THE FLUTE 165号

スタニスラフ・フィンダ  郷土に育まれた、チェコの音楽家たち

元プラハ交響楽団ピッコロ奏者のフィンダさんは、「フィンダピッコロ」の製作者としても知られる。プロ奏者から中学生まで、日本のフルーティストたちからも絶大な人気と信頼を得るフィンダさんに、同郷であるチェコ出身の音楽家たちについて語ってもらった。THE FLUTE165号誌面とは別バージョンのインタビューをお送りする。(取材協力:フィンダ志保子)

チェコ語の“音使い”がヤナーチェクのハーモニー

――
チェコ出身でフルートに関係が深い作曲家というと、真っ先にマルティヌーが浮かんできます。
フィンダ(以下F)
マルティヌーは本格的な作曲の勉強はパリでしましたが、フルートソナタを作曲したのは ナチス・ドイツのフランス占領によってアメリカへ避難している時でした。
――
そうなのですか。
F
彼はポリチカという小さな村で生まれ、両親が管理を任されていた教会の塔に住み、後にそこから見晴かす景色からイマジネーションを得てソナタを作った――ヤン・マハトのインタビュー(※)でも、話題になっていましたね。
しかし、もともと母国ではなくパリで勉強したいとパリへ行ったマルティヌーの音の使い方を聴いていると、とても色彩豊かですがチェコの伝統的な音楽とは違うと感じます。音の使い方がいかにもチェコだな、と私が思うのは、ヤナーチェクです。ハーモニーを聴いてもそう思うし、音の一つひとつが、ヤナーチェクが生まれた場所で話されている、チェコ語でもその地域独特の方言でおしゃべりしているかのように感じられます。
※チェコ・フィルのピッコロ奏者、ヤン・マハトさん。チェコ出身で、フィンダさんとは旧知の間柄。THE FLUTE161号のインタビュー登場時、マルティヌーと彼の作曲したソナタについて語っている。
――
ヤナーチェクは今年で没後90年を迎えた作曲家ですね。フルート界ではそれほど馴染みがないですが……。
F
そうなんですよ。ピッコロを使った木管六重奏を作曲しているくらいですね。彼の作ったフルートソナタがあれば面白かっただろうにな、と思うのですが。
――
フィンダさんの故郷は、ヤナーチェクと同じチェコの南モラヴィア地方だそうですね。
F
私とヤナーチェクはモラヴィア、マルティヌーはボヘミア出身です。モラヴィアは丘陵豊かな地域、ボへミアはどちらかというとなだらかな場所ですね。そういうところが音楽にも表れているのか……どうでしょうね。そういったことを頭の片隅に置いて、あらためて彼らの音楽を聴いてみるのも面白いかもしれませんよ。

プロフィール
スタニスラフ・フィンダ Stanislav Finda
チェコ・南モラヴィア地方出身。プラハ音楽院を経て、プラハ芸術アカデミー(HAMU)修士課程修了。プラハ芸術アカデミー在学中に、プラハ国民劇場オーケストラソロピッコロ奏者に就任。その後1987年~2008年1月までプラハ交響楽団ソロピッコロ奏者を務めるほか、チェコフィルハーモニー管弦楽団、ドレスデンフィルハーモニー管弦楽団等でも演奏した。オーケストラで演奏していく中で理想のピッコロが見つからないことから、ハンス・ライナーに弟子入りしその後自身で研究、製作を始める。オーケストラ奏者としての経験とその中での研究から生まれたピッコロは、これまでのピッコロのイメージを大きく変え多くの指揮者からも賞賛される。チェコ国内はもとより、ヨーロッパ各地、ロシア、日本等世界的に好評を得ている。現在、フリー奏者として、またピッコロ製作者・指導者として、多忙な日々を送っている。

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