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特集シリーズ \ 第3弾 /

Contents

ユーフォニアム
チューバ
楽器との出会い・ユーフォニアム
楽器との出会い・チューバ

◆ユーフォニアム:黒沢ひろみ

黒沢ひろみさん

 

群馬県出身。1989年国立音楽大学卒業。同大卒業演奏会および第5回ヤマハ金管新人演奏会等に出演。93年、第8回欧日音楽講座において奨励賞を受賞。94年、第9回レオナード・ファルコーニ国際ユーフォニアム・コンクールに入選。99年、トレイルブレイザーズ・テンピースブラス結成。2000年、The Great American Brass Band Festival にゲスト団体として招聘され、延べ4万人を超える聴衆に絶賛される。05年、CD『ア・ラ・カルト』リリース。89年より東京都台東区器楽専門指導員、92年より府中ジュニアウィンドオーケストラ講師を務める。市村信持、三浦徹、スティーブン・ミード、ブライアン・ボーマン、ロジャー・ウェブスターの各氏に師事。

 

それでも合奏は楽しかった♪

私が初めて経験した金管楽器は、実はトランペットでした。
小学生当時【トランペット鼓隊】というものがあり、5年生から6年生の間、母校では女子として初めてトランペットを吹かせてもらっていました。
そこで「ラッパって面白いかも?」と思ってしまった私は、当然中学校へ行っても続けたかったのですが、なんとそこには吹奏楽部がなく……運動が苦手だった私は体育系の仮入部にことごとく挫折し、“ほぼ帰宅部”の茶道部へ籍を置くことにしたのでした。
中1の夏休み明けに、合唱やレコード鑑賞を主な活動としていた【音楽部】から、先輩達の伴奏ピアニストとして勧誘され(ピアノは5歳くらいから習っていて、そこそこ弾けましたので……)、茶道部と掛け持ちで“たった一人の1年生”として入部することになりました。
自分が中2になったとき、夏には先輩達が引退して「音楽部は本当に私一人になってしまう!」と気づき、見知っているトランペット鼓隊の後輩や運動部に入っていなかった同級生を誘って、辛うじて何人か部員を確保しました。3年生が引退するまでは一緒に合唱などをしていましたが、いざ私と他の部員を合わせて7名(!)という局面を迎えたとき、「これから何をしようか…」「どうしようかねぇ……」と何の案もないまま、私たちは、とりあえず音楽室内の探索をしてみることにしたのです。まず、それまで触れたことのなかった大きな戸棚の“開かずの扉”を、片っ端から開けて中を探っていきました。これといった収穫のないまま一番大きくて古ぼけた木の扉を力任せに開けた、そのとき、まるでマンガの一コマのように、大小の、黒い棺桶(?)のような箱がいくつもガラガラと転がり出てきたのです。恐る恐る蓋を開けてみると、それぞれの箱の中には楽器と思しき物体が、いくつかは金属の色が分かる状態で、いくつかは赤茶とも暗緑色ともつかないサビに覆われヘンなニオイを放ちつつ、文字通り“眠って”いたのでした。
トランペットとサックスとフルートはすぐに判別が付きましたが、それ以外は、音楽の教科書の挿絵と照合しながら「あ、コレきっとトロンボーンだよ」「これは…チューバ?」「こっちはクラリネットかね」などと確認していくレベル……。それでも、とりあえず動くのか、音は出るものなのか、みんなで代わるがわるいじり回していきました。そのうちに「○○中学校ブラスバンド部」と押印されたボロボロの楽譜も出てきて……何年前に途絶えていたものか、とにかく「楽器出てきたんだからさぁ、ブラスバンドやんない!?」という話になりました。

黒沢さんが指導している学校で生徒たちと

黒沢さんが指導している学校で生徒たちと

さて楽器を割り振ろうという段で、いよいよ私の運命が変わります。もちろん私がやりたい楽器はトランペットだったのですが、後輩で自前のトランペットを持っている子がいて、そのうえ、なにしろ総勢7名なのです。コドモながら「ここでトランペット2人いても、ねぇ……」と殊勝にも考えた私が、「じゃあ一番大きなラッパをやってみっかぁ」と引っ張り出したのが、緑青まみれのニッカンのバリトンでした。実はこのとき、正直に言うと、私をはじめ誰もその楽器名を分かっていませんでした(教科書にはオーケストラで使われる楽器の絵しか載っていなかったものですから)。で、なにを間違えたか私たちは、これを一週間くらい“イングリッシュ・ホルン”と呼んでいたという、恥ずかしい事実もあったりなかったり…なぜその呼び名を選択したのかは、今もまったく理由が思い出せません。そして、この楽器をザブザブと洗って磨いて綺麗にするところから、私のユーフォニアム人生が始まりました(虫の死骸とかたくさん出てきたんですよ~(涙))。
ここで「一番大きなラッパはチューバじゃん?」と思ったそこのアナタ……これが悲惨なことに、ピストン1本と抜差し管1カ所が欠損していて楽器として使える状態になかったので、実際には「2番目に大きなラッパを選んだ」ということになります。もしあのときチューバが健全な状態にあったら、今ごろ私はテュービストになっていたかもしれません(苦笑)。

教育実習の時母校でソロ演奏

教育実習の時母校でソロ演奏

その後の部活は、と言うと、指導者がいない・人数が少ない・田舎町で専門の楽器店もない、という3拍子揃った劣悪環境でしたから、楽器と一緒に出てきた古い教則本を擦り切れるほど読み返したり、町の図書館へ通って「吹奏楽」「金管楽器」等の文字が見当たる本を手当たり次第に書き写したり、楽器ケースの中に散らばっていた古い行進曲譜などを音出ししてみたり、文字通り“見よう見まね”の毎日で、とても満足な吹奏楽活動と言えるものではありませんでした。それでも7人の合奏は楽しかった記憶しかないので、不思議なものです。
ただ、その反動で「高校へ行ったら思いっきり吹奏楽をやりたい!」という衝動に駆られたことが、なんだかんだで音大を目指すことに繋がり、現在の私を形成してしまいました。人間、どこでどうなるか、分からないものです(笑)。

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