サックス記事 追悼 ソニー・ロリンズ
  サックス記事 追悼 ソニー・ロリンズ
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豪放磊落に歌うようなサックスを奏で続けた唯一無二の巨人に捧ぐ

追悼 ソニー・ロリンズ

ARTIST

Tribute to SONNY ROLLINS
(1930.9.7-2026.5.25)

既報のとおり1940〜60年代のモダンジャズ黄金時代を彩った主役のなかで最後の存命するレジェンドだったソニー・ロリンズが、2026年5月25日に惜しくも天に召されていった。他とは一線を画す唯一無二の歌心を持ち音色も演奏もパワフルで豪放磊落……そんな自由闊達で明るいイメージとは裏腹に何度かのシーンからの雲隠れなどのエピソードからは繊細な一面も窺える。ここでは、このジャズ偉人の死を悼むとともに、その人間味溢れる波乱に満ちた生涯を振り返ってみよう。(文:原田和典)

当時最先端のビバップに取り組みハイスクール卒業後プロの道へ

出生名Walter Theodore Rollins、1930年9月7日ニューヨークのハーレム生まれ。父親(クラリネットを趣味で吹いた)はヴァージン諸島のセント・クロイ島、母はセント・トーマス島の出身で、29年にハーレムへ移住したばかりだった。
姉はピアノ、兄はヴァイオリンを習っていたという。ロリンズは9歳からピアノのレッスンを受け、11歳の時にアルトサックス奏者/ヴォーカリストであるルイ・ジョーダン(1940年代最大のR&Bスターのひとり)に憧れてアルトの演奏を開始。その後ジャズに深入りし、“ジャズ・テナーサックスの父”ことコールマン・ホーキンスの大ファンに。そして16歳の頃からテナーを主奏楽器とするようになった。ただし取り組んだのはホーキンス流のスウィングではなく、チャーリー・パーカーらが推進していた当時最先端のジャズ・スタイルであるビバップ。演奏仲間にはジャッキー・マクリーン、ケニー・ドリュー、アート・テイラー、アンディ・カーク・ジュニア(幻のサックス奏者)といった少年たち、彼らをフックアップした先輩世代にはセロニアス・モンクやバド・パウエルがいた。

ルイ・ジョーダン
コールマン・ホーキンス
チャーリー・パーカー
マイルス・デイヴィス

1948年にハイスクールを卒業後、ただちにプロ活動を開始。1949年に限定してもバブス・ゴンザレス、J.J.ジョンソン、バド・パウエル等のレコーディング・セッションでソロ・パートを与えられるという厚遇ぶりだ。が、翌1950年の録音はまったくない。武装強盗の容疑で服役していたからだ。1951年に入るとマイルス・デイヴィスの「アンド・ホーンズ」や「ディグ」に参加、12月には『スローボート・トゥ・チャイナ』等を含む初リーダー・セッションを行なうが(アルバム「ウィズ・ザ・モダン・ジャズ・カルテット」に収録)、1952年にはヘロイン使用の罪で再逮捕。翌年から再び積極的な活動を始め、マイルスの「コレクターズ・アイテムズ」(1953年)ではチャーリー・パーカーとテナー競演、やはりマイルスの「バグス・グルーヴ」(1954年)では快演を披露する共に、ジャズ史上に残るオリジナル曲『ドキシー』『オレオ』『エアジン』を提供した(ただし『エアジン』はJ.J.ジョンソンが書いたとされる『オパスV』の改作)。そして1955年、ヘロイン依存から脱出しようとケンタッキー州の医療センターに入院。退院後はしばらくシカゴで暮らし、マイルスの新バンド加入に定着することもなかったが(最終的にジョン・コルトレーンが参加)、シカゴのジャズ・クラブ「ビー・ハイブ」に出演していたクリフォード・ブラウンとマックス・ローチの演奏に感銘を受け、ジャズ・シーンへの復帰を決意。ブラウンが麻薬と一切無縁だったことも、ロリンズを大いに勇気づけたと伝えられる。ブラウン=ローチ・クインテットの新メンバーとしてニューヨークに戻ったロリンズは、12月にリーダー作「ワークタイム」を録音。翌1956年の彼は「ソニー・ロリンズ・プラス・フォー」、「テナー・マッドネス」(1曲でコルトレーンと共演)、「サキソフォン・コロッサス」などのリーダー作、セロニアス・モンク「ブリリアント・コーナーズ」をはじめとする参加作などで向かうところ敵なしの勢いをみせた。

本誌2016年3月号vol.75では
ニューヨーク自宅取材を敢行し表紙に登場!

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・ジャズ界から再び雲隠れして隠遁中は橋の下で練習に励み見事カムバック
・若手気鋭との交流も図りながら時代の風を反映したアルバムも次々に発表

 

登場するアーティスト
画像

ソニー・ロリンズ
Sonny Rollins

1930年9月7日、ニューヨーク生まれ。7歳の頃、ルイ・ジョーダン(as)のレコードを聴きサックスに興味を抱く。9歳でピアノを、また11歳でアルト・サックスを始め、高校時代にテナー・サックスへ転向。ハイスクールではジャッキー・マクリーンやケニー・ドリューらとバンドを組んだ。1950年からはマイルス・デイヴィスのグループに参加。翌51年には『ソニー・ロリンズ・ウィズ・ザ・モダン・ジャズ・カルテット』でデビューした。56年には歴史的名盤『サキソフォン・コロッサス』を録音。その歌心溢れるプレイが多くのファンを獲得し、ジャズ界での地位を確立した。また同年、『テナー・マッドネス』でジョン・コルトレーンと共演。以降、『ニュークス・タイム』『ヴィレッジ・ヴァンガードの夜』など多くの名盤を発表した。60年代にはアバンギャルド、70年代にはフュージョン寄りのアプローチを行なうなど常に音楽の可能性を追求し、ジョン・コルトレーンと並ぶジャズ・サックスの巨人として讃えられている。

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