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vol.10「指揮者への道・ゼロスタート」

THE SAX vol.32(2008年11月25日発刊)より転載

最近のスガワ

読者の皆さん、こんにちは。
皆さんの中には、吹奏楽でサックスを吹いていらっしゃる方も多いでしょう。今年のコンクールシーズンも終わりましたが、皆さん、楽しんで演奏できましたか?僕は、1年半ほど前から“指揮者”としても吹奏楽と接しています
なぜ指揮を始めたの?今回はそんな質問にお答えしたいと思います。
指揮を始める前は「なぜサックス奏者の僕が?」とためらいましたが、実際に始めてみるととても良い影響をもたらしてくれ、新しい視点が生まれたことで、サックス奏者としての僕を一段と成長させてくれています。
では早速始めましょう。題して、「指揮者への道・ゼロスタート!」

 

 

指揮者への道・ゼロスタート

僕がヤマハの豊岡工場で楽器の試奏点検をしていた時のことでした。ヤマハのスタッフの方が来られて、「ヤマハ吹奏楽団の指揮をしませんか?」と依頼されたんです。僕はただただ驚きました。

指揮といえば、サックス吹きが集まるアンサンブルでサプライズ要素的に振った経験くらいしかありませんでしたし、東京佼成ウインドオーケストラではコンサートマスターとして団員の意見を指揮者に伝える係。いつも「指揮者って大変だな」と感じていたので、僕になんてできるわけないという感覚でした。

僕の音楽性にヤマハ吹奏楽団を託したい。その気持ちはとても嬉しかったんですが、何しろ僕は、基本的な指揮の振り方、いや、指揮棒の持ち方すらも知らない状態。どうしたものかと、僕のマネージャーを始め関係者に相談してみたところ、みんなに「やめたほうがいい!」と言われました。ヤマハ吹奏楽団と言えば、名門中の名門、吹奏楽コンクールの全国大会出場常連団体です。厳しい世界に飛び込むことになるし、責任も重大。サクソフォン奏者としての活動に支障をきたすのではないかと。

でも、ヤマハ吹奏楽団は、いわゆる「コンクールに勝つ」ために僕を必要としたのではないだろうと思いました。ヤマハ吹奏楽団の団員は、ほとんどが工場で楽器を作っている技術者たちです。朝から晩まで楽器を作って、さらに吹奏楽団で楽器を吹く。その心意気に僕は尊敬の念を抱いているので、指揮の技術的な不安よりも、人間的には応えたいという気持ちが芽生えました。

そこで僕は、自分自身をオーディションしてもらうことにしました。練習に参加して「僕が指揮をしてみるから、皆さんは本当に僕でいいのか審査してください」と申し出たんです。曲は何度も演奏したことがあるA.リードのアルメニアン・ダンス。オーディションは30分間、指揮を振るだけではなくて、どんなことを注意するか、その解決法がうまく指示できるか、そういうところも見てほしいと。後から聞くと、団員側にもとまどいはあったそうです。それまでは、きちんとした専門の指揮者を立てて活動してきたわけですから。

ところで結果は……合格しました。当然、それだけで全員が納得されたとは思いません。ただ、これからに懸けてくれたのだと思います。

かくして僕は、ヤマハ吹奏楽団の常任指揮者として歩き始めました。デビューは、吹奏楽コンクールの静岡県大会(2007年7月)。もうわずかしか時間のない中、“ゼロスタート”から曲を創り上げていくということがいかに大変なことかを、思い知ることになります。

指揮棒を振り下ろしたところで、頭の音からズレてしまう。音程にしても合っていないことや、どの楽器が高い・低いはわかっても、それをどう指示したら上手くいくのかわからない。20年コンサートマスターをやってきて、吹きながら全体の音を把握する耳は養っていたんですが、指揮をするという別の身体の動きが伴うと、耳に使う神経が減ってしまうことに気付き、焦るばかりで解決策は見いだせない。吹いている時だったら絶対にわかるようなズレも、「腕を振る」という運動に気を捕らわれてしまって、「こんなものかな」と納得してしまう。そのとき僕は、「指揮者」であることに集中しなければと思い、合奏中にサックスを使って思いを伝えることを敢えてしていませんでした。

そこでやったことは、練習を全部ビデオに録画すること。自分の指揮を見て、どうして上手くいかないのかを研究しました。指揮の振り方もそうですが、練習の進め方、団員が納得しているのかどうか……。

結果的にそのコンクールでは、メンバーの吹奏楽愛好家としてのプライドが、僕の迷いや未熟な指揮法を見事にカバーしてくれて全国大会にまで進み、金賞をいただくことができました。

もちろん、それで成功……というわけにはいきません。次の演奏会へのステップでは、やはり僕の指揮の未熟さゆえ、団員を戸惑わせてしまうことも多々ありました。メンバーは一生懸命僕の「言葉」を聴いて、一緒に音楽を作ろうとしてくれた結果、“指揮を見ない”という現象が起きてしまったんです。指揮で想いを伝えることができない。ショックでした。これでは「指揮者」とは言えません。そこで、指揮の先生に練習を見てもらい、何がいけないのかアドバイスしてもらったり、様々な練習法を取り入れていきました。僕がサックス奏者であるというプライドを抜きにして、あくまで指揮者として団員に接していた気持ちを皆もわかってくれたのでしょう。その気持ちにみんなは共感して、演奏会を成功させるまでについてきてくれました。

もっと指揮を勉強して、みんなとひとつの音楽を創り上げる喜びを持ちたい。そう決心したのと同時期に、サクソフォン奏者としての自分も進歩していると気付くことになります。

それは大きな発見でした。さてどんな効果が? この続きはまた次回に持ち越します。お楽しみに!

A

 

※このコーナーは、「THE SAX」誌で2007年から2015年にかけて連載していた内容を再編集したものです

 

次回のテーマは「指揮が僕の人生に与えてくれたもの」。
指揮者としての経験が須川さんにもたらした変化、発見とは。 お楽しみに!


須川展也 Sugawa Nobuya

須川展也
日本が世界に誇るサクソフォン奏者。東京藝術大学卒業。サクソフォンを故・大室勇一氏に師事。第51回日本音楽コンクール管楽器部門、第1回日本管打楽器コンクールのいずれも最高位に輝く。出光音楽賞、村松賞受賞。
デビュー以来、名だたる作曲家への委嘱も積極的に行っており、須川によって委嘱&初演された多くの作品が楽譜としても出版され、20-21世紀のクラシカル・サクソフォンの新たな主要レパートリーとして国際的に広まっている。特に吉松隆の「ファジイバード・ソナタ」は、須川が海外で「ミスター・ファジイバード」と称される程に彼の名を国際的に高め、その演奏スタイルと共に国際的に世界のサクソフォン奏者たちの注目を集めている。
国内外のレーベルから約30枚に及ぶCDをリリース。最新CDは2016年発売の「マスターピーシーズ」(ヤマハミュージックコミュニケーションズ)。また、2014年には著書「サクソフォーンは歌う!」(時事通信社)を刊行。
NHK交響楽団をはじめ日本のほとんどのオーケストラと共演を重ねており、海外ではBBCフィル、フィルハーモニア管、ヴュルテンベルク・フィル、スロヴァキア・フィル、イーストマン・ウインド・アンサンブル、パリギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団など多数の楽団と共演している。
1989-2010年まで東京佼成ウインドオーケストラ・コンサートマスターを22年余り務めた。96年浜松ゆかりの芸術家顕彰を表彰されるほか、09年より「浜松市やらまいか大使」に就任。2016年度静岡県文化奨励賞受賞。
サクソフォン四重奏団トルヴェール・クヮルテットのメンバー。ヤマハ吹奏楽団常任指揮者、イイヅカ☆ブラスフェスティバル・ミュージックディレクター、静岡市清水文化会館マリナート音楽アドバイザー&マリナート・ウインズ音楽監督、東京藝術大学招聘教授、京都市立芸術大学客員教授。
 

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