サックス記事 クラシックとジャズの奏法における差異とは
クラシックとジャズの境界線

クラシックとジャズの奏法における差異とは

ジャズプレイヤーとして名高い大山日出男氏だが、学生時代はクラシック・サックスを学んでいたという。また、クラシック音楽ファンでもあり、クラシック、ジャズともに精通している同氏に奏法の違いや、楽器の違いなどを執筆いただいた。(Text by 大山日出男)

奏法だけでは語れないクラシックとジャズ

大山日出男

クラシックとジャズのサックス奏法については確かに違うとも言えるが、この表現方法の差は、単に奏法のみにおいて決定されるものではない。ある方法を用いることにより、この二つの非常に異なる音楽ジャンルを容易に吹き分けられることはあり得ない。例えばフランス料理ファンである中華料理のシェフがいたとして(実は現実にある)、彼が素晴らしいフランス料理を作るとしても、我々は同じ金額を支払うなら、彼の作るフランス料理よりも中華料理の作品に舌鼓を打ちたいと考える。料理と音楽を混同することに抵抗があるかもしれないが、舌と耳、味と音を理解するためには一定の知性が必要であることに何ら変わりはない。
僕はジャズ演奏家であるが、クラシック音楽ファンでもある。朝の6時からのクラシックのBS番組はほとんど毎日チェックしている。一昨年はプラハやウィーンまで出かけて、チェコフィルの底鳴りのする弦楽器の音、ウィーンフィルの全体があたかも一つの生物のような頂点とも言えるアンサンブルと流麗な音色に酔いしれた。
芸術の表現方法とは「型」にある。先人たちの気の遠くなる試行錯誤によって、現代も生き残った方法である。クラシックの場合はヨーロッパに、そのほとんどの型が存在している。このことを学ばねば、音楽の本質はまったく理解できない。良く見聞きする言葉に「ジャンルを超えた活動」というものがあるが、僕にはこの言葉が一種の思考停止のように感じる。しっかりした型を持っていて、さらにそれを超えることが「型破り」という。褒め言葉である。しかし型がないのにいろいろとつまみ食いをすることは「型なし(正しくは形なし)」という。ジャンルを超えた活動を決して否定するものではないが、真摯な音楽活動をしている多くの音楽家を蔑ろにしてはならない。

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・交わることのなかったミュールとパーカー
・クラシック用、ジャズ用のマウスピースやリードはない
・クラシックよりも低音を感じる音の成分が多いジャズ
・クラシック、ジャズともに必ず多様性がある
・境界線を乗り越えた プレイヤーの名盤

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