ビバップとモダン・ジャズの創造主

チャーリー・パーカーのすべて

天空を舞う鳥のように鮮やかに駆け抜けたバードの短い生涯

11歳でアルトサックスを手にして カンザスで研鑽を積む

本名Charles Parker, Jr.(ミドル・ネームはない)。1920年8月29日カンザス州カンザス・シティに生まれ、7歳からミズーリ州のカンザス・シティで暮らした。11歳のときに母親からアルトサックスをプレゼントされたものの、学校のバンドではバリトン・ホーン(チューバに似たブラス楽器)を演奏。しかし母親はよほどパーカー少年にアルトサックスを吹かせたかったようで、34年に新たな楽器を買い与えている。35年末にハイスクールを退学し、フルタイムで音楽活動を開始。1日15時間もの猛練習を重ねたと伝えられる。36年11月には交通事故にあい、約4ヶ月間入院。ここで処方された鎮痛剤が彼のドラッグ依存の第一歩だったという説もあるいっぽう「14歳の頃、バンド仲間に麻薬を教わった」とする資料もある。37年にはピアニスト兼リーダーのジェイ・マクシャンから、バンド加入の誘いを受ける。パーカーは一度これを断り、バスター・スミス(カンザスの伝説的アルト奏者)等のもとで演奏した後、38年秋ごろからマクシャン楽団の正式メンバーとなった。翌年春には脱退してニューヨークへ向かうが、父親の訃報を受けて半年も経たずにカンザスに里帰り。40年春、再びマクシャン楽団と合流する。

ニューヨークへ出て25歳で初リーダー録音を敢行

再度ニューヨーク定住を決めたパーカーは42年末、“ジャズ・ピアノの父”ことアール・ハインズ率いるオーケストラにテナーサックス奏者として加入した。44年春には元ハインズ楽団の歌手、ビリー・エクスタインが結成したオーケストラに移籍している。初リーダー録音は45年11月26日、サヴォイ・レーベルに吹き込まれた。トランペットは、ハインズ楽団やエクスタイン楽団の同僚だったディジー・ガレスピー、無名同然だったマイルス・デイヴィス(当時19歳)が分担。『ビリーズ・バウンス』、『ナウズ・ザ・タイム』、『コ・コ』等、当時最前衛のジャズ“ビバップ”(=モダン・ジャズの原型)を象徴するレパートリーが、遂にレコード化された瞬間である。


ディジー・ガレスピー(中央右)とパーカー(中央左)

バードの愛称で新時代ジャズのシンボルとなるも早すぎる死へ

45年12月には、ガレスピーの西海岸ツアーに参加。他のメンバーがニューヨークに戻った後もパーカーはカリフォルニアに残り、主にダイアル・レーベルへ録音を続けた。しかし46年7月のレコーディング中に精神錯乱を起こし、47年1月まで療養に専念。4月にニューヨークへ戻り、マイルスを含むバンドでサヴォイとダイアルに録音を継続。『ドナ・リー』、『パーカーズ・ムード』等の傑作を生んだ。そして49年、プロモーター/プロデューサーであるノーマン・グランツとレコーディング契約を締結する。いわゆるビバップはもちろんのこと、ストリングス(弦楽合奏)と共演したバラード、マンボの人気者マチート楽団を従えたラテン・ジャズなど、パーカーの意向を参考にしつつ、グランツは様々な形でこの天才の潜在能力を引き出した。レコード会社名はマーキュリー→クレフ→ヴァーヴと変化したが、いまは一般的に“パーカーのヴァーヴ時代”と総称されている。また同年5月には、「パリ国際ジャズ・フェスティヴァル」参加のため初めてヨーロッパに赴き、“ビバップの王者”として熱狂的な歓待を受けた。さらにこの年の12月15日には、愛称“バード”にちなんだジャズ・クラブ「バードランド」がニューヨーク52丁目にオープン。まさしくパーカーは新時代のジャズを象徴する存在となったのだ。しかし長年の不摂生は、確実に彼の肉体を蝕んでいた。54年頃から大きく体調を崩し(愛娘の病死にショックを受けて自殺未遂も図っている)、55年3月12日、内臓うっ血による大葉性肺炎で死去。わずか34年の人生、ただし最期を看取った医師は死亡報告書に「推定年齢 53歳」と記入したと伝えられる。


マイルス・デイヴィス(中央)と パーカー(左)

ジャズの枠を超えた影響力の大きさは最新トリビュート盤からも

いわゆるモダン・ジャズの礎を築いたひとりだが、その影響力は狭い枠を軽く飛び越え、スティーリー・ダン『パーカーズ・バンド』(アルバム「プレッツェル・ロジック」収録)、ローリング・ストーンズのドラム奏者チャーリー・ワッツのソロ・アルバム「フロム・ワン・チャーリー」などトリビュート楽曲や作品も多岐にわたる。誕生日前後にニューヨークで開催されている追善祭「チャーリー・パーカー・ジャズ・フェスティヴァル」も今年で第25回目を迎えた。去る6月に国内発売された「ザ・パッション・オブ・チャーリー・パーカー」も必聴だろう。主役はキャンディス・スプリングス(晩年のプリンスに見いだされた歌姫)やメロディ・ガルドーといった歌手たち。アルトサックスすら加えず(管楽器はダニー・マッキャスリンのテナーのみ)、しかも「4ビートのリズムに乗ってテーマを合奏し、コード進行に沿ったアドリブを各ソリストが順に行ない、また後テーマに戻る」というパーカー(モダン・ジャズ)のパターンによらない作品展開は、この伝説的人物へのオマージュがまた異なる局面に入ったことをうかがわせた。今後、どんな“パーカー新解釈”が我々の耳を楽しませてくれるのか、わくわくしているのは僕だけではあるまい。

「ザ・パッション・ オブ・チャーリー・パーカー」 ユニバーサル ミュージック  UCCI-1040
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