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インタビュー|高橋宏樹

− Close Up − ロングインタビュー

今や吹奏楽やアンサンブル作品に欠かせない作曲家 高橋宏樹さん。
全日本吹奏楽コンクールでも課題曲として作品が採用され、『サーリセルカの森』『オーディナリー・マーチ』など自由曲でも人気の作品を生み出している作曲家です。 今回は高橋さんの魅力に迫ります!

 

高橋 宏樹

高橋 宏樹

作曲家 1979年東京生まれ。専門学校にて映像音楽やポップス理論などを学ぶ。主に吹奏楽曲や管楽アンサンブルの作編曲をしている。ポップスの編成やオーケストラの編曲なども手がけている。ピアノやキーボードのサポート。鍵盤ハーモニカなどプレイヤーとしても活動している。 シュピール室内合奏団メンバー、ズーラシアンブラス契約作編曲家、21世紀の吹奏楽「響宴」会員。
 

 


 

自然と好きになった音楽

――
高橋さんが音楽と関わりを持ったのはいつからですか?
高橋
物心がつく前から好きだったようですね。親の話によりますと、出かけていても音楽が聞こえてきたら足を止めて踊り出す子どもだったらしいです(笑)。クラシックも好きでずっと興味があったらしいので、何がきっかけで音楽を好きになったということではなかった。親は音楽をやっていなかったので、びっくりしたと思いますよ。
――
では楽器との関わりは?
高橋
クラシックピアノを始めたのが6、7歳の頃なので、わりと遅いですよね。中学校に入って吹奏楽部に入り、トロンボーンを担当していました。一般的な学生と変わらず、中高の吹奏楽では、コンクールに出たり活発に活動していました。
吹奏楽部に入ったのは、やっぱり音楽とかかわっていたかったから。
でもね、中学校の吹奏楽部では男子は僕一人でした(笑)。最近は中学校でも男子部員が増えてきたようですが、当時は音楽をやっている男子って本当に少なっかたんです。
――
高校を卒業されると音楽の専門学校に進学されましたね。専門学校を選んだ理由は?
高橋
僕が選んだ学校はビッグバンド、映画音楽、テレビドラマの劇伴などポップスを中心にや教えていて、自分に合っていると思ったんです。もちろん、音大に進むことも考えたんですが、自分のやりたい方向とは少し違うなと思って。
――
もともと映像音楽がお好きだったんですか?
高橋
そうですね。小さい頃から作曲がやりたかったんですよ。久石譲さんの「風の谷のナウシカ」に出会って、「なんときれいな音楽だろう!」と思い作曲家である久石さんのことを調べました。
他にもジョン・ウィリアムズの壮大な音楽も好きでしたし、逆に単館映画で放映されるものも好きですね。単館映画の場合は、岩井俊二さんの音楽など岩井俊二さんの音楽などは例えば“ピアノだけ”のようなシンプルな音楽も多いんですよ。
――
作曲家になろうと思ったのはいつぐらいからですか?
高橋
それこそ最初に思ったのはわからないんですよね。ただ小学校1年生のときに、短いメロディを書いた楽譜が残っています。
だから、高校の吹奏楽部の時には、まだ出版されていないヒット曲を自分のバンド用にアレンジしていました。見よう見まねでしたが(笑)。
――
作曲とアレンジって別物のような気がするのですが……。
高橋
僕は一緒だと思います。もとの音があるかないかの違い。組み立てていく作業としてはゼロから1を作りそれを10にするのが作曲で、元々ある1を10にするのがアレンジ。
――
なるほど。では作曲やアレンジするときには、頭の中でオーケストレーションの音が鳴っていますか?
高橋
スコアの景色を見て、このへんでこういう音が鳴るんだろうな……という感じです。
他の作曲家かさんがどうやって作曲していくのかわからないのですが、僕の場合元々コードがあって、その上にメロディ……というところから入ることが多いので、ポップスを作る人の過程と同じかな。

 

演奏不可能な部分は作曲家に教えて!

 

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