世界に冠たるブランドとなるまでの道のり[前編]
いまや世界でも指折りのトップブランドとなったヤマハトランペット。
しかし、そこまでの道程には紆余曲折、多くの試行錯誤の時代があった。
そこで今回は、ヤマハ管楽器第1号機YTR-1誕生の年にヤマハへ入社し、のちには国内外のアーティスト対応の窓口となる「アトリエ」(現ヤマハアトリエ東京)の初代室長にも就任した川崎憲三さんにインタビューを敢行。ヤマハトランペットの歴史を築き上げた当事者による回顧録だ。
前編となる今回は、かのレナルド・シルキーがヤマハにもたらした功績を中心に振り返る。
(協力:ヤマハ株式会社、株式会社ヤマハミュージックジャパン)
※内容はTHE TRUMPET vol.4発刊(2019年3月)当時のものです。予めご了承ください。
レナルド・シルキー氏
川崎憲三氏川崎憲三 かわさき・けんぞう
富山県富山市生まれ。1966年日本楽器製造 株式会社(現ヤマハ株式会社)に入社、管楽器研究課に配属され管楽器技術コンサルタント レナルド・シルキー氏(元シカゴ・シンフォニートランペット奏者、シルキー社社長)指導の下、トランペット他、金管楽器の研究・開発をスタート。1970年シルキー氏の招きでアメリカ・シカゴに留学。シルキー社で金管楽器製造技術習得のため研修するかたわら、ルーズベルト大学でトランペットをシカゴ・リリック・オペラ首席トム・クラウン氏に師事。1972年エドワード・タール氏が主宰する「トランペットセミナーinヨーロッパ」に参加、ヨーロッパにおけるトランペットと音楽文化の変遷について研鑽を積む。1977年ヤマハ管楽器「アトリエ東京」を銀座に開設、国内外プレーヤーと身近に接しR&D活動を展開。1988年にはその拠点を米国に移し初代「Xeno」トランペット他金管楽器の開発に成果を挙げる。1998年管楽器研究・開発業務に復帰するとともに後進の指導・育成にも専念する。2008年ヤマハ株式会社退職後も、アトリエ大阪で嘱託として関西金管プレイヤーのサポートや変化するプレイヤーニーズに応えるべくR&D活動を2015年9月まで継続。現在71歳、浜松の自宅工房でトランペットと向き合う時間を楽しむとともに、生涯現役を目指す。
(※編集部注:川崎憲三さんは2023年11月にご逝去されました)
輝かしき遺産
1963年にヤマハトランペットの開発が本格的にスタート
*1970年にニッカンがヤマハに吸収合併されるまでブランド「ニッカン」は併用された。
ヤマハを訪れた際のレナルド・シルキー氏。指導を受けているのは川崎氏>>次ページへ続く
・レナルド・シルキー氏と技術援助契約を締結
・シルキーによるスチューデントモデルの開発
・シルキーが開発した上級モデルのラインナップ
・アメリカへ留学しシルキー社で製造技術を習得
・YKとYRという2つのベルを独自に開発
・日本へ帰国後は、2回の大きなモデルチェンジに情熱を注ぐ
・ボビー・シューとの40年以上にわたるコラボレーション
・アーティストとともに進化し続けるヤマハトランペット
















