フルート記事
THE FLUTE vol.189 Cover Story

パンデミックを超えて新たな日常、そしてウクライナ侵攻

3年ぶりの来日を果たしたデニス・ブリアコフ氏。久々の日本ツアーで、日本の聴衆の前で演奏できる喜びを語ってくれた。しかしブリアコフ氏自身については、つらい出来事が続いている。3月にウクライナ侵攻が始まり、それは収まる気配を未だ見せない。さらに、5月には恩師 ウィリアム・ベネット氏の逝去。今だからこそ聞けるブリアコフ氏の本音に迫る。
取材協力:株式会社グローバル/写真:土居正則

日本ツアーをできる喜び

2014年に登場して以来の登場となります。この間、パンデミックなどで音楽活動に大きな変化があったと思います。どのように過ごされていたか教えてください。
ブリアコフ
(以下B)
2020年の3月から演奏活動はパンデミックで止まり、去年の8月から徐々に演奏活動を再開しました。オンライン上ではフルーティストの妻やハーピストなどと演奏活動をしていましたが……。またズームを使ってのレッスンもしていました。自分の生徒たちとオンラインで演奏をする感じでした。演奏活動は止まったと言っても、違った形で音楽活動を続けていましたね。
オーケストラは、昨年は演奏会の回数を減らして開催し、今シーズンからはフルで以前と同じように行なうようになり、嬉しく思っています。
今回パンデミックが落ち着き、日本にツアーで再び来ることができて、そのありがたみがわかりました。
コロナ禍で新しく始めたことはありますか?
B
ランニングですね(笑)。頭もすっきりしますし。でも音楽活動が元に戻ったので今はランニングをする時間もなくなりました。
パンデミックで時間ができたことで、新しいことを始められ方は多かったですね。
B
はい。オンラインで始めることが多かったので、良い映像と良い音を提供できるように高性能の機材─ヘッドホンやマイク、カメラなどをそろえました。
これらの機材を使ってパンデミックの間に、YouTubeなどにもたくさん動画をアップしました。
現在日本ツアーの最中ですが、感想をお聞かせください。
B
ツアーができて嬉しいです。日本ツアーは3年ぶりですが、それまでは2011年以来毎年ツアーで来日していましたし、多いときは1年に3回ぐらい日本に来ていました。この3年間一度も来日がないというのは、自分にとって本当に長かった。またこういった形で戻ってこられて、株式会社グローバルの旧知の方たちと会え、またピアニストの石橋尚子さんと一緒に演奏できることは本当に嬉しいです。
お客さんたちも待ちに待ったリサイタルだったでしょうね。
B
本当にお客さんもよく反応してくださっていますし、その姿を見られて本当に嬉しいです。

次のページの項目
・オリジナルの作曲者の意図が伝わるよう自然な繋がりを大切に
・恩師・ベネット先生との思い出
・ウクライナカラーを身につけることがサポートに

Profile
デニス・ブリアコフ
デニス・ブリアコフ
Denis Bouriakov
1981年ウクライナのクリミア生まれ。10歳で国立モスクワ音楽院付属中央音楽学校へ入学を認められ、Y.N.ドルジコフ氏のもとで学ぶ。“フルートの神童”として20カ国以上でコンサートツアーを行なう。卒業後に渡英し、イギリス・ロイヤル・アカデミーにてウィリアム・ベネット氏に師事。2001年に同音楽院を首席で卒業。コンチェルティーノ・プラガ国際コンクール1位など、数々の国際コンクールで輝かしい受賞歴を持つ。フィンランドのタンペレ・フィルハーモニー管弦楽団首席奏者、バルセロナ交響楽団首席奏者、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場管弦楽団の首席奏者を歴任した後、現在はロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者として活躍している。またカルフォルニア大学ロサンゼルス校音楽学部教授、イギリス・ロイヤル・アカデミーの客員教授にも就任し、次世代を担うフルート奏者の育成にも力を注いでいる。

 

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