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THE FLUTE vol.190 Close Up

小さな世界に閉じこもることなく、オープンにいろんな経験をすること

ベルリン・フィルハーモニーで30年以上演奏してきたミヒャエル・ハーゼル氏。7月に北海道で開催されたパシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌に講師として久しぶりに来日した。定年前にベルリン・フィルを退団するというハーゼル氏に、長年親交のあるの井原和子さんが行なったインタビューをお届けする。
インタビュアー・翻訳:井原和子

まったくフルートを吹かなかった半年

久々の来日かと思います。来日された感想をお聞かせください。
ハーゼル
(以下H)
パンデミック前から比べると、いろんなことが変わってきています。入国する際にも色々な書類、手続きが必要だったね。でも日本に到着してからは、すべてのことがスムーズに運んでいったので、何の問題もなく入国することができたよ。
街に出て驚いたことは、たとえば道を歩いている人々がみんなちゃんとマスクを付けていること。秩序を持って行動しているし、今の状況とうまく付き合っていってるように見えたよ。しかも次の波が来ることに対してもとても慎重に対処しているように感じた。ドイツでは外はもちろん、お店でもマスクをつけている人はいないし、日本のように秩序正しいわけでもないね。このフェスティバル(パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌)でも感染対策をしながら、多くの学生や講師の受け入れ、コンサートやレッスンの準備と、本当に大変だったと思う。
日本に来られて本当に光栄だよ。
パンデミックの間は、日本でもベルリン・フィルの配信で心を励まされた人がたくさんいました。ハーゼルさんご自身はどのように過ごされましたか? またモチベーションを保つためにされたことを教えてください。
H
一番最初のロックダウンでオーケストラの活動もまったくできなかった時は、自分もパウゼ(休み)を取ろうと思ったんだ。約半年間まったくフルートを吹かなかった。もちろん毎日何かしら音楽は奏でていたけど(翻訳者注:ハーゼル氏はピアノのみならず鍵盤古楽器にもとても精通している)、フルートは吹かなかった。それは私にとっても良かったと思っている。14歳の頃からフルートはずっと吹いてきたし、長期間休止することで新たな活力が生まれたよ。
多くの音楽家がそうであったように、オーケストラの団員も当時やることがなくなっていた。もちろんベルリン・フィルには素晴らしい音響設備が整っているからすぐに配信することができたけど……無観客……。何かがやっぱり足りないというか(笑)。

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・ベルリン・フィルで演奏できたことに感謝
・話をして解決法を見出す
・メンバーと人生の一部を共有するオーケストラ

 
Profile
ミヒャエル・ハーゼル Michael Hasel
ミヒャエル・ハーゼルは、教会音楽家を目指してピアノ、オルガン、指揮の勉強を始めた。フライブルク音楽大学では、指揮をフランシス・トラヴィス、フルートをオーレル・ニコレに師事。さらに、ミヒャエル・ギーレンからの個人レッスンやマスタークラスで指揮を学んだ。1982年から84年までフランクフルト放送交響楽団に所属し、それがフルート奏者として初めてのオーケストラでの演奏経験となった。その後ヘルベルト・フォン・カラヤンのもとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーとなった。88年、ベルリン・フィル木管五重奏団を創設し、世界各国をツアー。これまでにスウェーデンの著名レーベルBISより20枚を超えるCDをリリース。その多くは早い段階から「決定盤」であると呼び声が高い。その後数年間、ダニエル・バレンボイム、ピエール・ブーレーズ、ジェームズ・レヴァインなどの指揮のもと、バイロイト祝祭管弦楽団で首席フルート奏者をつとめた。94-98年には、マンハイム国立音楽舞台芸術大学で木管アンサンブルと室内楽の教授をつとめた。指揮者としてはこれまでに、アンサンブル・モルデン、シャウロン・アンサンブル、バーミンガム・コンテンポラリー・ミュージック・グループ、ベルリン・フィルハーモニー・ブラス・アンサンブル、ユンゲ・ドイチェ・フィルハーモニー、グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団、シモン・ボリバル交響楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮。現在は指揮者、ソリスト、指導者として国際的に活躍している。

 

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