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できる限りの準備をして、ベストを尽くす

THE FLUTE 144 Cover Story

この9月より、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団への入団が決まったマチュー・デュフォー氏。“新たなチャレンジをするにはもう歳をとり過ぎているのではないか”という思いを抱きながらも、果敢な挑戦と入念な準備で入団を勝ち取った。キャリアを積んだベテラン奏者でありながら、新天地で活動することとなった現在の心境とは─?
4月に東京と大阪で行なわれたコンサートとマスタークラスのため来日したデュフォー氏に、話を伺った。
通訳・翻訳:榊原敬幸、写真:土居正則、取材協力:ヤマハ(株)、(株)ヤマハミュージックジャパン

実現させた、子どもの頃からの憧れ

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今回のコンサートは、銀座のヤマハホールで行なわれました。雰囲気や音響など、どんな感じでしたか?
デュフォー(以下D)
とても気に入りましたね! 響き過ぎずとても心地よくて、臨場感に溢れる感じが素晴らしかったです。フルートにとって、とても演奏しやすいホールだと思いました。今回は自分にとっても挑戦的なプログラムでしたし……前半の無伴奏曲では特に、ホールの温かい響きに助けられました。無伴奏で演奏する場合は、殊にホールとの相性が気になることが多いのですが、大きすぎれば絶えず音量やパワーに気を使いますし、小さすぎれば逆に音の響きを作るのに苦労します。そういった部分でも、ヤマハホールは今回のプログラムにとって完璧だったと思っています。 
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無伴奏曲とピアノ伴奏つきの曲で、ステージの照明を変えていらっしゃいましたね。
D
はい、自分のアイディアです。普段から感じていることですが、本格的なホールでのクラシックコンサートでは、時としてステージの照明が明るすぎるのではないでしょうか。観客に寛いで楽しんでもらうためにも、特にシンプルな無伴奏の曲では照明を落として、リラックスした雰囲気を作ってみようと試みました。客席の方々がその雰囲気を楽しんでくだされば、と考えたのです。
マチュー・デュフォー
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日本にいらっしゃるのは何度目ですか? 印象をお聞かせください。
D
えーと……もう正確には思い出せないくらいたくさん訪れています。たぶん10回以上ですよ(笑)。私は日本の文化や食事が大好きですから、いつも滞在をエンジョイしています。日本ではどこに行っても素晴らしいホールがあり、安心して演奏することができます。共演する音楽家のレベルも高いですし、いつでも暇があれば日本に来たいと思っています!
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今秋より、ベルリン・フィルへの入団が決まっていますね。どのようにして決定されたのでしょうか。
D
以前から首席奏者のアンドレアス・ブラウ、エマニュエル・パユの両氏とは親しくしていました。パユ氏から電話をもらい、ブラウ氏の定年によってポジションに空きが出ることを知り、「興味がないか?」と訊かれました。その時点で特に現在のポジションに不満があったわけではありませんし、新たなチャレンジをするにはもう歳をとり過ぎているのではないかと不安もよぎりました。でも、オーケストラでフルートを吹いている以上、ベルリン・フィルのポジションに興味がないなんてありえないでしょう! 子どもの頃からの憧れのオーケストラにチャレンジするために、オーディションを受けることにしました。しかしながら、以前シカゴ交響楽団のオーディションを受けた頃とは自分の環境が大きく変化していて、たくさんのコンクールにも参加していた昔のように練習が捗らなかったのも事実です。それでもできる限りの準備をしてベストを尽くそうと考え、それだけに集中して準備をしました。
実際のオーディションは、参加者のほとんどが招待者だったと思います。そんな中で、少しでもアドバンテージになればと、コンチェルト以外の課題も暗譜で演奏しました。オーディションの規定では暗譜は求められていなかったのですが、ベルリン・フィルでは弦楽器奏者のオーディションの際にはすべて暗譜が基本だと知っていたので、リスクは承知のうえで挑みました。最終審査ではオーケストラのメンバー全員の前で演奏しますので、多少なりとも効果があったのではないかと思います。ラッキーなことに合格できましたからね!(次のページに続く)

次のページの項目
・オーケストラで演奏することの醍醐味
・成長のチャンスを逃さないために
・ONLINE限定:“子どもの頃からの憧れのオーケストラ”—— ベルリン・フィル、その魅力

Profile
マチュー・デュフォー
マチュー・デュフォー
Mathieu Dufour
1972年、パリ生まれ。8歳よりパリの音楽学校で本格的にフルートを学び始め、14歳の時に満場一致でゴールド・メダルを授与され卒業した。その後、リヨン国立音楽院でマクサンス・ラリューに師事し、1993年に満場一致の首席で卒業する。1993年ランパル国際フルート・コンクールで第2位、1994年ブダペスト国際音楽コンクール第3位、1997年神戸国際フルート・コンクール第2位など、数々の著名な国際コンクールで優秀な成績を残す。 1993年、弱冠20歳でトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の首席奏者に就任した。1996年~1999年パリ国立歌劇場管弦楽団のスーパー・ソロイストを務めた後、音楽監督を務めていたダニエル・バレンボイムに招かれ、1999年~2014年シカゴ交響楽団の首席奏者を務めた。

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