木村奈保子の音のまにまに|第67号

社会派エンタメ映画のむつかしさと意義深さ

先月は、2024年今年のアカデミー賞7部門の受賞作「オッペンハイマー」について書くことをためらった。
どのくらいの日本人が見て、この作品をどう評価するのだろう?
ハリウッド映画に対して私は、常にリスペクトの気持ちで見ることが多いが、本作は、大作仕立てにすることで、テーマの掘り下げが浅くなってしまったと感じる。
シリアスな題材だけに、娯楽大作のような動きは見せられないものの、クリストファー・ノーラン監督は、飽きさせないためか、登場人物のしゃべりや動きをアップテンポで見せようと力んでいるように思える。とにかく、演出が若干わざとらしく、目まぐるしい。
確かに、昨年の受賞作「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」も、目まぐるしい演出だった。場面展開の速さは、時代の流れなのかもしれないが、エンタメといえども、作品の在り方がまったく違うから、本作では違和感があった。

それは、広島、長崎に向けられた原子爆弾の生みの親、オッペンハイマーの物語だからという理由が大きい。日本人として見る限り、この天才科学者の才能を素直に認められないし、実験の過程で、どんなに当時の発明の凄さやスリルを盛り上げようとしても、興奮するような気分にはまったくなれない。
世紀の実験に、一瞬でもエキサイトするアメリカ人たちのシーンを見ていると、くやしく、涙があふれた。

オッペンハイマーは、どこまで罪の意識を感じたのか?
そうした科学者の使命とジレンマを描くことを期待したが、作り手の視点がそこまでの心の葛藤に迫るには至らなかったため、半端なエンタメ大作になったのではないか。

別の社会派監督にするか、日米合作で、視点をもっと「心の葛藤」にあてるべきだとつくづく感じた次第。
ただ、この映画をとりあえず理解するためには、先に「オッペンハイマー」関連の本を読むなど予習はあったほうがわかりやすい。
作品の完成度がどうあれ、社会派作品は、いつもテーマを投げかけ、興味深いのは確かだ。

硬派な社会派作品のおすすめは、イタリアの巨匠マルコ・ベロッキオ監督作『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』。精神分析的な視点が鋭い傑作だ。
7歳の少年が、ある日突然、家族から引き離され、教会へと連れ去られる事件を描く。
ユダヤ人の少年がキリスト教の信徒たちから誘拐される実話とあって、あのスピルバーグ監督が映画化をまっさきにねらって原作をおさえた。
しかし、主人公に適した少年が探せないからと映画化は断念したという。

「シンドラーのリスト」でユダヤ迫害の歴史を描き切ったスピルバーグ監督が、後年の失敗作「ウエストサイド・ストーリー」や「フェイブルマンズ」ではなく、本作で映画人生をしめくくればよかったのに、と悔やまれる題材だ。

一方、ベロッキオ監督は、主人公の少年を見事に探し当てた。
本来、映画にはこんな特別な美しい少年がキャスティングされるべきなのだと思わせる、欧州の美少年、エネア・サラ。
まるで、「ヴェニスに死す」のビョルン・アンドレセンのような澄み切った神々しい存在である。

エネア・サラ演じる主人公のモルターラは、幼いころに女中から洗礼を受けたとして、一方的に教会からお迎えがくる。
ごく普通の家庭の子どもが強引に教会に入れられ、当然のごとく親が手を尽くして取り返そうとするものの、時が経つにつれて、子どもの心に少しづつ変化が起き始める……

迫害されていたユダヤ教徒の少年は、キリストの教会で優遇され、新たな教育を受けるうち、どんな心境に変化していくのか?
引き離された親への気持ちは?

少年の心の変化を描く演出が秀逸。
キリスト教の背景でなくとも、カルト宗教にある洗脳とも共通する人間の心の危うさが、美しい少年の瞳を通して伝えるものがあり、圧倒される。

 

MOVIE Information

『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』
4月26日(金)よりYEBISU GARDEN CINEMA、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町他にてロードショー
2023/イタリア、フランス、ドイツ/カラー/イタリア語/134分
監督:マルコ・ベロッキオ 脚本:マルコ・ベロッキオ、スザンナ・ニッキャレッリ
出演:パオロ・ピエロボン、ファウスト・ルッソ・アレジ『シチリアーノ 裏切りの美学』、バルバラ・ロンキ『甘き人生』、エネア・サラ、レオナルド・マルテーゼ『蟻の王』
配給:ファインフィルムズ
原題:Rapito
映倫:G

 

木村奈保子

木村奈保子
作家、映画評論家、映像制作者、映画音楽コンサートプロデューサー
NAHOKバッグデザイナー、ヒーローインターナショナル株式会社代表取締役
www.kimuranahoko.com

 

N A H O K  Information

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