアで音楽界に遺した功績は計り知れないものがある。ジャズ巨人の死を悼みつつ、その大きな足跡を辿ろう。
(文:原田和典)

History of SHORTER

この2023年ほど世代交代を痛感させる一年はない。音楽界に関しても連日のように誰かが亡くなっているが、「そういう時期に来てしまったんだろう」と思ってはいても、訃報を受けるたびにショックは広がるばかり、ちっとも心が癒えない。
計12度のグラミー賞に輝くサックス奏者/作曲家のウェイン・ショーターが、3月2日にロサンゼルスの病院で他界した。日本で報じられたのは3日の朝早くだったと記憶する。享年89であるから、たとえば彼が若き日に交流したジョン・コルトレーンが享年40だったことなどを考えるとずいぶんボリュームのある生涯だったのではとも思うわけだが、筆者は心のどこかでショーターに何かを超越したような生命体であるような、寿命という概念とは関係ないところで活動が営まれているような印象を持っていた。2018年に演奏活動から退いた後も、エスペランサ・スポルディングとの共作楽曲『Iphigenia』の発表などで活動ぶりは伝わっていたこともあって、彼が他界してもう3カ月になるという事実が実感できないまま今に至っている。

©MIRA FILM

トランペットに魅了されジャズに開眼し18歳の時にサックスを手に

「1933年生まれ」よりも「昭和八年生まれ」と書いたほうが、ショーターがいかに長い期間にわたって音楽界を彩ってきたかわかるかもしれない。が、少年時代の彼は音楽よりも美術や読書に熱をあげていたという。評論家コンラッド・シルヴァートへの発言を参照すると、ジャズ的なものに開眼したのは、ラジオ番組で聴いたスタン・ケントン楽団の『ピーナツ・ヴェンダー』。トランペット・プレイに魅了されたとのことだ(後年ソプラノサックスを手にした理由についても「トランペットのような高音を出したかったから」と述べている)。15歳からクラリネットを始め、18歳でサックスに転向した。52年にはニューヨーク大学に入学し、音楽教育を専攻。在学中にはソニー・スティットと共演したこともあり、またこの時期、西海岸に赴いてジミー・ロウルズ(Pf)やビル・ホルマン(Ts,Arr)とも知り合ったようだ。56年にはピアノ奏者ジョニー・イートン率いる“プリンストニアンズ”に参加したものの、間もなく兵役にとられ、活動を中断。従軍せず活動を継続していたらジョニー・グリフィンやハンク・モブレーやクリフ・ジョーダンと並ぶ“ハード・バップ界、注目の新星テナー・サックス奏者”と目されたかもしれないが、そうなると60年代以降のジャズ界の地図は大きく変わってしまったはずだ。

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・ジャズ・メッセンジャーズ〜マイルス・バンドでの活躍でスターダムに
・ウェザー・リポートの大ブレイクでポップス界にも足を伸ばす活躍へ
・唯一無二のトーン、発音、発想による類を見ないサックス表現を確立
Masterpieces of SHORTER

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