サックス記事

「ムード・サックスを極める」 沢中健三インタビュー完全版

THE SAX vol.94

ザ・サックス94号付属CDでの哀愁漂う演奏と、ムード・サックス必須の演奏法を解説いただいた沢中氏の、誌面に収まりきれなかったインタビューをここで紹介しよう。

 

沢中健三
沢中健三
――
沢中さんがサックスを始められたきっかけを教えていただけますか?
沢中
中学で吹奏楽部に入部してアルトサックスの担当になり、高校卒業までやっていました。吹奏楽部に入学の際、同じクラスの友だちと3人で同時に入部したんですが、3人ともトランペット希望で、でも余っている楽器が1本しかなかったんです。しかも、そのうちの1人が、小学校の鼓笛隊でトランペットを吹いていたらしく、無条件でトランペットに決定してしまいました。そのとき先輩が「きみこれ吹かない」と持って来たのがアルトサックスでした。当時はサックスという楽器を知らなくて、でも指使いは縦笛と一緒で、何となく吹いたら「ドシラソファミレド〜」と、たまたまだと思うんですが下のドまで音が出て、「一発で低いドが出るなんて、君天才だ!」と……何となくその先輩のおだてに乗っちゃって、「じゃあサックスで良いかな」という感じになったんです。
 
しばらくして友だちの家に遊びに行ったとき、別の学校の吹奏楽でトロンボーンを吹いているその友だちのお兄さんに「俺も吹奏楽部に入ったんだ」と言ったら、楽器はなに?と訊かれ、アルトサックスと答えると「傷だらけの天使」のテーマが吹けるじゃんと言われたんです。「傷だらけの天使」といえば、主演のショーケン(萩原健一)が大好きで、小学校のときずっと観ていたドラマです。沢中健三の“健”もショーケンから取って付けたくらい未だに大好きなんです。でもあの傷だらけの天使のメインテーマがサックスだということは知らなくて、「あの曲吹けるんだ、あれってアルトサックスなんだ」ということを知ってから俄然やる気が出たというか、そこからはトランペットを吹きたいという気持ちは無くなり、サックスに命は掛けないかもしれないけど、これ一本で行こうという気になりました。いまでこそサックスは人気の楽器で、希望してもなかなか担当にはなれないようですが、当時はそれほど人気の高い楽器というイメージではなかった気がしますし、たまたま吹奏楽部にサックスが余っていたのかもしれませんけどね。ただ、この年までサックスで仕事をしていることを思うと、あのときサックス担当になって本当にラッキーだったと思います。中学生のときのサックスとの出会いはそんな感じです。
高校になってからは渡辺貞夫さんのカリフォルニア・シャワーなどのフュージョンが流行りだして、当時はフュージョンというよりジャズ・ロックとかクロスオーヴァーと言われていたのかな……。それで渡辺貞夫さんを観にLIVE UNDER THE SKY(1992年の夏まで開催されていた日本のジャズフェス)などに行ったりして、ライブ終了後、会場から出てきた貞夫さんの車をみつけ、窓をバンバン叩いて、「サインくださーい!」とねだってサインもらいましたね。いま思うとすごく恥ずかしいんですけど……。
トロンボーンの村田陽一くんも古くから知っている同い年の友人で、彼は貞夫さんのアレンジとかやっていて、貞夫さんと一緒に仕事ができるくらい楽器も上手くて、めちゃめちゃうらやましいですね。
プロフィール
沢中健三

ムード・テナーの帝王「サム・テイラー」のスタイルを受け継ぎ、「平成のサム・テイラー」を目指すべく、ポニーキャニオンよりCDデビューし、魅惑のステージを展開している。TBSラジオ『大沢悠里のゆうゆうワイド』の専属サックス奏者として、約4年間の月いちレギュラー出演を経て、現在、主に中高年層を主体としたイベントやコンサート、各地域の余興等で活動中。
オフィシャルサイト:https://sawakenmood.com
また、別名「淡谷三治」を名乗り、バンド「MEN'S5」ではヴォーカルや作詞作曲を務め、1994年『"ヘーコキ"ましたね』で有線放送大賞新人賞を受賞。その他『とってもウマナミ』は、アニメ「みどりのマキバオー」のエンディング曲としても知られている。それと並行し、大人パンクバンド「LASTORDERZ」ではベースや作詞作曲を務めている。さらに、本名「佐藤公彦」では、「SALLY」や「VIBRASTONE」にサックスで参加し、海外のフェスやイベントにも参加。その他の活動としては、矢沢永吉、福山雅治、バブルガム・ブラザーズ、関ジャニ∞、EXILE、小泉今日子、ゴスペラーズ…他、数多くのバックバンドやレコーディングに参加、今日に至る。
 

Live Information

サワケン&有里プレゼンツ
昭和ムード・ミュージックの夕べ ~薫風に心は踊る春の宴

沢中健三&中村有里による記念すべき第1回ホール・コンサート「昭和ムード・ミュージックの夕べ」を、サワケンが生まれ育った荒川区のムーブ町屋にて開催します。ピアノ伴奏に「ゆうゆうワイド」でおなじみの大久保治信を迎え、サックス演奏による懐かしの昭和歌謡、煌めきの洋楽スタンダードを、見やすい・聴きやすい会場にて、いっそうムーディーにお届けします。

日時:5月30日(木)
開場:17時40分
開演:18時30分 2部制/途中休憩あり
会場:ムーブ町屋ホール
東京都荒川区荒川7-50-9 センターまちや(サンポップマチヤ)3F
東京メトロ千代田線町屋駅下車1分
都電荒川線町屋駅下車1分
京成線町屋駅下車1分

 

次ページにインタビュー続く

2ページ:高校時代に受けたバンドコンテストとSALLYでのデビュー

◇沢中氏のサックスプレイヤーとしての将来を決定づける仲間とのバンド活動。プロサックスプレイヤーとしてキャリをスタート

Q2:吹奏楽からバンド活動に至ったのはいつ頃ですか?
Q3:高校卒業後のサックスプレイヤーとしての活動は?
Q4:SALLYの『バージンブルー』は当時CMで流れていましたね。
Q5:沢中さんのサックスのスタートはアルトからだったということですが、テナーに変更されたのは、いつからですか?

3ページ:ロック系サックスプレイヤーとしての歩みとホーンセクションでの活動。そしてムード・テナー奏者誕生に至るまで

◇ロック系バンドのワンホーンでのサックスプレイヤーとしてのスタートから、伝説的ヒップホップバンド「VIBRASTONE」のホーンセクションメンバーとして参加。またヴォーカリストとして活躍の場を広げたあのバンドと‘’あの曲“。そしてさらにムード・テナーへと続く

Q6:ホーンセクションやバックバンドの演奏ならではの「あるある」について教えてください。
Q7:伝説的ヒップホップバンドの「VIBRASTONE」メンバーをはじめ、その後、佐藤公彦さんとして多岐にわたる活動があったと思います〜
Q8:その山内さんからムード・テナーとしてのお誘いがあったのはいつ頃のことでしょうか?

4ページ:ムード・テナー奏者としての活動を本格的に

◇ムード・テナーとしての本格的な活動を開始。ムード・テナーの帝王サム・テイラーを語る。また現在使用のマウスピースとの出会いと沢中流エクササイズについて

Q9:日本でバッキングなど収録して、その音源をハワイに持って行き、サム・テイラーが重ねて吹き込んだということですね。
Q10:今回の収録で太く艶っぽい音色が印象的でした。お使いのベルグ・ラーセン・メタルのマウスピースもその音色に一役買っていると思いますが、いつ頃からラーセンをお使いですか?
Q11:沢中さんがこれまで行なってきた練習方法を教えてください。例えばトランスクライブ(耳コピ)など行ないましたか?
Q12:例えばアドリブなどのときも、理論的なことより思い浮かんだフレーズをそのまま表現しているというということでしょうか。

5ページ:氏にとってのムード・テナー、ムード・サックスとは

◇ムード・テナーへの想いと、ファンへの想い

Q13:最後に沢中さんにとってムード・テナーを演奏することとはどういったことでしょうか?

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