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THE FLUTE vol.204 Close Up
音楽は言語─だからこそ基本を大事にしなければならない
[この記事の目次]
ピッコロのスペシャリストとしてヨーロッパ各地はもとより、世界で活躍しているレオニート・グルディン氏が来日した。親交の深いフルーティスト 大塚能夫也氏からの紹介でインタビューが実現した。ピッコロのこと、勉強の仕方……グルディン氏ならではのアドバイスをたくさん訊くことができた。
取材協力・通訳:大塚能夫也(フルート奏者)

ピッコロからスタート
―
THE FLUTEで初めてのインタビューになりますね。フルートを始めたきっかけから教えてください。
グルディン
(以下 G)
(以下 G)
父がフルーティスト、母がヴァイオリニストという音楽家の家庭で育ち、7歳のときにフルートを始めました。母は私にヴァイオリンをやらせたかったのですが、試しに演奏してみても良い音を出すことはできませんでした。フルートは最初から音がスムーズに出たのでフルートを学ぶことになったわけです。とは言っても当時は子ども用のフルートはまだありませんでしたし、コンサートフルートを吹くにはまだ小さすぎました。それでピッコロから始めることになりました。頭部管が金属で、リッププレートがプラスチックでできたおもちゃのような楽器でした。でもだからこそ子どもでも音を出すのは簡単でした。プロフェッショナルなピッコロは、7歳の子どもにとっては難しいものですからね。
―
グルディンさんはそのような環境の中で自然と音楽家になろうと?
G
音楽家以外の職業を知りませんでした。でもプロになること自体には何度も悩みました。
私は子どもを教えるときには、指導するべきかを自問自答しています。なぜならフルートで生計を立てるというのは、とてもハードなことで、つらい練習をたくさんしないといけませんから。それで、私は子どもに教えることをずっと断っていました。ところが、知り合いから子どもの指導を頼まれ─何度か断りましたが─結局引き受けることにしました。12歳の女の子ですが大変熱心で、一人で4、5時間も練習してレッスンに来るようになりました。その子は1年後にはドイツ国内のコンクールでいくつも優勝しました。やりがいはありますが、子どもに教えるというのは責任があり、大変な仕事だと思います。
今はフルートを専門的に学んでいる学生から、レッスンを受けたいと希望が来るようになりました。そんな場合はまず演奏している映像を送ってもらいます。それを見ればどれくれい練習したか、どのくらいフルートに時間をかけているかがわかります。大抵の場合は「私は魔術師ではありません。練習しないのに上手くすることはできませんよ」と伝えています。
私は子どもを教えるときには、指導するべきかを自問自答しています。なぜならフルートで生計を立てるというのは、とてもハードなことで、つらい練習をたくさんしないといけませんから。それで、私は子どもに教えることをずっと断っていました。ところが、知り合いから子どもの指導を頼まれ─何度か断りましたが─結局引き受けることにしました。12歳の女の子ですが大変熱心で、一人で4、5時間も練習してレッスンに来るようになりました。その子は1年後にはドイツ国内のコンクールでいくつも優勝しました。やりがいはありますが、子どもに教えるというのは責任があり、大変な仕事だと思います。
今はフルートを専門的に学んでいる学生から、レッスンを受けたいと希望が来るようになりました。そんな場合はまず演奏している映像を送ってもらいます。それを見ればどれくれい練習したか、どのくらいフルートに時間をかけているかがわかります。大抵の場合は「私は魔術師ではありません。練習しないのに上手くすることはできませんよ」と伝えています。
インタビューは続きます!
・ピッコロを小さく吹くべき理由
・専門的な練習は欠かせない
Profile

レオニート・グルディン Leonid Grüdin
マンハイム国立音楽大学修士課程修了。フルートをJ・Mタンギー教授に師事。
また同大学にてマクサンス・ラリュー教授の下で、国家演奏家資格を取得。
在学中よりハイデルベルク交響楽団、南西ドイツ放送交響楽団(SWR)、ザールレンディッシャー交響楽団(MDR)他、 多くのオーケストラで代理、および臨時契約でソロフルート奏者、またソロピッコロ奏者として演奏する。
卒業後はダニエル・バレンボイムの下、ドイツ ベルリン国立歌劇場の首席ピッコリストとして契約、2006年まで務めた。2007年より2013年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で、フルート奏者および首席ピッコロ奏者として活動。
その後もゲスト奏者として上記オーケストラ他、ベルリン交響楽団、ベルリン放送交響楽団、ベルリン・ドイツ・オペラ、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、カメラータ・ベルン、ドレスデン ゼンパー・オーパー、フランクフルト放送交響楽団(Hr)などに度々客演している。
2014年からはソリストとしても国内外のオーケストラと共演。
2024年にはバイロイト祝祭管弦楽団の首席ピッコロ奏者にも選ばれている。
また、近年は教育活動にも力を入れ、ベルリン ハンスアイスラー音楽大学、アントン・ルービンシュタイン記念音楽アカデミー、テーゲレンのベートーヴェン音楽院他、新設された、ベルリンのバレンボイム・サイード・アカデミーなどで後進の指導に当たっている。
また同大学にてマクサンス・ラリュー教授の下で、国家演奏家資格を取得。
在学中よりハイデルベルク交響楽団、南西ドイツ放送交響楽団(SWR)、ザールレンディッシャー交響楽団(MDR)他、 多くのオーケストラで代理、および臨時契約でソロフルート奏者、またソロピッコロ奏者として演奏する。
卒業後はダニエル・バレンボイムの下、ドイツ ベルリン国立歌劇場の首席ピッコリストとして契約、2006年まで務めた。2007年より2013年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で、フルート奏者および首席ピッコロ奏者として活動。
その後もゲスト奏者として上記オーケストラ他、ベルリン交響楽団、ベルリン放送交響楽団、ベルリン・ドイツ・オペラ、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、カメラータ・ベルン、ドレスデン ゼンパー・オーパー、フランクフルト放送交響楽団(Hr)などに度々客演している。
2014年からはソリストとしても国内外のオーケストラと共演。
2024年にはバイロイト祝祭管弦楽団の首席ピッコロ奏者にも選ばれている。
また、近年は教育活動にも力を入れ、ベルリン ハンスアイスラー音楽大学、アントン・ルービンシュタイン記念音楽アカデミー、テーゲレンのベートーヴェン音楽院他、新設された、ベルリンのバレンボイム・サイード・アカデミーなどで後進の指導に当たっている。
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