THE SAX vol.44

Part.2 Classic Sax Player 偉人伝

Jean-Marie Londeix ジャン=マリー・ロンデックス

1932年、フランスに生まれたサクソフォン奏者。
パリ音楽院においてマルセル・ミュールの元で学んだ彼は、国内に留まらず、世界に目を向けた演奏活動を繰り広げる。時代の先端を行く奏法を取り入れた新しい曲の誕生にも数多く立ち会い、その可能性を広げた第一人者と言えるだろう。実に100曲以上が、氏に献呈されている。また、「フランス・サクソフォーン奏者協会」や「国際サクソフォーン委員会」といった機関を立ち上げ、サクソフォンという楽器を世に知らしめることにも尽力した。その名を冠した国際コンクールも行なわれており、世界屈指の若手プレイヤーが挑んでいる。
一方で教育者としても名高く、フランス国立ボルドー音楽院などで指導に当たった。現在世界中で活躍する多くの優秀なサクソフォン奏者が氏の薫陶を受けている。

About Jean-Marie Londeix  Navigator:佐々木雄二

■その音楽観

私は、フランス・ボルドーに留学中、ソロ、四重奏、ラージアンサンブルの各分野において、ロンデックス先生から貴重で有効な多くの事柄を授けていただきました。私が学び感じたことの中から、先生の音楽観はどんなものだったのか、書かせていただきます。サクソフォンの演奏に対する先生の考え方は、基本的奏法を大切にしつつ、どのような場合でもできるだけシンプルに音を出し、楽器を操るということです。音質、音色をより良くし、音の立ち上がりをイメージ通り自在に吹くこと。言うは易しいが、多くのサクソフォンプレイヤーが共通の悩みとして抱いていることではないでしょうか。またバロック、古典といった古い時代のアレンジされた作品のレッスンでは、その作曲家の生きていた時代背景や様式の理解という、当たり前ではありますが重要で不可欠な要素について教わりました。ボルドーは歴史ある古い建築物が多く、それを例に出して説明してくださった内容には重みと実感がありました。また、近現代の作曲家によるオリジナル作品については、先生は直接作曲家とコンタクトを取り、作品についての情報を集め、より深い理解と優れた演奏をするための足がかりとしていました。その良い例として、著作である「サクソフォン音楽125年」(1965年)と「サクソフォン音楽第2巻」(1985年)は、その当時著された本の中で最も詳しいClassic Saxの作曲家と作品リストでした。
このような私の経験や所感を通して、先生の音楽観が伝われば幸いです。

■学んだこと

個人レッスンでは、音の出し方(アタックについて)を徹底的に鍛えられました。スケールを使って行なうこの練習方法は、任意のスケールを一音一音アタックして4拍伸ばし、2拍休む、これを続けて一周するというやり方で、音の立ち上がりと音の終わりを細かくチェックします。この練習をした後にテンポを上げて様々なアーティキュレーションでスケール、3度、4度、アルペジオとこなしていく練習パターンは、その当時各国から来た留学生たち全員が日課としていました。私について言えば、今でも行なっています。音の立ち上がりこそが、サクソフォン(楽器)演奏上最も大切にすべき事柄のひとつであるという考え方を、身を以て執拗に教え込まれたことは、その後演奏活動を続けていく上で大きな財産となっていると考えております。
また私の、ロンデックス先生に習う前と後で最も変化したサクソフォン演奏上の事柄は、アンブシュアについてであり、音質、音色を改良するために徹底的な指導を受けました。それまで長年慣れ親しんできた吹き方から、口の中の状態と口周辺(顔全体)の筋肉の使い方を変えたのです。当初は思うに任せず苦労しましたが、新しい奏法を身に付けることができた後は、楽器に対するイメージ(世界)が大きく変わりました。チェンジしたあの感覚は、今でもはっきりとした記憶として残っています。アンブシュアを変えて自分なりに考えた古い奏法との違いは、音質、音色、ヴィブラートのかかり方、アルティシモ奏法、音程感覚などが改良されたことであると思っています。音楽的な解釈については、楽譜からいろいろな情報を読み取り、演奏に反映させるという意識が強くなりました。これに関連することとして、強弱、または弱起の音楽を演奏するとき、アタックの工夫や違いを意識すること、またフランス語の発音やイントネーションに起因する音楽的な表現方法は大切な教えとして吸収し、私自身現在の指導、演奏の中で引き継いでおります。

■師とのエピソード

先生についてたくさんある思い出の中からひとつ。
9月中旬から始まる留学生活に備えて、少し早めにボルドーに着いたその日から一週間ほどホテル暮らしをしました。下宿先が決まっていなかったからです。下宿探しは現地に着いてからと予定して来たものの、何もできずに焦るばかりでした。先生にこの困った状況をお話しした翌日の朝から3日間、午前中をかけて毎日何軒もの下宿候補を自ら運転する車に私を乗せて回っていただき、練習可能な下宿を探していただいたのです。先生にとって新学期が始まる前の準備で忙しい時期に、大切な午前中の時間を3日間も使っていただいたことに大変感謝するとともに、先生に対する信頼感と尊敬の念が一層強くなったことを、今でも思い出します。

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佐々木雄二
Yuji Sasaki

東京芸術大学卒業、同大学院修了。フランス国立ボルドー音楽院を一等賞を得て卒業、ボルドー市栄誉賞を受ける。ボルドー市管楽合奏団首席奏者、インターナショナル・サクソフォンアンサンブルメンバー、タルンス市立音楽院サクソフォン科審査員を務める。帰国後、東京サクソフォンアンサンブルを結成。全国各地でのリサイタルの他、テレビ、FM出演、録音など、活発な演奏活動を行なう。海外では、アメリカ、フランス、ドイツ、中国においてコングレス、フェスティバル、テレビ、ラジオに出演。現在、東邦音楽大学教授、教務部長。 ★私が考える「Classic Sax」 いわゆる伝統的、正統的な奏法の上に立つ古典的サクソフォンの世界と、そこから発展進化した現代奏法を駆使した最先端の世界。

 

Frederic L. Hemke フレデリック・ヘムケ

ソリストとしても教育者としても幅広い活躍をしているアメリカのサクソフォン奏者。
1956年にパリ音楽院でアメリカ人として初の一等賞を獲得。1962年にはイーストマン大学にて教職の道に就き、1975年以来ノースウェスタン大学で教授を務めている。その他、パリ音楽院やアムステルダムのスウェリンク音楽院など、ヨーロッパの大学でも客員教授として指導に当たり、多くの優れたサクソフォニストを育てている。
一方で、ソリストとしてもシカゴ交響楽団、セントルイス交響楽団、東京交響楽団など、著名なオーケストラと共演している。現在、多くのサクソフォニストが愛用しているRICOリード<ヘムケ>の監修者としても広く知られる存在だ。
2019年4月17日没。

About Frederic L.Hemke  Navigator:雲井雅人

■その音楽観

巻頭のインタビューでも語られたように、「サックスを演奏する人」ではなく、「音楽家である」ことが氏の音楽観だと思います。使うのはサックスだけど、その音楽が持っているものに添った演奏をする。そのための手段……奏法を身に付けるだけでなく、音楽の背景、作曲家の人生や曲が書かれた時期の事情などを知った上で、音楽を作っていく。自身の演奏もそうですし、レッスンでもそういったことを追求されます。

■学んだこと

僕がヘムケ先生に教わったのはノースウェスタン大学で1年半です。言葉がほとんどできない状態で行ったにもかかわらず、最初から、この人はこれから何を言おうとしているのかが身体から溢れて、伝わってくるような感じでした。
その中身は、教えるというよりも、進むべき道筋のヒントを与え、自分で考えさせるという内容でした。例えば彼はよく、調性のない曲を課題に与えました。これは日本ではあまり経験がなかった。メロディがある曲なら、それほど感覚を鋭敏にしていなくても吹けた気になります。なので、「これにもなにか法則があるに違いない」と思って理屈から入ろうとしても、どうもうまくいかない。先生も納得しない。いろんな演奏をしてみて、先生が「うん、いまのはいいんじゃないかな」と言った演奏を振り返ってみると、自分が自発的に歌った演奏だったのです。それからは、メロディのあるなしではなく、自分の心の奥底まで降りていって、その音が自分の心と結びついて初めて、演奏に表わせるということがわかった。それはとても大きな経験でした。
その後に調性のある曲を演奏したときはフレッシュに感じ、一見わかりやすいメロディの中にも見過ごせないものが隠されている、それを追い求めなければいけないということに気付かされました。

■師とのエピソード

僕が留学していたころは、学生とプライベートを共にしたりする先生ではありませんでした。こちらとしても、あまりにもすごい人すぎて近寄りがたかったし、いつも威風堂々としていて(これは今でもそうですが)、まるで塔が歩いているような印象。今回の来日で、やっといろいろな話をすることができました。
今回来日してすぐに、僕が演奏したマスランカのコンチェルトの音源を聴いてもらい、「今もあなたの影響下にある」と言ったら、彼は「これを聴いてはっきりわかる」とおっしゃいました。おこがましいかもしれないけれど、先生と僕のやりたいことの方向性は昔もいまも変わらず、同じなんだと思います。それを実感したのが、留学も最後にさしかかったころ、ジュネーブ国際音楽コンクールの開催直前のことでした。
ノースウェスタン大学のホールを借り切って、コンクールを受ける人たちで「試演会」のようなものを行なった時のことです。ヘムケ先生は、皆にアドバイスをしたり激励の言葉をかけたりしていたのに、僕の時だけ顔を背けてどこかへ行ってしまった。変だなと思ったのですが、その後ヘムケは休憩している僕のところへやってきてハグをし、「You are the real master of saxophone」と言ってくれた。目には涙が溜まっていました。もしかしたら師としてではなく、一聴衆として僕の演奏を聴いてくれたのではないかと、大きな自信になったことは言うまでもありません。
そして今回、「君が教えている学校で一緒に教えたい」ということで、自ら希望して国立音楽大学に来てくれたことも、本当に夢のような出来事でした。
とにかく75歳とは思えないほどの好奇心の固まりであり、実際身体も健康で、音も驚異的に素晴らしい。どうしたらこういう年の取り方ができるんだろうと、ますます尊敬してしまう存在です。

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雲井雅人
rMasato Kumoi

国立音楽大学を経てノースウェスタン大学大学院修了。大室勇一、フレデリック・ヘムケの各氏に師事。第51回日本音楽コンクール、および第39回ジュネーヴ国際音楽コンクール入賞。1984年、東京文化会館小ホールでリサイタル・デビュー。オーケストラのソリストとしては、1991年、サントリーホールで、井上道義指揮の新日本フィルハーモニー交響楽団と共演した。以後ソリストとして、京都市交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、名古屋フィルハーモニー管弦楽団、北京中央楽団 (中国)などと共演している。また、「雲井雅人サックス四重奏団」を主宰。これまでに4枚のソロアルバム、雲井雅人サックス四重奏団として4枚のアルバムをリリース。現在、尚美学園大学、国立音楽大学各非常勤講師、亜細亜大学吹奏楽団コーチ。


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