前号では、映画音楽界の巨匠、ミシェル・ルグランのドキュメント映画を紹介した。 そのつづき、補足から、ヒロイン映画についてのお話。
バーバラ・ストライザンドが自らの企画をあちこちに持ち込んでは断られ、やっとのことで実現させた「愛のイエントル」。
ルグランが音楽を担当したこの映画は、“女性の生き方’’についてのメッセージをリアルに伝えるミュージカルだ。
女子は、勉強せず、台所にいればよいという考えが当たり前の時代、本が好きなヒロインは男装をしてまで神学校に入学。
優秀な男子と同等レベルの学問生活を送りながら、微妙な違和感が芽生え始める物語。
男友達のはずの男装ヒロインが女性とわかり、やがて二人の関係は複雑になる。
男同士だと、同じ土壌で楽しいコンビになるのに、男女となると、立ち位置が異なり、女性側がその力を排除されてしまうのは残念だ。
愛する女性には、別の空間=台所に入ってほしいと望む男性の願望は、その昔から特別なことではなかった。
夢を共有するのではなく、自分の夢を支えてほしいと願うのは、男性にとっては特別おかしいことではない。
ヒロインは、この疑問から愛を捨て、別世界に向かうというエンディングが印象的だった。
これは1980年の作品で、アメリカ映画は、美男美女のラブストーリーから現実的な女性のありかたを問う方向に転じた。
バーバラが歌の上手さを武器に、女性の自立を訴えたことは新しい時代を示唆するものだった。
バーバラの信念が詰まった自主映画のような作品だったが、1984年、アカデミー賞でミシェル・ルグランが歌曲賞を受賞し、ゴールデン・グローブ賞では、バーバラ・ストランドが主演女優と監督賞を受賞した。
恋愛よりも、女性の自立を選ぶヒロイン像を描いたため、ハリウッド映画のエポックメイキングとなった。
ヒロインは自ら失恋をしたというのに、別世界=都会に向かう船上で、泣くどころか、力強い歌を未来に託して歌う。
巨匠、ルグランの曲はどれもバーバラのキャラクターに沿ったダイナミックな展開が魅力だ。
男性は、恋も夢も両方得られるのに、女性だけは、恋のために夢を捨てなければならないのはなぜ?
珍しい“男装”や“ルグラン・ミュージカル”という形で、ソフトなテイストにしながらも、バーバラは、ラブストーリーに現実的なテーマを盛り込んだ。
かくして、女性映画は、かつての悲恋のラブストーリーではなく、現代を生きる女性の心情を主としたヒロイン映画が、次々と作られるようになるのである。
新たな男女関係の変化や摩擦に挑む方向性が決まり、これは、恋愛映画に限らず、たとえ大作アクションヒーローものの付属的な恋愛シーンであっても、男女の意識の変化が先進的に描かれることは、アメリカ映画の常識になっている。
つまり、監督個人の思想や考えにより、昔のヒロイン像、古い男女関係を持ち出して賛美する脚本はない。
こうしたハリウッドの方程式が、すべての作品のシナリオの基本となり、“後退させない”のがルールとなった。
やがて、映画は女性だけではなく、移民や障がい者などマイノリティーの人権運動へと発展させていくのである。
当時は若かった私も、こうした社会的背景をアメリカ映画の中に見出すことが、名作大作の演出や演技、撮影以上に興味深く、アメリカ映画を中心に研究したいと思ったきっかけだ。
ヒロイン像にフォーカスすると、古き良き時代の映画ファンとは、まったく視点が異なる。
大先輩の水野晴郎氏が、「風と共に去りぬ」を生涯のベストワンとされているが、「奈保子ちゃん、強い女性が好きなら、ヒロインのスカーレットが好きなのでしょう?」と聞かれたことがあり、そのときすぐさま、いいえ、と否定した。
永遠の名作「風と共に去りぬ」(1939年・米)のビビアン・リー演じるヒロイン像について考えると、ヒロインは、道を外した恋をし、強い男性にわがまま放題で振り回す悪女的なヒロインに見え、最後には、♬明日は明日の風が吹く~……と、それはないだろうと、正直思ったものだが、ビビアン・リーのめくるめく美貌とタラのテーマの曲の美しさにより、あっというまに筋道は、かき消されてしまった。
あくまで当時描かれたヒロイン像の問題だ。
美貌による愛されパワーは、決して自立的なものではなく、女性的な魅力に負うだけである。
これが、男性のヒーロー像なら、自分の力をもっと広く発揮し、いろいろ才能があり、多くの人を救うからかっこいい。
残念ながら、世間では映画が娯楽でしかなく、いま何が面白いの?という感覚でしか話題にされない。
しかし、映画界ではヒロイン像ひとつをとっても、確実に変化と進歩を遂げてきた。
それは、映画の中にだけ登場する夢のような存在ではなく、生身の人々の生き方が時代とともに反映されてきたのだ。
このヒロイン学というテーマでは、多くの欧米映画を例に「バナナをつけた女たち」「女を読む映画」など自著にまとめているが、当時でも、マスメディアの女性から、この本は“先を行きすぎ”だから、3歩から5歩、いやもっと何十歩も下がって、日本人の歩調に合わせてみないと伝わりにくい、と言われたことが忘れられない。
あれから、40年近くを経て、スタート地点の「愛のイエントル」を思い出した。
この映画を観た人は、日本では本当に少ないだろう。
私が、映画と人権運動をテーマに講演活動を積極的にしていたときは、地方に映画館がなく、配信映画もなかったため、講演後に復習をしようにも、厳しい側面があった。
いまや配信で観ることができる時代になった意義は大きい。
ただ配信サイトは、タイトルが多すぎて、何をどう見てよいのかわからないという人も少なくない。
どこもジャンル分けが凡庸すぎて、映画をその場しのぎの娯楽として消費するだけのポジションしか与えられていないようで、残念だ。
女性が生き方に迷ったら、ヒロイン学の視点で観ることをお勧めしたい。
*「愛のイエントル」は、配信でも見れないマニアックさで、DVD海外版のみ。
映画とヒロイン像の変貌をテーマにした著作は、こちら。
https://www.kimuranahoko.com/book.html

女を読む映画
—愛されるばかりが人生じゃない—
近代文藝社 刊
[価格]¥1,602(税込)

バナナをつけた女たち
—性が変わる、愛が変わる、映画が変わる—
ベストセラーズ 刊
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木村奈保子
作家、映画評論家、映像制作者、映画音楽コンサートプロデューサー
NAHOKバッグデザイナー、ヒーローインターナショナル株式会社代表取締役
www.kimuranahoko.com
木村奈保子さんがプロデュースする“NAHOK”は、欧州製特殊ファブリックによる「防水」「温度調整」「衝撃吸収」機能の楽器ケースで、世界第一線の演奏家から愛好家まで広く愛用されています。
Made in Japan / Fabric from Germany
問合せ&詳細はNAHOK公式サイトへ
[フルート]
ピッコロケースガード Manciniシリーズ
ピッコロのNEWカラーがフルートとお揃いの本革巻きハンドルで揃いました。
POINT:これまでとサイズ感が異なる新型で、マチ幅が若干薄くなり、蓋が開けやすくハードケースを取り出さずに、NAHOKに入れたまま開閉できるのも魅力です。
ピッコロのサイズはいろいろあり、一番長い30~32cmをベースにしています。これより短めのハードケース(24cm~29cm)には、5cm~6cm前後の余り部分に調整用として、クリーニングスポンジを入れたアジャスター袋を付属しています。縦とマチ幅はほとんどのメーカーが同じくらいです。内装にファスナーポケット付きです。






[クラリネット]
特注コンパクトケース
クランポン、コンパクトケースは、以前から左右に余裕のある形状がありますが、昨今は、少しでもコンパクトに、とのことで特注版のスクエアタイプが人気です。
東京都交響楽団 クラリネット奏者の糸井裕美子(いといゆみこ)氏の特注版を参考にしました。スカーレットを選ばれたセンスが素敵です!
サイズ調整:左右のみマイナス-8cm、縦、横とも同じサイズの正方形に修正+7ミリ(厚み追加) 38.5×2×11cm

東京都交響楽団 糸井裕美子 (いといゆみこ) Yumiko ITOI
https://www.tmso.or.jp/j/tmso/member/itoi-yumiko/
兵庫県立西宮高等学校音楽科、東京藝術大学、ケルン音楽大学卒業。第8回日本木管コンクール(クラリネット部門)第1位、第68回日本音楽コンクール第2位など、入賞多数。
クラリネットを小川哲生、鈴木良昭、村井祐児、ラルフ・マノの各氏に、室内楽をアルバン・ベルク弦楽四重奏団などに師事。東京藝術大学管弦楽研究部講師を経て、2010年に都響へ入団。洗足学園音楽大学非常勤講師。
参考にした糸井氏のケース>>BACK NUMBER
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第80回:生き抜くアメリカの移民たちとアカデミックな映画の行方
第81回:優れた映画音楽は、映像を超越するか?