This issue’s Guest:坂本竜太、西山HANK史翁、永田真毅

神崎ひさあき Come to me! │ 第4回

日本のフュージョン〜スムース・ジャズ・サックスの先駆者として1980年代からシーンを牽引し、デビュー40周年を迎えた現在も国際的に活躍を続ける神崎ひさあき。その神崎をホスト役に、毎回ゲストを迎えてトーク・セッションを繰り広げる連載「Come to me!」。
3回目の緊急事態宣言が発出され、対面取材が難しい状況となった連載第4回。そこでゲストとしてリモートで駆けつけてくれたのは、かつて神崎バンドに在籍し現在は各方面でファーストコールとなって育っていった名プレイヤーたち。同窓会ムードの和気藹々とした座談会がスタートした!
(文:熊谷美広)

リハーサルで適当にやったりするとすげぇ怒られた

皆さんが神崎バンドに加入した時期は?
西山HANK史翁
3人の中で一番古いのは僕で、1990年代の初め頃ですね。
坂本竜太
その次が僕で、岸田容男(Ds)の紹介で入りました。たぶん1995年頃だったと思います。
お二人の在籍時期は重なっているのですか?
西山
重なってます。
神崎
その頃は、あとチズちゃん(吉弘千鶴子)(Key)やクリヤ(クリヤマコト)(Key)も重なっていたよね。
永田真毅
僕はもっと後で、2006年ですね。
神崎
まだ大学を卒業したばかりで、プロとしてはやってなかったんだよな。
永田
そうですね。友達のドラマーが神崎さんのバンドで時々叩いてたんですけど、彼がダブル・ブッキングをしてしまって、僕に代役で叩いてくれないかって(笑)。でも、その時は全然使い物にならなくて……。
坂本
怒られた?
永田
はい。基本的に「いい」って言われたことがほとんどなかったです(笑)。
西山
だいたいみんな怒られてるよね(笑)。
坂本
怒られていない人はいませんよね。
神崎
えぇ? 優しかったよなぁ(笑)。

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神崎ひさあき

神崎ひさあき
日本のフュージョン・ブームをリードした「神崎ON THE ROAD」を結成し、1980年「Open My Road」でデビュー。以降、国内で3枚のアルバムをリリース。1986年に渡米し、1988年、リッピントンズのラス・フリーマンらを迎えアルバム「KANZAKI」をリリース。帰国後、数々のTV番組や映画等のテーマ曲を担当。自作の『So Far Away』(マイケル・ホワイトがリリース)は、全米ジャズ・チャートで第9位に。盟友マイケル・パウロとのプロジェクト“The Asian Soul Brothers”など、グローバルな活動を展開中。http://www.kzsax.com/

坂本竜太

坂本竜太
中学でベースを弾き始め、17歳から博多でライブ活動を開始。21歳で上京してプロとしての活動を始め、スガシカオ、水樹奈々、鈴木雅之などをはじめとする数多くのアーティストをサポート。2008年に初のソロ・アルバム「Kool maD Groove」をリリース。2020年に櫻坂46に楽曲提供するなど作家活動も多数行なっている。

西山HANK史翁

西山HANK史翁
秋田県出身。13歳からギターを始め、高校卒業後上京して音楽学校で学び、その後に土岐英史のグループ“CRUISING”のメンバーとなる。またセッション・ギタリストとして、伊東たけし、谷村新司、CHAKA、露崎春女などをはじめとする様々なアーティストと共演。2000年にソロ・アルバム「UNKNOWN MOOD」をリリース。

永田真毅

永田真毅
早稲田大学在学中から演奏活動を始め、2007年に浜野謙太らを中心に結成された“在日ファンク”に参加。2010年にデビュー・アルバムをリリース。さらに“K.P.M.”(キウイ・パパイヤ・マンゴーズ)や、森田修史と岩見継吾との“メキシコトリオ”といったユニットでも活動。また様々なアーティストのサポートやセッションも行なっている。

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