サックス記事 82Z設計スタッフが今だから明かす驚きの開発エピソード!
祝 誕生20周年!多くのジャズメンを魅了し続ける先進の銘器82Z

82Z設計スタッフが今だから明かす驚きの開発エピソード!

今は亡きモダンジャズの巨匠フィル・ウッズが開発に際してアドバイスを送り、晩年に長く愛用したことでも知られる82Z。
ここでは、その現場をはじめ設計・開発の部署で実際に82Zの誕生や進化に携わってきたヤマハ株式会社B&O事業部 B&O開発部 部長の中島洋さんと、同じくB&O開発部 管教育楽器開発グループ主幹の内海靖久さんによる開発秘話をお届けしよう。
(文:原田和典/協力:ヤマハ株式会社、株式会社ヤマハミュージックジャパン)

ヤマハ株式会社B&O事業部 B&O開発部 部長の中島洋さん(右)と、同じくB&O開発部 管教育楽器開発グループ主幹の内海靖久さん

フィル・ウッズの自宅で行なわれた82Z試作品の製品チェック

2002年、第1世代のYAS-82ZとYTS-82Zが発売されました。開発のきっかけを教えていただけますか。
中島 洋
当時のジャズミュージシャンはヴィンテージのサックスを使っている方が多かったんです。つまり、当時の新作のサックスが、そうした音楽家にとってはファーストチョイスじゃなかった。ジャズやポップスを演奏する方々に寄り添える新作サックスも必要だということで私の先輩の釼持さんが中心となって開発しました。
内海靖久
ジャズの方にもYAS-62やYTS-62であるとか、当時のカスタムである875シリーズ、旧モデルである855シリーズを見てはいただいていたと思うんですが、82Zに関しては、本当にジャズの演奏家、ヴィンテージサクソフォン等を愛用する人たちを意識して作られたと聞いています。
中島
62の基本設計をベースに、新しい要素を加えた上で、まずジャズの奏者に見てもらいたいと。
開発にアドバイスを送ったフィル・ウッズとは、どんなやり取りがあったのでしょう?
中島
2001年にアメリカで木管楽器すべてのR&D(Research& Development)担当者になりました。ちょうどその頃「フィル・ウッズがヤマハのクラリネットに関心を持っている」という話が耳に入ったんです。フィルさんはジャズサックス奏者ですが、ジュリアード音楽院ではクラリネットを専攻していました。そこでクラリネットと一緒に、ちょうど開発が始まっていた82Zの試作品も見てもらおうと。ウェートのバランスも見直して、軽くするところは軽く、締めるところは締めるなどジャズ奏者が求める性能を目指して作られた試作品です。最終的に855ベース、62ベースの82Zのラッカー仕上げ、82Zのアンラッカー仕上げの計3本の試作品を自宅まで持っていって、吹いてもらいました。その中で最後に吹いたアンラッカーがものすごい勢いで鳴って、彼独特のフレーズも飛び出して「この楽器にはガッツがある、魂がこもっている!」と言って、その日から使い始めてくれました。
 1か月後、日本から「一部の部品を替えたい」という連絡がありました。フィルに「絶対に元に戻るから」と説得して、一部部品を組み替えて。で、部品を替えたら今度は鳴らなくなっちゃった。フィルに「これはひどい!」と激怒されて、またまた元に戻して。「直りました。これで大丈夫です」と伝えたら「大丈夫かどうかは俺が吹いて決める」と言われて(笑)。自分のせいでヤマハとフィル・ウッズの関係が終わるかもしれないと思って、死ぬほど喉がカラカラになりました。結果的には「you can stay」と言われたんですが。
 
初めて82Zのテストをした日にフィル・ウッズの自宅前にて。上段中央がフィル、その右隣が当時の設計者である釼持さん、フィルの左隣がピアニストのEric Doney、下段右が中島さん

高い次元で表現したい音楽家たちに寄り添うことを標榜する82Z

ハイF♯キィなしのモデルが用意されたことも話題を集めました。
中島
2001年にボブ・マローン(ボビー・シューとヤマハのジャズ・トランペットも開発)と私がいた、当時(ミシガン州)グランドラピッズにあったカスタムショップでこの改造を始めました。特にテナーはアルトより管が長い。奏者がより楽器と一体化するためには余分な空間がないほうがいいと思いましたし、ヴィンテージを使っている奏者はF♯キィなしでも高音はフラジオで出せますから。アンラッカーもF♯キィなしも当時のヤマハでは製品化されていなかったので、それを何とか出そうと日本側に評価を送って、達成しました。営業チームも一緒になって新しい売り方を考えてくれたと思います。
2013年には第二世代が発売されましたが、両世代の82Zを通じておふたりが最も大事にしていることは何でしょうか?
内海
第一世代は欧米でも良い評価をいっぱいいただきましたが、もっと進化させたいという思いがありました。初代発売からいただいたフィードバックを元に第二世代の開発を始め、10年後にリリースすることができました。両世代を通して大事だと思ったのは、高い次元で表現したい音楽家たちに寄り添うこと。百人分の希望に沿う百通りの楽器を作れるわけではないのですが、一人ひとりと真摯に向き合って、彼らの演奏を支援すること。そこはブレずに取り組みたい。そのために基本性能をしっかりと作りこんで、プレイヤーの表現したいことができるような楽器にしたいですね。
中島
海外のR&D時代、私のほうで個性を作り込んだ楽器を持っていっても、演奏家から「俺はもっとこう演りたい!もっと自由度が欲しい!」と言われることもよくありました。製作側で楽器の個性を制限してしまう前に、大きなキャパシティを持った楽器を奏者に提供する。どこまで表現者に寄り添っていくかが、これからも私たちの課題です。
奏者の思いに真摯に耳を傾け、奏者の演奏を楽器開発を通してサポートしていく。その姿勢は昔も今も変わらず、Yamahaの開発メンバーにしっかりと受け継がれていることがよくわかりました。ありがとうございました。
 
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