サックス記事 メイシオ・パーカー プレイヤーもリスナーも 気持ちを身体で表現できる それがファンクの醍醐味だ
THE SAX vol.41 Cover Story

メイシオ・パーカー プレイヤーもリスナーも 気持ちを身体で表現できる それがファンクの醍醐味だ

ファンキーサックスの代名詞とも言えるプレイヤー メイシオ・パーカー氏。ファンクの帝王 ジェームズ・ブラウン氏のバンドの要として長く在籍し、そのバンドメンバーで“J.B.'s”を結成、数々のヒット作を飛ばし、押しも押されぬ人気プレイヤーとして名を馳せてきたことは、読者もご存じだろう。 本誌ではこれまで、氏のライブレポートは度々取り上げてきたが、今回ついにインタビュー取材が実現。熱いステージとは裏腹に、一つ一つの質問に対してじっくり考え、真摯に答えてくれるパーカー氏の姿に、ファンクミュージックへの深い愛情を感じた。
通訳:アンドレス・ジェーソン 人物写真:土居政則 取材協力:ブルーノート東京

あらゆるジャンルの中から選んだのが「ファンク」

まずは、ファンクミュージックとの出会いについて教えてください。
メイシオ・パーカー
(以下P)
僕の兄がトロンボーンを吹いてて、弟がドラマーをやってたんだ。だから僕がサックスを吹いて、3人でバンドを作ったのさ。いとこや近所に住んでいた友だちも音楽をやっていたので、僕はとても若いころからライブハウスで活動を始めていたよ。僕の伯父が「ブルーノート」というバンドを持っていたから、我々は「ジュニア・ブルーノート」というバンド名をつけた。最初のころは、「ブルーノート」のリハーサルを聴きに行ったりして、彼らがやっている曲を学んだよ。そのころ僕は12歳、トロンボーンの兄が13歳でドラムの弟が11歳くらいだったと思う。兄弟であらゆる音楽を手に入れて聴くようになっていった。ビッグバンド、コンボ、カントリー&ウエスタン、スクールミュージック(Music in school)……など、あらゆるジャンルを区別できるようになったら、レイ・チャールズなどのあらゆる歌手を聴いたりもしていたな。大人になってライブでお金を稼ぐようになっても、自分でCDを買って聴いていた。カウント・ベイシー・オーケストラのアルバムなんて何枚も買っていたよ。
こうして時間が経つにつれて、僕自身が気づいたのは、音楽を聴く人はいっぱいいるけど、ファンクの場合は聴いたら踊りたくなる。それが自分のやりたい音楽だと思ったのさ。要するにファンクの場合は、聴いている人も身体を動かすことによって自分の気持ち──例えば気持ちいいとか楽しいとか──を伝える機会になるわけだ。ジャズの場合はじっと席について、じっくり耳を傾ける人が多い。お客さんは受け身で、積極的に音楽に参加しているわけではないからね。これは善し悪しの話ではないから誤解しないでほしいんだけど。
あなたはジェームズ・ブラウンのバンドでデビューされましたが、当時のエピソードをお話しください。
P
僕はもう小学生のころにはサックスを吹きはじめたから、中学、高校、大学のころにはすでにあらゆるところで演奏していた。大学には3年くらい通ったんだが、その時にジェームズ・ブラウンと出会って、彼のバンドに入ってデビューしたんだ。彼のバンドで演奏しているとき、ふと感じたことがあった。ジェームズ・ブラウンが歌ってないときに僕が前に出て吹くだろう? そのときに、実は昔から憧れていたデヴィッド・ニューマンやハンク・クロフォードたちと同じようなことをやっている!と気付いたんだ。彼らは、レイ・チャールズのバンドで本人が歌ってないときに、前に出てソロを吹いていた。自分が、憧れの存在の人たちとまったく同じようなことをやっていると気付いて、とても嬉しかったよ。「やっと成功できた!」ってね。

次ページにインタビュー続く
・練習は、自分だけのスタイルを見つけるためのもの
・音色は“書き文字”と同じ、その人だけのもの
・メイシオ・パーカーの“声”楽器について語る
・Live & Clinic


CD Information

「ルーツ・アンド・グルーヴズ」
【VICP-63962/3】2CD
ビクターエンタテインメント
登場するアーティスト
画像

メイシオ・パーカー
Maceo Parker

1943年2月14日、アメリカ・ノースカロライナ州生まれ。12〜13歳でサックスを手にし、兄弟でバンドを組んで活動。大学を中退後の'64年、ジェームズ・ブラウンのバンドに加入。同グループの花形ソロイストとして大活躍する。途中で軍役のため一線を退くが、復帰後は“メイシオ&オール・ザ・キングズメン”を結成してバンド・リーダーに。'70年代中盤になると、ジョージ・クリントンを総帥とするファンク集団“Pファンク”に加入。先に参加していたブーツィー・コリンズと共に、数々の傑作に関与。'80年代は、JB'sの復活に伴い、同バンドでも精力的に活動した。'89年に久しぶりのリーダー作『ルーツ』を制作。ビルボード誌ジャズ・チャートのトップを7週間制覇するほか、ローリングストーン誌批評家投票の「ベスト・ジャズ・アーティスト・オブ1990」賞も受賞。一躍、広範な人気も獲得し、'90年代の最もファンキーなアルト・サックス奏者としての評価を確立。その後も、『モ・ルーツ』『プラネット・グルーヴ〜ライヴ!』『アイ・ライク・イット・ライク・ザット』『サザン・エクスポージャー』などの意欲作を続々と発表し、デヴィッド・サンボーンやキャンディ・ダルファーと共演。さらに'99年には、プリンスのアルバム『レイブ・アン2・ザ・ジョイ・ファンタスティック』で演奏すると、'00年の自身のアルバム『ダイアル・メイシオ』で『レイブ・アン 2・・・』の収録曲2曲をリメイク。ブラック・ミュージック界のビッグ・アイコンとのパイプを太くしながら、ファンク・スピリットを燃やし続けてきた。'02年はプリンスの「One Nite Alone...Live! Tour」に同行。翌’03年にジャズ色の強いアルバム『メイド・バイ・メイシオ』をリリースしてからも、’04年は再びプリンスのラヴ・コールを受け『Musicology』の録音に参加し、キャンディ・ダルファーらとワールド・ツアーにも同行。自身のプロジェクトでは、'05年の『スクールズ・イン』で、ファンクとR&Bの文脈を総括して見せた。最新作は、ドイツのWDRビッグ・バンドとのコンサート・ライブを含む『ルーツ・アンド・グルーヴズ』。

[CLUB MEMBER ACCESS]

この記事の続きはCLUB会員限定です。
メンバーの方はログインしてください。
有料会員になるとすべてお読みいただけます。

1   |   2   |   3      次へ>      
サックス