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【Ocarina27号】

さくらいりょうこ Ryoko Sakurai

人生を奏でる講演家/ パワーオカリナ奏者として活動している、さくらいりょうこさん。音楽大学在学中に厚生省(現:厚生労働省)指定難病「クローン病」を発病し、以後、闘病生活を余儀なくされました。しかし、現在は社会復帰して演奏活動をはじめ、オカリナ教室「リーナ★リーナ」を開講し、講師としても活躍されています。そんな、さくらいさんの壮絶な人生、そしてOcarina人生についてお聞きしました。
ここではその一部を紹介します。

 

さくらいりょうこ

 

─ Ocarina と出会ったのはいつですか?

さくらいりょうこ(以下、さ) 病気を悪化させて夢を挫折し、半ば人生をあきらめていましたが、阪神淡路大震災をきっかけに社会復帰を宣言。職を転々とする中、小さなコンサートを企画する会社で働いているときに、フルート奏者の友だちが『もののけ姫』をオカリナで吹いたのです。そのとき「オカリナってこんなキレイな音がするんだ」と感動し、さっそくオカリナを購入。吹いてみると、音は鳴るもののグラグラする高音部の不安定さに「ぜんぶ指を離すなんてありえない」とすぐに断念。でも、どうしても『もののけ姫』を吹いてみたい……その気持ちが強くなって、グラグラしても、滑って前歯を打っても吹き続け、なんとかサビが吹けるようになりました。そんな頃に、病気からの社会復帰のことがメディアに取り上げられ「奇跡体験アンビリーバボー」に出演するというミラクルが起こり、その後さまざまな「講演会」でオカリナを吹くようになりました。

 

─ 大学在学中にクローン病を発病されたと聞きました。

 発病したのは4回生になる前でした。お腹の調子が悪く、1か月に15kgくらい激やせしました。クローン病と診断され即入院。治療法がないと、一生治ることはないと言われ、頑張ってはいけないとも言われました。卒業後はフランス留学も決まっていましたがドクターストップ。それでも、夢を諦めきれず、国内で頑張ろうと切り替えたところ、運良くプロのフルートアンサンブル「エリオ」のメンバーに抜擢され、その他にも演奏家としてのチャンスを確実につかんでいきました。しかし、頑張れば頑張るほど病状は悪化、腸閉塞を破裂させ、生死にかかわる手術に。この手術以降「がんばる力」を失ってしまいました。今から思えば一番しんどい時期でした。この後も再発と手術を繰り返し、現在も治療中。それでも「夢を持って生きるんだ!」と頑張っています。気合いと根性です(笑)。

 

─ 今のような前向きな生き方に変わったのは何かきっかけがあったのですか?

 発病後はいわゆる引きこもり。目標がない、夢がないのがどれだけ辛いのか、あの頃に学びました。未来に絶望し、人生を悲観していたときに阪神淡路大震災で被災。「生きるのしんどいな」と思っていた私が怪我一つなく無事だったのです。この頃から「生きる」ことと向き合うようになりました。しかし、頑張ろう!生きよう!と思うと病気が再発。めそめそしている私に、「自分の人生、自分で変えようとせんかったら何も変わらへんで!」と、同病の友人が怒りにやってきます。返す言葉もない私は、しっかり生きなくてはと考え直しました。

さらにインタビューは続きます。Ocarina27号



さくらいりょうこ
Profile
人生を奏でる講演家/パワーオカリナ奏者。15歳でフルートを始め、大阪音楽大学に入学するが、在学中に難病クローン病を発病。決まっていたフランスへの留学にはドクターストップがかかり、世界的な演奏者としての道は閉ざされていく。それでも入退院を繰り返しながら演奏活動を繰り広げ、アンサンブル「エリオ」のメンバーとして全国ツアーに参加、オペラハウス管弦楽団のオーディションに合格。だが、病状は悪化、腸閉塞を破裂させ生死を彷徨い、夢もフルートもあきらめてしまう。そして2001年、奇跡がおき、ステージ復帰のチャンスが巡ってきた。講演家としてステージで笛を吹く機会が与えられた。その頃はじめたオカリナの音色に「心が洗われた」という人が続出、オカリナの不思議な音の魅力を見つける。2018 年7月アルバム「パワーオカリナ」を完成。目標は高く、グラミー賞受賞。





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