アメリカ映画では、ユダヤ人、黒人、女性、障がい者、同性愛者など人類のマイノリティーとされてきた人々が、次々とフォーカスされ、主人公として登場し活躍してきた。
映画製作者は、次にどんなマイノリティを扱うかを探しながら、エンタメヒーローを作り上げてきた。
1980年代以降のアメリカ映画から私がジェンダー論を研究してきたのも、このような土台があったからである。
そんななか、昨今のトランプ大統領により、“多様性を撤廃する”という宣言があり、もはや時代を巻き戻ししようとしているようだ。
これは、映画は時代に率先して進化する、という製作上の問題だけではなく、とてつもない人類の意識の後退を招くかもしれない。
かつて、大先輩の映画評論家、水野晴朗氏がまだお元気だったころ、ある報道番組に共演し、私の提案により“ゲイ映画特集”をしたが、「こんな映画は嫌いだよ」と大先生からの否定的なコメントを受けたことがあった。
しかし、ゲイで知られるレスリー・チャンが来日したとき、わざわざ飛行場まで一緒に迎えに行こうと誘われたのは意外だったが、時代の変化を受け入れる土壌が身近にあったからか、別の理由だったからか、この謎はまだ解けていない—。
ちなみに、このときレスリーは、威厳のあるタイプの水野氏を避けて、なぜか私の方にしか話しかけなかった記憶がある。
レスリー・チャンが主演した「覇王別記」(1993年/中国・香港・台湾合作映画)は、私にとって生涯のベスト作品の1本で、「ルードヴィッヒ 神々の黄昏」(1972年/伊・仏・西ドイツ)に次ぐ、ホモセクシャルな心情を描く傑作だ。
こうした格調高いアート映画から、ゲイのセクシュアリティがリアルな存在として描かれ始めた現代、これもリアルと感じたのが、今年公開のゲイ映画「クィア/QUEER」(2025/伊・米)。
主人公は007シリーズの 5代目ボンド役でおなじみ、ダニエル・クレイグというのだから、見逃せない。
ダニエル・クレイグは、洗練された身のこなしが完璧すぎて、ボンドキャラの古い“女好きさ”はまるでなく、ナルシストかゲイかと思えるパリコレのモデル系で、私が一番好きなボンドアクターといえる。
そんな彼が50代後半に入り、ゲイ・キャラに突入(待ってました!)。
新作「クィア/QUEER」で、ばりばりのリアル・ゲイ・オジとして登場するから面白い。
ゲイの年の差純愛ものに、ビヨルン・アンデルセンとダーク・ボガードの「ベニスに死す」(70年、伊・仏)がある。
初老の男が、美しい無垢な少年にひたすら目線を送りつづける片思いの愛で、ヴィスコンティ監督の映像美に圧倒された。
男女の恋の行方に限界を感じるとき、男同志の恋が、新鮮に見えてしまうのは、“禁断”の匂いを放つからか、ゲイの監督らが、美を描くのに長けているからか。
本作は、初老ゲイの恋心を描く意味で、「ベニスに死す」リアル現代演出版といえよう。 わざと体型をちょっぴり崩して、老いに近づくゲイオジとなったダニエル・クレイグが、“私はクイアじゃない”と頭の中で叫びながら、ひとりの若い男に夢中になる。
ちなみに、かつて差別用語であった“クイア”(奇妙な、という意味を持つ同性愛者のこと)というタイトルは、原作にある原題のままである。
ウィリアム・S・バロウズが、あの「裸のランチ」よりも前に執筆した自伝的小説「おかま」(日本語訳)が過去に出版されていたが、昨今の映画化により、日本語タイトルも「クイア」になった。
ゲイピープルが、自ら“クイア”と被虐的に呼ぶ表現が、映画のタイトルにまで発展した。
物語は、1950年代のメキシコを舞台に、老いに近づいたアメリカ駐在員が、美しい若者に一目ぼれしたところから始まる。
エリート駐在員は、ねらいの若者も“クイア”なのかどうか、頭を悩ませながら、ひたすら目で追いかけていく。
やがて、出入りするバーがクイアも行くような場所であることをつきとめる。
いつも年上の女性といる若者は、何者なのか?もしかして、“クイア”なのか?
このあたりから、私が生々しいリアル感を感じていくのは、ゲイの友人たちと新宿2丁目界隈によく行ったからだろうか。
ゲイが多く出入りする酒場エリアでは、観光バーという女性も入れるようなレベルの店もあり、そこにいても、男性はすべてゲイとは限らない。
彼はどうなのかしら、と遠慮しながら、チャンスを伺うゲイ友人の興味深い行動を横目に、関係のない私までわくわくしたものだ。
こういう心の動きを、初老のゲイオジ、ダニエルが実にリアルに演じる。
あのクールなモデル系アクションスター、ダニエル・ボンド・クレイグとは思えない男心の繊細さがあふれ、ぞくぞくする。
もちろん、性的なシーンもがっつり見せる、リアルゲイものである。
ここは、ゲイ界隈でも話題になりそうで、おススメできるかも(たぶん)。
若き肉体に翻弄されながら、身を焼き尽くしていく初老の純愛は、男女間よりも痛々しさにあふれているからドラマチックだ。
ダニエル・クレイグならではのストイックなありようが期待を超えて、ドキュメントのようにさえ見える。
昨今は非モテ男が女性に逆恨みしたり、権力をかさにきて、女心を傷つけたり、醜い性トラブルや事件が巷にあふれるが、本作は、クイアならではの切なさと人間味にあふれている物語。
自伝を書いた原作者、W・S・バロウズが、もっと変態チックかと思ったが、意外にも純愛主義者であることに癒される。
「クィア/QUEER」5月9日(金)新宿ピカデリー 他 全国ロードショー
©2024 The Apartment S.r.l., FremantleMedia North America, Inc., Frenesy Film Company S.r.l.
© Yannis Drakoulidis
2024年/イタリア・アメリカ/カラー/ビスタ/5.1ch/137分/字幕翻訳:松浦美奈 映倫区分:R15+
[原題]Queer
[監督]ルカ・グァダニーノ(『君の名前で僕を呼んで』、『チャレンジャーズ』)
[出演]ダニエル・クレイグ、ドリュー・スターキー 他
[配給]ギャガ
木村奈保子
作家、映画評論家、映像制作者、映画音楽コンサートプロデューサー
NAHOKバッグデザイナー、ヒーローインターナショナル株式会社代表取締役
www.kimuranahoko.com
木村奈保子さんがプロデュースする“NAHOK”は、欧州製特殊ファブリックによる「防水」「温度調整」「衝撃吸収」機能の楽器ケースで、世界第一線の演奏家から愛好家まで広く愛用されています。
Made in Japan / Fabric from Germany
問合せ&詳細はNAHOK公式サイトへ
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