フルート記事
THE FLUTE 30th Anniversary│さかはし矢波Special Interview

念ずれば花開く──念ずるだけでなく言葉にし努力すること

 
1月に武蔵ホール(埼玉)で行なったレコーディング。ピアノは福田素子さん

陸上選手orトロンボーン奏者になっていたかも!

中学校では吹奏楽部に?
矢波
母から吹奏楽部を薦められたのですが、陸上部からスカウトがきて、陸上部に入りました。僕は足が速くて、小学校のときに町の記録を持っていたんです。
ところが陸上部の部室が不良のたまり場(笑)。そそくさと逃げ出して、1ヶ月遅れで吹奏楽部に入りました。遅れて入ったからトロンボーン担当です。
ここで頭を悩ませた問題があったんです。トロンボーンってB♭管でしょう。僕はピアノ、フルート、学校のリコーダーとC管の楽器しかしたことがなかったから、頭が混乱してしまった。世の中にC管以外の楽器があることを知らないから。それで楽譜にポジションを書いてそのとおりに吹いているだけの状態でした。
この雑誌を顧問の先生が読んでいるならば、移調楽器のことを生徒さんに説明してほしいですね。
ということは陸上部が不良の集まりじゃなくて、トロンボーンが移調楽器だと理解できていたら、フルートはやめていた可能性もありますね。
矢波
そう。走るのも大好きで負けず嫌いだから真剣に走ると速かった。中学2年ぐらいから今も毎日3km走っています。オーケストラの本番の日も海外公演の日も。10分あれば走れます。
話を戻すと2年生になるとフルートパートに変わりました。その頃には峰岸壮一先生にレッスン受けるようになりました。
ではそのころからプロになろうと?
矢波
音楽をする人はみんなプロになるんだと思っていました。母親を見ていましたからね。
でも恥ずかしい話、プロになるのが険しい道だとは知らなかった(笑)。
はっきりとフルートをやりたいと思ったのはJ.P.ランパルの演奏会を聴いてからでした。中2のときでしたが、こんな素敵なことがフルートでできるんだなと、プロになろうという気持ちが加速しました。

峰岸先生の恐怖のレッスン

峰岸先生のレッスンはどうでしたか?
矢波
男子にはとにかく厳しい。女子にはやさしいようでしたが(笑)。とにかくよく怒られたし、特に年末の最後のレッスンは必ず怒られました。一年をビシッと締めようということで、先生は怒ることにしていたそうです。
なぜ男子だけ厳しかったのですか?
矢波
今はこういうことを言うといけないのでしょうが、男はフルートで食っていかないといけないから。崖から落として這い上がってくる生徒は見込みがあるということでしょうね。
でも怒られるのは嫌ですよね(笑)。しかも顔を見て怒られているうちはまだいい。背中を向けて怒るときは完全に怒っているとき。
昔は峰岸先生ほどでなくても怖い先生はたくさんいました。
矢波
それが当たり前だった。学校でも悪いことをすると廊下に立たされたり、げんこつをくらうのは当たり前のことでしたよ。もちろんそのことを家に帰っても親には言いません。言ったら「お前が悪いから立たされるんだ」ってまた怒られるから(笑)。
実技系のレッスンでもそこまで叱る先生はいなくなりましたね。もちろん理不尽な叱り方はいけないけれど。
職業にしようと思っているわけだから、ある程度の厳しさは必要ですよね。
矢波
そうです。なのでそうやって厳しくされた弟子たちは、みんなオーケストラに入ったり、フルートで生活しています。

実はオーケストラには興味がなかった!?

桐朋学園大学を卒業されてすぐに東京フィルハーモニー交響楽団(旧新星日響 以下 東フィル)に入団されました。
矢波
大学のときに峰岸先生から「音楽で生活していくにはオーケストラに入らないといけない。コンクールでいくら賞をとっても賞金をもらえるのは一度だけだ。オーケストラに入れば安くても給料がある」と言われたんです。
実はそれまでオーケストラに興味はなく、ソロ奏者になりたかった。というのはオーケストラでみんなと合わせて吹くのはあまり得意ではなかったからです。
大学のオーケストラは選抜制でしたから、オーケストラで吹きたいから頑張るのではなく、選抜されたいという気持ちのほうが強くて入りたかったぐらいなんです(笑)。
でも卒業後ちょうどオーディションのあった東フィルを受けたら運がいいことに受かりました。オーケストラは、会社のように毎年募集があるわけではありません。僕に関して言えば、とてもいい時期にオーディションがあったのだと思います。
当時、いろんな公開レッスンを受けていたのですが、自分が世界で一番いい音を出していると思っていました。そのくらい練習もしていたし、自分なりの切磋琢磨もしていた。そういう思いが強いときにオーディションがあったわけです。
東フィルは定期演奏会・オペラ・バレエ・多様なジャンルの公演・アーティストとの共演もあってすごく忙しいオーケストラですね。
矢波
ほかのオーケストラの人にスケジュールを見せるとびっくりされます。だからプロに必要なものは、譜面がきたら練習して、ある程度の水準まですぐに上げていく力——これが必須条件です。
それは訓練で身につく能力ですか?
矢波
そうですね。オーケストラに入ると、次から次に新しい曲をやらないといけません。リハーサルは長くて3日。最近は1日ぐらいのことがほとんどです。それも1日4時間しかないから、リハーサルまでに自分で作り上げておく必要があり、その時間的緊張感によって身についていった感がありますね。

J-POPから学んだステージ学

年末の風物詩で、東フィルによる「東急ジルベスターコンサート」が大晦日に開催されますが、みなさんメイン曲が終わったら年明けとなり、仮面を付けたり被り物をしたりして楽しそうですね。
矢波
最初の頃はそんなことはしてなかったんですけどね(笑)。僕はネクタイを替えるぐらいです。
本当は女性がカラードレスで出演するから、男性も色ジャケットでもいいじゃないか、と提案しているのですが却下されています。(笑)。
さかはしさんは、ソロコンサートのときは色ジャケットを着てステージに立たれますよね。
矢波
50着ぐらい持っています。お客さんはもちろん音楽を聴きにくるのが第一目的ですが、視覚的な要素も必要でしょう。
ジャニーズのアイドルやNHK紅白歌合戦に出演する男性歌手が、黒のスーツで歌っているってことはないでしょう? 衣装も含めて非日常を楽しむことで、憧れは生まれてくるんだと思います。クラシックがJ-POPと比べて人気がないのは、そういう憧れの存在が少ないからなんです。
ポップスなどのライブに行ったら衣装への期待感もあります。
矢波
そうでしょ。僕はそれを体現しているんです。僕が色ジャケットを着てステージに出ると、必ずお客さんは「わっ!」と喜んでくれます。
日本のクラシックファンは人口の10%もいません。その数字を上げるためには、興味を持ってもらう必要があるんです。
曲間でMCを入れるようになったのも、クラシックでは僕が最初だと思います。これもJ-POPから学んだことです。歌謡曲はコンサートでは喋ってお客さんを笑わせたり和ませて、曲に惹き込んでいきます。クラシックでも同じことをすればいい、そう思ったのがきっかけです。
 
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