サックス記事
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音楽はシンプルに! 作戦は必要ない!!

THE SAX vol.101 Interview │ 神崎ひさあき
神崎ひさあきphoto by Morito Suzuki

日本のフュージョン/スムースジャズ・サックスの先駆者として、1980年代からシーンを牽引してきた神崎ひさあき。デビュー40周年を迎えた現在もアメリカと日本を行き来し、国際的な活動を展開している。そんな神崎氏の連載が「THE SAX」次号よりスタートする。今回は、氏のサックス人生をご紹介しよう。
(協力:柳澤管楽器株式会社、株式会社プリマ楽器)

神崎ひさあきphoto by Morito Suzuki
 

甲子園に行くために選んだ手段

まずサックスとの出会いについて聞くと、意外な話が飛び出した。
「少年野球をやっていて野球の実力はさほどでなかったけれど、当時からリーダーシップがあったのかキャプテンを任されていました。それで中学に進学する際に、同じチームのメンバーが野球の強豪校へ特待生として引っ張られるのを見て、悔しくてね。憧れの甲子園に行くためには、自分も同じ学校に行かねばと一念発起しました」

入試を経て進学した中学校で、誰よりも早く甲子園に行くためにとった手段が、吹奏楽部に入学すること。応援団として、甲子園へ行くことを選んだのだ。そこでサックスと出会う。
「先輩に、お前はサックスを吹く顔をしている、と言われてね。アルトが中心だったけど、バリトンもやりました。そのとき渡されたのが、なんとヤナギサワのサックスでした。我が家は母が映画音楽好きで音楽が溢れていました。レイ・チャールズやサム・テイラーも流れていましたね」

当時、憧れていたプレイヤーはソニー・ロリンズと渡辺貞夫。神崎少年は中学時代からジャズ喫茶に通い、読書に励む。時の文化とモダンジャズが融合していた時代だった。進学先は中高一貫校だったため、中学2年で念願の甲子園デビュー! 目的は達成したので、今度は勉強に力を入れようと方向転換。さらにレベルの高い公立高校へと進学した。サックスより勉学に力を入れるつもりでいたが、友人に誘われて吹奏楽部に再び入部し、サックスを楽しく吹く日々が続いた。
「東大を目指していてね。それがダメで、 青山学院大学に進学しました。このときも悔しくて、最初の1年間は猛烈に勉強した。でも、初めての東京での一人暮らしで、ちょっとノイローゼ気味になってね。もう面倒になって、その生活を辞めることにしました。勉強にはもうけりを付けた。自分ができていないのは、サックスだけだなと考えました」

音楽の“間”と“リズム”を教えてくれた師匠

神崎ひさあきphoto by Satsuki Murakawa
神崎ひさあきphoto by Satsuki Murakawa

青学でもジャズ研には所属していたが、もう一度やり直そうと向かった先が、ヤマハのネム音楽院(現・ヤマハ音楽院)の東京分校(恵比寿)。山口真文氏に出会い、師事することになる。当時の山口氏は、その後のプレイヤーズ時代のようなフュージョンスタイルではないが、真新しいプレイをしていたという。
「山口さんは、“バップはやらなくてもいい”と言っていました。教育としては、スケールを教えるだけ。ただシンコペーションなどリズムには厳しかった。たくさん泣かされましたよ。レッスンの帰り道で涙が出るから、恥ずかしくてね。サングラスをかけるようになったのは、それからかなぁ(笑)」

師匠の教えは、神崎青年に多くの影響をもたらした。
「彼は間を大事にしていました。“ペラペラ吹くな” “まずはドレミファソラシドで音楽をやれ”“奇をてらうな、歌えばいい”と教えられました。要するに、音楽のフレーズをためて、貯金箱から出すみたいに吹くものじゃないと。それなら銀行員になったほうがいいからね(笑)。僕にとっては、受験に挫折したことも大きく影響しています。暗記力が良ければいい大学に入れるという日本の教育を見せつけられ、じゃあ手順を省いたときに何が残るのか? そこから、真実を見つけられるのか? そういったことを山口さんから感じました。音楽は創造であり、“間”と“リズム”が大事なんだと学びましたよ」

 

次ページにインタビュー続く
・道を切り拓いた鮮烈なデビュー!
・愛用して35年にもなるヤナギサワサックス

プロフィール
神崎ひさあき Hisaaki Kanzaki

高知県出身。日本のフュージョン・ブームをリードした「神崎ON THE ROAD」を結成し、1980年「OPEN MY ROAD」でデビュー。以降、国内で3枚のアルバムをリリース。1986年に渡米し、1988年、リッピントンズのラス・フリーマンらを迎えアルバム「KANZAKI」をリリース。帰国後、数々のTV番組や映画等のテーマ曲を担当。自作の『so far away』(マイケル・ホワイトがリリース)は、全米ジャズ・チャートで第9位に。盟友マイケル・パウロとのプロジェクト“The Asian Soul Brothers”など、グローバルな活動を展開中。

使用楽器
<ソプラノ>

■楽器:Yanagisawa SC-9937PGP、S-992SP ■マウスピース:Wood Stone Custom Made ■リード:Hemke 2.5
<アルト>
■楽器:Yanagisawa A-WO37PGP、A-WO1 ■マウスピース:Ted Klum contemporary 8 ■リード:LaVoz MH
<テナー>
■楽器:Keil Werth EXgp、Yanagisawa T-880BL ■マウスピース:Yanagisawa Custom Made ■リード:D'Addario Select Jazz 3 medium Unfiled

 

01
OPEN MY ROAD
02
KANZAKI
03
ASIAN SOUL BROTHERS
04
so far away
 

01:神崎オン・ザ・ロードのデビューアルバム「OPEN MY ROAD」(日本フォノグラム)
02:神崎の実質上のアメリカデビューとなった「KANZAKI」(徳間ジャパン)
03:神崎とマイケル・パウロのユニット作「ASIAN SOUL BROTHERS」(Real Play Records)
04:全米チャート9位、楽曲提供したマイケル・ホワイトの「so far away」(Noteworthy Records)

登場するアーティスト

神崎ひさあき
Hisaaki Kanzaki

高知県出身。青山学院大学卒業後、日本のジャズ・フュージョンブームのスタートとなる「神崎on the road」を結成。1980年、『OPEN MY MIND』でデビュー、その後3枚のアルバムをリリース後渡米。1988年ラス・フリーマン、リッピングトンズ等を迎えアルバム『KANZAKI』をリリース。帰国後は数々のテレビ、CMの音楽制作、プロデュースなどの活動を積極的に行なう。作曲の『SO FAR AWAY』をマイケル・ホワイトがカバー、アルバムタイトル曲としてリリースし、全米ジャズチャート9位にランクインされコンポーザーとしても評価される。マイケル・パウロとのプロジェクト『エイジアン・ソウル・ブラザーズ』での活躍など、国際的な幅広い活動を展開。DJ、クラブイベントのプロデュースなども行なうなど、クラブミュージックシーンでの活動も展開中。http://www.kzsax.net/

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神崎ひさあき