コンサート・レポート

フローラン・ピュジュイラ with NONAKA クラリネット・アカデミー2023 コンサート

フローラン・ピュジュイラ with NONAKA クラリネット・アカデミー2023 コンサート
日時:2023年8月17日 19時開演
場所:文京シビックホール 小ホール
出演:フローラン・ピュジュイラ(Cl)
   弘中佑子(Pf)
   松嶋優美(Cl・特別出演)
   浦畑尚吾(Cl・特別出演)
   NONAKA クラリネット・アカデミー2023 受講生

パリ室内管弦楽団の首席奏者であり、リュエイユ・マルメゾン音楽院で教授を務めるフローラン・ピュジュイラ氏によるリサイタルが2023年8月17日、東京・文京シビックホール 小ホールにて開催された。
クラリネット奏者として、世界最難関とも謳われるミュンヘン国際音楽コンク―ル(通称ARD)を筆頭に数々のコンクールを制した傑物であり、またサクソフォン奏者としてもジャズの分野で高い評価を獲得、さらに作曲の分野でもその才を存分に発揮し、主に現代音楽のジャンルにおいて新たなレパートリーを世に送り出している才人である。
今回のリサイタルは、そんな彼のあふれる才覚が十二分に発揮されていた。

二部構成を取る本リサイタル、第一部はピュジュイラ氏とピアノの弘中佑子氏によるステージだ。演奏した曲は、フランシス・プーランクの『クラリネット・ソナタ』、クロード・ドビュッシーの『第一狂詩曲』、カール・マリア・フォン・ウェーバーの『協奏的大二重奏曲』の3曲。いずれもコンクールにしばしば採用される、不朽の名曲たちである。
これらの曲は極めて演奏機会が多く、それ故にこれまで様々な奏者の演奏を耳にしている。その上で、今回のピュジュイラ氏の演奏には度肝を抜かれた。それほどまでに洗練され、美しい演奏であったのだ。ときにソリッドに、ときにファジーに、千変万化する演奏はホールを完全に支配し、聴衆は彼の演奏に呼吸を忘れるほどにのめり込んでいた。
鮮烈に幕を切って落とすプーランクのソナタは、楽章の中で大きく緩急が変化する表情豊かな一曲。プーランクが亡き友の墓前に捧げたという本作にはどこか陰がつきまとい、明快なアレグロにすら一服の寂寥感をはらんでいる。けたたましい慟哭、闇に沈む悲哀、当て所なくさまよう啼泣など、黒を200色に分けてグラデーションをかける表現力が印象的な演奏であった。
続くドビュッシー『第一狂詩曲』はピュジュイラ氏のセンス爆発! アタックから音の質、ffからppまで自在に操り、ありとあらゆる色彩を描き出すその表現力にただただ脱帽していた。冒頭、森閑とした雰囲気から極めてひそやかな、しかしまるで最初からそこにいたかのような存在感を放つ最初の音は、まさに完璧の二文字。
前半を締めくくるウェーバーはクラリネットとピアノを対等にあつかう二重奏であり、ここまでも抜群の技量でソロを支えていた弘中佑子氏の腕前が遺憾なく発揮された快演であった。

第二部は「NONAKA クラリネット・アカデミー2023」の受講生たちが登場し、ゲストの松嶋優美氏と浦畑尚吾氏、そしてピュジュイラ氏を交えた13名でのアンサンブル・ステージとなった。
初めに演奏した曲は、モーリス・ラヴェルの『古風なメヌエット』。印象派の巨星ラヴェルが最初期に生み出した作品であり、荒削りな中にも人並み外れた才覚の片鱗が垣間見える名作である。ピュジュイラ氏は内声部に入り、受講生が中心となって落ち着いた広がりのあるサウンドを形成していた。
その後は、ピュジュイラ氏自身が作曲した『Caipirinha(Brasil)』、『Santamaria -Besa me mama-(Cuba)』、『Cabo Verde -(Cap-Vert)』の3曲を披露。括弧付きの部分は「ブラジル」「キューバ」「カーボベルデ」であり、それぞれのモチーフになった国を表している。
『Caipirinha(Brasil)』はブラジルの代表的なカクテル「カイピリーニャ」のことである。ラテン系ミュージックの情熱的な旋律と血潮の滾るビート感が心地よく、これまでに披露してきた曲とはまるで異なる曲想を持つノリの良い一曲である。フィニッシュの直後、ピュジュイラ氏が快哉を叫んだのはそのクオリティへの自負であろうか。
続く『Santamaria -Besa me mama-(Cuba)』は、信じられないことに全編が即興で作り出されていく。そもそもピュジュイラ氏自身が、クラシック以外にジャズや現代音楽、そして即興音楽の世界でも活躍しており、彼が即興音楽を演奏することは自然なことであろう。しかし会場にいる全員を使って、ピュジュイラ氏が音楽を作り上げていくこと、そしてその過程を聴衆が体験できる点は、クラシックのコンサートにおいては非常に珍しいだろう。少なくとも筆者は、クラシックのコンサートで楽曲の中に組み込まれたのは初めてだ。
まずピュジュイラ氏は、舞台上の数名にクラップでリズムを指示する。指示されたメンバーはそのリズムを反芻しているうちに、他のメンバーに伴奏のパターンを提示する。続いてまた別のメンバーに内声を指示し、あらかた音楽が完成するとメロディパートを作り出す。そうして音楽が作り出されると、今度はなんと客席の人々にリズムパターンを提示する。音楽が進むと今度は歌を交える。メロディにハーモニーを生じさせて分厚く曲を発展させ、そのままフィナーレを迎える。まったく初めての体験であったが、天性のセンスから音楽が紡がれる瞬間を内側で味わえたことは無上の喜びである。

観客へ向けてクラップの指示をするピュジュイラ氏

『Cabo Verde -(Cap-Vert)』はカーボベルデと読む。アフリカ大陸からほど近い大西洋に浮かぶ群島であり、その主要な産業は漁業。立地柄から航海の拠点としても親しまれたこの国をそのままタイトルに用いた本曲は、さながら大海原を旅する帆船のように雄大に、そして爽やかな仕上がりとなっている。この曲でもピュジュイラ氏は即興を仕込み、奏者がその場その場で歌うフレーズを指示した。例えばソプラノに清廉なハーモニーを、例えば男声には、海の男が歌う猛々しい凱歌のようなリズムを。ライブ感あふれるそのパフォーマンスに、観客も息を呑んで見入っていた。
最後に演奏した曲はアレクシス・シスラーの『Fantaisie for clarinet solo and ensemble』。その繊細な筆致で多彩な音楽を魅せてきたピュジュイラ氏が、最後に魅せてくれたのはとても豪快な音楽であった。低音部のドライブが効いたパッセージと風を切るように奏する内声部がさながら疾走するバイクのようなイメージを抱かせる冒頭から始まり、その機体に荒々しくライドするソロ・クラリネットが勇ましい旋律を歌う。ラテンやファンクのような雰囲気を放ち、熱狂的な昂ぶりを隠そうともせず突き進み、しかし最後は突き放すようにあっけらかんと終了する、なんとも不思議で、心に残る曲である。

当然鳴り止まないカーテン・コールに応え、ピュジュイラ氏はアンコールを演奏……したのだが、なんと曲は用意していないという。つまり、ここでまた全員で即興演奏を披露してくれたのである。どこまでも規格外で、素晴らしい演奏家。彼の偉大さを目の当たりにしたリサイタルであった。

右は、通訳もしてくれた松嶋優美氏

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