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転落する男たち

木村奈保子の音のまにまに|第64号

またもや日本では、エンタメの象徴といえるような人物が、まさかの転落劇を見せた。
彼の芸がエンタメ界から消えることの消失感や、裁判の勝敗についての論議が日々、世間をにぎわせている。
しかし、大事なのは、Me too 運動につながる“権力と性加害”のテーマを考えることだろう。
彼がどれほど面白いか、芸の魅力や、好き嫌いをいま、論じる必要はない。
芸の力量によって、免罪されるような問題ではないのだから。
ただ、断罪と戦いに向かう前に、何かできることはないものか?

ヒーロー主義の私としては、週刊誌に書かれた記事の20%ぐらい誇張や間違いがあったとしても、そこを戦うより、辛さを告白した女性に謝罪ができたり、もっと広い範囲で、震災地に対する寄付をしたり、と成功者の人としての思いやりを見せたらと期待するのだが、できないのだろうか。

さて、ちょうど“転落する男”を題材にした映画がある。
「落下の解剖学」は、仏カンヌのパルムドールを受賞し、米ゴールデングローブ賞でも脚本賞を受賞。このあとのアカデミー賞でも作品賞ほか多くの賞で、注目されている優れた作品だ。
こんな度肝を抜く展開の脚本をしばらく見たことがなく、地味な背景のなか、演技派の俳優たちによる芸の深さに、うっとりした。

 
 

舞台は、人里離れた雪山の一軒家。2階の部屋で、中年女性が若い女性からインタビューを受けている。夫は、この妻と来客の女性二人の会話を邪魔したいのか、いらついて作業中のBGM音を大きくしていくようだ。ファミリーには、視覚障害の息子がひとり、盲導犬が一匹いるが散歩に出かけている。

やがて来客は帰り、息子が犬とともに散歩から戻る。
すると、2Fにいたはずの夫が屋根裏部屋の窓の外で転落死していることを息子が発見。
知らせを聞いた妻は、警察を呼んだ。

ここまではそれほど驚かない。
静かな語り口で、たいてい誰かの死から物語は始まる。

検死により、疑われた妻を中心に、法廷劇へと展開していく。
残されたテープにより、夫婦の関係が明るみになっていく。

夫婦はともに作家=同業者で、妻のほうがすでに成功しているパターン。
ヒット作があり、生徒にも尊敬され、女性との浮気経験もあるバイセクシャルだ。
その点、夫は家庭生活の仕事に追われ、“自分の時間”がほしいと愚痴るタイプ。
妻の来客にすら嫉妬するのは、それだけのことがあるから。

こんな夫婦関係の設定が新しい。
それだけでも、欧米映画を観る価値がある。

男性側が金力と権力と筋力で、女性を性の道具にしたり、力業で従わせる、そんな女性蔑視的な意識がいまだに日本では、珍しくない。

欲望を果たしたいだけの男と、恐怖で断れない女。
そんな時代は、とっくに終わっているのに、日本だけが遅れている。
というのが、ジェンダー指数の低さである。

話を戻すと、本作では、自分の時間が欲しかった気弱な男が、謎の転落死をする悲劇をきっかけに、そこから、ファミリーをめぐる、さまざまな事情がめくられていく。
このめくり方がなかなか、芸が細かく面白い。
出演した盲導犬までカンヌで賞(パルム・ドッグ)を獲得している。
犯人捜しより、転落した男の人生を解剖していく構成が興味深い傑作だ。

 

もうひとつ、転落男の映画だ。
私の2番目に(デ・ニーロの次に)好きな俳優、ホアキン・フェニックス主演の「ボーはおそれている」は、前述とは対照的な爆発ムービー。
映画的な仕掛けや車が爆発するのではなく、登場人物の存在自体が壊れて、爆発するのだ。 若手の注目株、アリ・アスター監督は、決して私の好きなタイプの演出家ではないが、ホアキンが演じるなら、スルーはできない。
ちなみに、「ミッド・サマー」のアリ監督は、世界一美しい少年だったビヨン・アンドレセンをクレイジーなカルト教団の高齢爺として出演させ、崖から飛び降りて顔までぐちゃぐちゃにこわすという残酷シーンをわざわざ撮影した、グロテスクな演出家。

 
 

一方ホアキンは、実際カルト信者ファミリー出身で、いわばカルト2世。
「ザ・マスター」では、教祖シーモア・ホフマンと競う、演技を超える存在感を示した。
ホアキンにとって、「ミッド・サマー」の監督には、カルトつながりで、強く興味を持つポイントがあったにちがいない。
そんなわけで、ホアキンは若いアリ・アスター監督により、どこまでマゾヒスティックな環境に耐えられるのか、を本作で試されるはめになる。

物語は、はじまりから、普通じゃない感じの主人公、ホアキンが登場する。
自分の母親が怪死した知らせを聞いて、もう若くもない、一人暮らしの男が、なんとか故郷に帰ろうともがきまくるが、妙なハプニング続きで、なかなか普通に動けない。

美しくも威圧的な母親の顔が、男の頭には焼き付いている。
母親が発する一言一言に、洗脳する力がみなぎっていた。
本当に亡き母親のもとに帰りたいのか、何が怖いのか?
過去に何があったのか?なぜ、自分の成長が止まっているのか?

まっとうなストーリー追いをしても、この映画には追いつけない。
心の扉をこじ開けさせられるような、ぶっ飛びトラウマ・ムービー。
まさに、母親に対する強い支配と愛憎感情により、人生から転落した男のトラウマをもの語るものだろう。

つまり毒親と息子の関係として冷静に見たら、セラピー映画として意味がある。
その表現は過激で、ヘビーで、エグく、めまぐるしい。

「ボーはおそれている」は、強迫神経症のボーという男が、「母親をおそれている」といえるだろう。
母親の誤った愛し方、支配と過干渉は、息子の人生を転落させる。
昨今のテーマに通じるものがあるようだ。

 

MOVIE Information

『落下の解剖学』
2024年2月23日(金・祝)TOHOシネマズ シャンテ他全国順次ロードショー
監督:ジュスティーヌ・トリエ
脚本:ジュスティーヌ・トリエ、アルチュール・アラリ
出演:ザンドラ・ヒュラー、スワン・アルロー、ミロ・マシャド・グラネール、アントワーヌ・レナルツ
配給:ギャガ
原題:Anatomie d'une chute|2023年|フランス|カラー|ビスタ|5.1chデジタル|152分|字幕翻訳:松崎広幸|G
©2023 L.F.P. – Les Films Pelléas / Les Films de Pierre / France 2 Cinéma / Auvergne‐Rhône‐Alpes Cinéma
公式HP:gaga.ne.jp/anatomy
X:@Anatomy2024
★予告動画URL★
https://youtu.be/IsJS-MHgp6U

『ボーはおそれている』
2024年2月16日(金)全国公開
監督・脚本:アリ・アスター
出演:ホアキン・フェニックス、ネイサン・レイン、エイミー・ライアン、パーカー・ポージー、パティ・ルポーン
配給:ハピネットファントム・スタジオ
原題:BEAU IS AFRAID|R15+|2023年|アメリカ映画|179分
© 2023 Mommy Knows Best LLC, UAAP LLC and IPR.VC Fund II KY. All Rights Reserved.
公式HP: https://happinet-phantom.com/beau/
公式twitter:@beau_movie #ボーはおそれている
★予告 YouTubeリンク★
https://www.youtube.com/watch?v=N1vlJGAve2Y

 

木村奈保子

木村奈保子
作家、映画評論家、映像制作者、映画音楽コンサートプロデューサー
NAHOKバッグデザイナー、ヒーローインターナショナル株式会社代表取締役
www.kimuranahoko.com

 

 

N A H O K  Information

木村奈保子さんがプロデュースする“NAHOK”は、欧州製特殊ファブリックによる「防水」「温度調整」「衝撃吸収」機能の楽器ケースで、世界第一線の演奏家から愛好家まで広く愛用されています。
Made in Japan / Fabric from Germany
問合せ&詳細はNAHOK公式サイト

 

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横置き型で、フルート(H&C共用)+ピッコロを余裕で収納できるバッグ式です。
ふたつのハードケースを仕切るボアマットも備えており、2段重ねで横置きのまま持つことができます。C管専用としては、GM2の選択肢もあります。
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2コンパート ブリーフケース「Deniro/wf」は、ハードケースを収納する側とかばんとして使用する側を完全に仕切り、2つのコンパートメントで作られたNAHOKブリーフケースの決定版です。
まずカバン側には、日常の小物が仕分けして入れられます。
ケース側には、太い固定ベルトによりクラリネット・オーボエ・フルートのハードケースが固定できる構成になっています。

 

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