フルート記事
THE FLUTE vol.196 Special Contents│日本全国オーケストラの旅

日本のオーケストラの歴史

日本には北海道から九州まで40のプロのオーケストラが存在し、クラシック愛好家に素晴らしい音楽を提供してくれている。(編集部注:一般社団法人日本オーケストラ連盟 加盟団体)
それぞれが定期公演のほか、地域の子どもたちに提供する音教や指導、イベントなどに出演し、地域との密着した活動を続けている。196号から数回にわたり、日本全国のオーケストラを紹介したい。
第一弾の今回は、札幌交響楽団、山形交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、九州交響楽団の4団体を紹介しよう。
次号以降の第二弾、第三弾では、団体紹介のほかにオーケストラの名曲にチャレンジ、さらにフルート以外のオーケストラメンバーが語る、オーケストラの中の“フルートの魅力あるある”を掲載する予定だ。

オーケストラの始まり

西洋で“オーケストラ”が誕生したのは、18世紀のこと。バロック時代に特定の楽器の、固有の奏法や音色を求めて、楽器を指定するようになったが、それまでの音楽には楽器の指定はほとんどなかったと言われる。
18世紀に誕生したオーケストラは、宮廷やオペラ劇場に所属したものであったため、財力や当主の音楽への興味によって、規模は様々であった。
大人数のメンバーによるオーケストラは、ドイツ・マンハイムで誕生し、オーケストラ独自の音楽である“交響曲”はハイドンやベートーヴェン、モーツァルトによって形式が決まり、現在私たちが耳にする“オーケストラ”が形成されていった。
ただしシンフォニーによってその規模は様々で、モーツァルトなど古典時代のオーケストラは30人程度。その後ブラームスやブルックナーという作曲家が出てくると、50人以上のメンバーで構成されるようになる。さらに、20世紀になると100人以上の4管編成という大規模な編成が必要となる曲もある。
ちなみにこの“●管編成”というのは、木管楽器の編成人数を基礎に決まる。2管編成は60人程度、3管編成は80人程度(札幌交響楽団、山形交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、京都市交響楽団など)、4管編成は100人程度(NHK交響楽団、読売日本交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団)が概ねのメンバー数となる。

日本初のオーケストラ

では日本初のオーケストラはどんな団体が、いつごろ誕生したのだろうか。
東京音楽大学(現 東京藝術大学)の学生によるオーケストラが1899年に創立。アウグスト・ユンケルが管弦楽を整備した東京音楽学校管弦楽団で、これが日本で本格的な最初のオーケストラと言われる。現在は藝大フィルハーモニア管弦楽団と称しているが、教育・研究結果の発表を目的としており、曲や演奏技術の研究が本来の目的となっている点が一般のオーケストラとは異なる。
1880年代後半(明治20年代ごろ)に、商業目的で少年たちによる百貨店のブラスバンドが発足。その後店舗が大きくなるに連れて、少年だけでなく大人による楽隊を雇うようになる。1911年(明治44年)、「いとう呉服店」(現 松坂屋)で誕生した音楽隊が、1938年(昭和13年)には「中央交響楽団」として東京で活動を開始し、1945年(昭和20年)に東京フィルハーモニー交響楽団と名称を変更する。
日本に西洋音楽を広めた山田耕筰は、ドイツ・ベルリン音楽大学への留学から帰国した1915年(大正4年)に、留学のスポンサーでもあった財界の大御所が設立した音楽鑑賞サークル「東京フィルハーモニー協会」を母体としたオーケストラを誕生させる。
そして同じくヨーロッパ留学から帰国した近衛秀麿の協力があり「日本交響楽協会」を1924年(大正13年)に設立した。翌年に日露交歓交響管弦楽演奏会と題した、山田・近衛の指揮による演奏会を成功させ、1926年(大正15年)に「新交響楽団」を結成し、定期公演を開始した。この新交響楽団が、戦後の1951年(昭和26年)にNHK交響楽団となる。

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