This issue’s Guest:小林香織

神崎ひさあき Come to me! │ 第2回

日本のフュージョン〜スムース・ジャズ・サックスの先駆者として1980年代からシーンを牽引し、デビュー40周年を迎えた現在も国際的に活躍を続ける神崎ひさあき。その神崎をホスト役に、毎回ゲストを迎えてトーク・セッションを繰り広げる連載「Come to me!」。
初回となる前号では気心の知れた自身のバンドメンバーを迎えたが、第2回目となる今回は意外とも言える顔合わせで早速ビッグなゲストとの対談が実現! 本誌でももちろんお馴染み、日本を代表するサックス・ヒロイン小林香織の登場だ!!
(文:熊谷美広)

自分はデビュー時に孤独だったから、最前線で闘っている彼女をできる限り応援したい

お二人の出会いはいつ頃だったのですか?
神崎
2012年に、僕の友人のマイケル・パウロ(Sax)がプロデュースする“Pacific Rim Jazz Festival”というコンサートがハワイであったんですけど、その時にマイケルから電話がかかってきたんです。「日本からアーティストを招聘したいのだけど、誰か推薦できるアーティストはいない?」って。その時たまたまYouTubeで香織ちゃんの動画を見ていて、“こういうのが出てきたか”って思っていたんです。“この子は僕が思うポップなシーンへ流れを変えてくれるな“と同志のように思えて。それでマイケルに「小林香織じゃなきゃダメだ」って伝えたらマイケルもすごく気に入ってね。
小林
それでお話しをいただいたんですけど、事務手続きの行き違いがあって、結局出演できなかったんです。でも神崎さんが、折角だから一緒にライブをしようと誘ってくださって。
神崎
JIROKICHI(東京・高円寺)の僕のライブに「遊びにおいでよ」って誘ったら、彼女が一人で来たんです。女性のミュージシャンはマネージャーや知り合いと一緒に来ることが多いんですけど、一人で来たから、この子は骨があるなと(笑)。
小林
そこで飛び入りさせていただいて、そこから一緒にライブをしようと提案してくださって、何回か一緒にライブをさせていただきました。
神崎
僕がデビューした頃は、自分の育って来た環境の中でジャンルなど考えずに好きに音楽やっていて、フュージョンは音楽ではないとか言われてたけど、フュージョンをやってるつもりもなくてすごく孤独だったんです(笑)。だから香織ちゃんを見ていると、彼女も時代の最前線で闘っていて、大変だろうなって思います。だからできる限り応援したいと思った。

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小林香織

小林香織
1981年10月20日神奈川県生まれ。中学生でフルートを、高校2年生でサックスを始める。2005年に「Solar」でデビュー。その後もアルバム・リリース、ライブなど積極的な活動を展開。2010年にYouTubeにアップされた映像が台湾で350万回を越える閲覧を記録、2011年のアルバム「PRECIOUS」も台湾でヒットするなどアジアでも高い人気を獲得。現在は洗足学園音楽大学ジャズコースの講師も務める。

神崎ひさあき

神崎ひさあき
日本のフュージョン・ブームをリードした「神崎ON THE ROAD」を結成し、1980年「Open My Road」でデビュー。以降、国内で3枚のアルバムをリリース。1986年に渡米し、1988年、リッピントンズのラス・フリーマンらを迎えアルバム「KANZAKI」をリリース。帰国後、数々のTV番組や映画等のテーマ曲を担当。自作の『So Far Away』(マイケル・ホワイトがリリース)は、全米ジャズ・チャートで第9位に。盟友マイケル・パウロとのプロジェクト“The Asian Soul Brothers”など、グローバルな活動を展開中。
http://www.kzsax.com/

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