世界に冠たるブランドとなるまでの道のり[後編]
世界的な総合楽器メーカー、ヤマハ。その管楽器製造部門の歴史は、トランペットから始まった。1966年、初代トランペットYTR-1の発売と同時にヤマハへ入社し、開発の先駆者として道を切り開いてきた川崎憲三氏。その歩みの傍らには、協力を惜しまないトッププレイヤーたちの姿があった。後編となる今回のインタビューでは、名立たる演奏家たちとの意見交換から、いかにして銘器が生まれたのか、その全容を探る。
(協力:ヤマハ株式会社、株式会社ヤマハミュージックジャパン)
※内容はTHE TRUMPET vol.5発刊(2019年10月)当時のものです。予めご了承ください。

川崎憲三 かわさき・けんぞう
富山県富山市生まれ。1966年日本楽器製造株式会社(現ヤマハ株式会社)に入社、管楽器研究課に配属され管楽器技術コンサルタント レナルド・シルキー氏(元シカゴ・シンフォニートランペット奏者、シルキー社社長)指導の下、トランペット他、金管楽器の研究・開発をスタート。1970年シルキー氏の招きでアメリカ・シカゴに留学。シルキー社で金管楽器製造技術習得のため研修するかたわら、ルーズベルト大学でトランペットをシカゴ・リリック・オペラ首席トム・クラウン氏に師事。1972年エドワード・タール氏が主宰する「トランペットセミナー in ヨーロッパ」に参加、ヨーロッパにおけるトランペットと音楽文化の変遷について研鑽を積む。1977年ヤマハ管楽器「アトリエ東京」を銀座に開設、国内外プレーヤーと身近に接しR&D活動を展開。1988年にはその拠点を米国に移し初代「Xeno」トランペット他金管楽器の開発に成果を挙げる。1998年管楽器研究・開発業務に復帰するとともに後進の指導・育成にも力を注ぐ。2008年ヤマハ株式会社退職後も、アトリエ大阪で嘱託として関西金管プレーヤーのサポートや変化するプレーヤーニーズに応えるべくR&D活動を2015年9月まで継続。現在71歳、浜松の自宅工房でトランペットと向き合う時間を楽しむとともに、生涯現役を目指す。
(※編集部注:川崎憲三さんは2023年11月にご逝去されました)
現在のヤマハ最上位機種 Xeno Artist Model YTR-9335CHSプレイヤーの声をキャッチする「アトリエ」の開設
シルキー社にあったマウスピースのコピーマシーンアトリエには国籍を問わずいろんな人が来店され、ヤマハの製品について率直な意見をいただきましたね。海外のプレイヤーは、来日すると忙しい日程のなか時間を作って来てくれました。「アトリエに行けば、新しい楽器のテストができる」という期待がそうさせたのだと思います。コンサート会場に楽器を持ち込んで本番でテストしてもらうこともよくありました。
ウィーンフィル、シカゴ、ボストン、フィラデルフィア、ニューヨーク、ロス、ベルリンフィル……70年代~80年代は、多くの海外オーケストラが来日公演をしていたので、多くのオケプレイヤーが来店してくれました。
予想以上の反響と活動成果に裏付けられて、2年後の1979年にドイツのハンブルグにもアトリエを開設しました。現在、そのネットワークは世界5ヵ国、7ヶ所(ニューヨーク、ロス、ハンブルグ、ウィーン、パリ、東京、大阪)に拡充しています。
オープン時のアトリエにてシルキー氏ともちろん、その当時のバックC管にも多少の欠点がありました。それは音程と製品のバラツキです。プレイヤーのなかには、バックの音色にヤマハの吹奏感や音程を兼ね備えた楽器が理想だと言う人もいましたね。何かを取ろうとすると、何かを失うのが、ものづくりの世界。音程を是正すると響きや音色に変化が生じ、大変悩ましいハードルの高い課題でした。シルキーさんは音程を最も重要視されました。この信念は生涯変わることはありませんでした。
(左から)本人、シルキー氏、ハーセス氏、3人の後ろに写るハーセス氏の肖像画はシルキー氏の娘さんが描いたもの(シカゴ シルキー社)>>次ページへ続く
・工場移転によるバック社の過渡期に需要が高まる
・ベルの改善が飛躍を生む
・最上級モデル、ヤマハXeno(ゼノ)の誕生
・伝説の楽器を研究し、斬新なアーティストモデルを発売
・新たな個性を求め、王道のニューヨークシリーズを開発
・川崎さん秘蔵photo
















