フルート記事
THE FLUTE 165号 Cover Story

音楽は自分の腕の中に抱いて感じる、 生きているもの

オーディションの結果、ベルリン・フィル入団が決定したタイミングで行なった前回登場時のインタビュー。「できる限りの準備をして、ベストを尽くすこと」の大切さを語っていた当時から丸三年。試用期間も終わり、かつて憧れだった“夢の”オーケストラの一員として活動するいま、どんなことを感じているのだろうか─。この6月、ソロ公演とマスタークラスのために来日したデュフォーさんに聞いた。
通訳:齊藤佐智江/写真:いしかわみちこ/取材協力:ヤマハ株式会社、株式会社ヤマハミュージックジャパン、洗足学園音楽大学

“こんな曲だったのか”と新たな発見を…

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前回ご登場いただいたときは3年前で、ベルリン・フィルへの入団が決まった直後のタイミングでした。その後、楽団で活動してみての感想、また新たな発見などがあったら教えてください。
デュフォー(以下、D)
前回はオーディションに受かったばかりのときでしたね。あれから試用期間に入りましたが、ベルリンフィルの試用期間はとても大変で、1年か1年半くらいあったと思います。幸いうまくいったので、今は以前よりずっとリラックスしています。ベルリン・フィルはメンバーがいつもいい状態で演奏しているので、やはり大変です。アメリカから戻って生活や感覚を戻すのに少し時間がかかりましたが、またヨーロッパでの生活を送れるようになって、今はとても楽しんでいます。しかし言葉はもちろん、演奏の仕方も今までとは全然違います。ドイツ語もリハ中は問題ありませんが、20代のようにはいきませんね。
小さいときからずっとベルリン・フィルは自分の憧れのオーケストラでした。子どもの憧れですから、現実に自分がその一員になって演奏することになるなんて思わなかった。オーディションに受かったときは、すごく驚きました。嬉しかったのは言うまでもありませんが─理想や夢が現実になってほしくない、というようなことってあるでしょう? そんな感じです。
マチュー・デュフォー
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以前はシカゴ交響楽団に所属されていました。ベルリン・フィルとでは、どんなところに違いを感じますか?
D
シカゴには1999年から16年在籍していました。音楽家が違いますからカラーが違いますし、それぞれ特別な伝統があったりします。シカゴは音色にとても伝統的なものがありました。ベルリン・フィルの特色は、演奏の仕方でしょうか。今まで演奏したことがある曲をベルリン・フィルで演奏してみて、こんな曲だったのかと新たな発見をしたり、まるで子どもが何かを発見するような、そんな思いをすることがあります。
とにかく、ベルリン・フィルはエネルギーがすごいのです。どのオケにも、いい時と悪い時、いいコンサート、そうでない時というのはありますし、もちろんベルリン・フィルにもあります。人間ですから当然です。しかしベルリン・フィルは、そのコンサートがほかの時よりもよくないとしても、いつもいつもエネルギーは100%なんです。
長旅で疲れていても、ひとたびホールに着けば、皆人が変わったようになる(笑)。完璧なオーケストラということではなく、いつも何かを語っているオーケストラだと思います。常に聴衆に関心を持ち、絶対に無視したりしない。何かしら必ず語りかけて、提案をしているオーケストラなんです。誰が指揮を振るかに関係なく、ね。シカゴでは大指揮者が来ると素晴らしいコンサートになりましたが、指揮者によって演奏が左右されたりしました。大概のオーケストラがそうであるように、です。ベルリン・フィルは、指揮者がどうであろうが皆同じエネルギーで臨んでいるのです。
本当に私は恵まれていると思います。ものすごくたくさんのことを学ばせてもらっていますから。
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音色の面では?
D
アメリカのオーケストラはどちらかというと同じ音色を持つ楽器奏者が求められましたが、ベルリン・フィルには同じ音色の人は一人もいません。たとえばオーボエパートを見ても、アルブレヒト・マイヤーは素晴らしいドイツの音がしますが、イギリス人のジョナサン・ケリーはヴィブラートが少し細かめで響きのある音色です。本当にまったくと言っていいほど違います。エマニュエル(・パユ)と私もまったく違う吹き方をしていると思いますし、クラリネットやファゴットもそうです。大事なことは同じ音楽の目標を持っているということで、同じ音色を持つことではありませんからね。
そういう意味では、ベルリン・フィルはまさに多様性、さまざまな音色、個性の集まりです。30か国以上の国籍の人たちが集まっているというのは本当に信じられませんよね。オーディションもそうです。どこから来ているのか、どこで演奏していたのか、有名な人かどうか、誰に習ったのか─など、誰も気にしません。興味があるのは、その人がどんな音楽を奏でるのか、その人が自分たちと同じ方向を向いているのか、それだけです。私自身はシカゴ時代から皆同じ音で吹くことに慣れていたので、最初は少し大変でした。みんな違う音を持っているのに気がついたらうまくいってる(笑)。どう説明したらいいのかわかりませんが、全員が音楽的に同じ方向を向いているのです。本当に素晴らしいと思います。(次のページに続く)

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間違いをしなければ学ぶことはできない
“チョコレートのメダル”では満足しない

 

Profile
マチュー・デュフォー
Mathieu Dufour
1972年、パリ生まれ。8歳よりパリの音楽学校で本格的にフルートを学び始め、14歳の時に満場一致でゴールド・メダルを授与され卒業した。その後、リヨン国立音楽院でマクサンス・ラリューに師事し、1993年に満場一致の首席で卒業する。1993年ランパル国際フルート・コンクールで第2位、1994年ブダペスト国際音楽コンクール第3位、1997年神戸国際フルート・コンクール第2位など、数々の著名な国際コンクールで優秀な成績を残す。1993年、弱冠20歳でトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の首席奏者に就任した。1996年〜1999年パリ国立歌劇場管弦楽団のスーパー・ソロイストを務めた後、音楽監督を務めていたダニエル・バレンボイムに招かれ、1999年~2014年シカゴ交響楽団の首席奏者を務めた。ソリストとして、ピエール・ブーレーズ、クリストフ・エッシェンバッハ、デイヴィッド・ロバートソン、ファビオ・ルイージ、ニコラス・マクギーガン等の指揮者と共演している。室内楽奏者として、内田光子、ピンカス・ズーカーマン、ユリア・フィッシャー、エリック・ル・サージュ、カーリヒシュタイン=ラレード=ロビンソン・トリオのほか、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバー等と共演を重ねている。これまでに、カーネギーのザンケル・ホール、ルツェルン音楽祭、スイスのダボス音楽祭、カナダのドメーヌ・フォルジェ国際音楽祭に登場し、ヨーロッパ、イスラエル、南アメリカ、日本の各国で演奏している。 日本では、2007年の東京都交響楽団の定期公演で、モーツァルトのフルートとハープのための協奏曲で共演。2008年には広島交響楽団とニールセンの協奏曲を演奏した。2010年に開催したパスカル・ロジェとのデュオも大絶賛され、オクタヴィア・レコードのクリストン・レーベルより「フランス作品集」をリリースした。2015年9月、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席ソロ奏者に就任。
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