サックス記事 ジョン・コルトレーン
  サックス記事 ジョン・コルトレーン
[1ページ目│記事トップ
生誕100年を迎える ジャズに革新をもたらした求道者

ジョン・コルトレーン

ARTIST

早逝による短い活動期間に比してジャズ界に遺した功績が計り知れないという点で、チャーリー・パーカーと肩を並べる存在感を放つジョン・コルトレーン。今年2026年は盟友であったマイルス・デイヴィスとともに、このテナータイタンも同じく生誕100年を迎えるジャズ界にとって重要なメモリアル・イヤーだ。そこで、ここではジャズに大きな革新をもたらした求道者が歩んだ激動の生涯を改めて辿っていこう。
(文:原田和典)

100th Anniversary of His Birth
JOHN COLTRANE

ガレスピーのバンドでのパーカーに圧倒されビバップにのめりこむ

1926年9月23日、アメリカ南東部のノースカロライナ州ハムレットで生まれ、同州ハイ・ポイントで育った。父は趣味でヴァイオリンやウクレレを演奏、母は教会のピアニストを務めていた。コルトレーン少年は13歳でアルト・ホルン(チューバを小さくしたような金管楽器)を始め、やがてクラリネットも始めた。1943年6月になるとペンシルベニア州フィラデルフィアに移り住み、製糖工場に勤務。同年9月の誕生日には、“自前の”のアルトサックスとクラリネットを母親からプレゼントされている。1944年にはオーンスタイン音楽院に入学、マイク・ゲラ(共に1927年生まれのスタン・ゲッツやジェリー・マリガンも指導した人物)の教えを受けた。
1945年上旬からはプロ活動も開始、ドラマーのジミー・ジョンソン率いるオーケストラではベニー・ゴルソン、ビル・バロン(ケニー・バロンの兄)、レイ・ブライアント(当時14歳)らと同僚だったようだ。当時のコルトレーンのアイドルはデューク・エリントン楽団のジョニー・ホッジスだったようだが、6月にディジー・ガレスピー・バンドのライブを体験、そこでアルトを吹いていたチャーリー・パーカーに圧倒されて、一気にビバップ~モダンジャズにのめりこむこととなった。8月に入ると兵役にとられ、そのあいだ“メロディ・マスターズ”という海軍バンドにも在籍した。
1946年夏にフィラデルフィアへ戻り、ゴルソンやブライアントと再会。グラノフ音楽院ではデニス・サンドール(ジム・ホール、パット・マルティーノ、マイケル・ブレッカーらの師にもあたる)から楽理を学んだ。同い年のジミー・ヒースが率いるコンボやビッグバンドでも演奏し、1948年秋に参加したエディ・クリーンヘッド・ヴィンソン(ルイ・ジョーダンに次ぐ、アルトサックス&ヴォーカルのR&Bスター)のバンドではテナーサックスを担当。ここではまた、レッド・ガーランドと顔を合わせている。1949年にはディジー・ガレスピーのオーケストラにアルト奏者として参加。オーケストラをコンボに縮小後も、コルトレーンはガレスピーの許にとどまり、今度はテナーを演奏。1952年にはアール・ボスティク楽団、1953年から1954年にかけてはジョニー・ホッジス楽団にも在籍したが、基本的には“主役のサックス演奏を引き立てるホーン・セクションの一員”としての役割を求められていたようだ。

本誌2017年9月号vol.84では
没後50周年を記念して特集を組み表紙も飾った

次ページへ続く>
・マイルスのクインテットに加入し一躍ジャズ・テナーの革新者へと
・“黄金のカルテット”が完成し様々な趣向の名盤も次々に発表し頂点へ

 
[CLUB MEMBER ACCESS]

この記事の続きはCLUB会員限定です。
メンバーの方はログインしてください。
有料会員になるとすべてお読みいただけます。

1   |   2      次へ>      



サックス