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04|オーストリアの食事情

留学時に食べていた食事を振り返る

What's えびちゃん留学記 ...

自分が感じる「違い」はなんなのだろう───
演奏の違いから様々なことを探求して行った留学時代と海外生活時代を振り返りながら、現地の情報もお届けします。ファゴット奏者で、指揮、講演、コンサートの企画、オーガナイズ、コンサルティング、アドバイザーなど様々な活動をする基盤となった海外留学とはどんなものだったのか。思い出すままに書いていきます。

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蛯澤亮

蛯澤 亮
Ryo Ebisawa


茨城県笠間市出身。笠間小学校にてコルネットを始め、笠間中学校でトランペット、下妻第一高等学校でファゴットを始める。国立音楽大学卒業。ウィーン音楽院私立大学修士課程を最優秀の成績で修了。バーゼル音楽大学研究科修了。 ザルツブルク音楽祭、アッターガウ音楽祭、草津音楽祭などに出演。元・ニューヨーク・シェンユン交響楽団首席奏者。茨城芸術文化振興財団登録アーティスト。ファゴットを馬込勇、ミヒャエル・ヴェルバ、セルジオ・アッツォリーニの各氏に師事。 「おしゃふぁご 〜蛯澤亮のおしゃべりファゴット」を各地で開催、クラシック音楽バー銀座アンクにて毎月第四金曜に定期演奏、池袋オペラハウスにて主宰公演「ハルモニームジーク 」を毎月第二水曜日に開催するなど演奏だけに留まらず、様々なコンサートを企画、構成している。

 

思い出の食事

朝ごはんはパンとハムやチーズなどをスーパーで買って家で済ますこともあれば、少し早めに出てパン屋でサンドイッチを一つ買い、ウィーンの街並みを見ながら食べてドイツ語学校に通ったりもした。ウィーンの良いところは中心街はどこでも観賞に足る風景だということ。ドイツ語学校も大学も旧市街にあったことは幸いだった。混んでいる時間帯もあるが、ウィーンの美しい街並みを毎日眺め、ウィーンにいることを実感しながら過ごすことができる。特に好きだったのは朝の澄んだ空気と人気の少ないウィーンの街。春は特に気持ちが良かった。

最初は日本にもあるバターロールみたいなパンを買ったが、やはりウィーンといえばセンメルだ。

日本語表記ではゼンメルと書くことが多いが、ウィーンではSが濁らないのでセンメルと発音する。最近は日本でも硬いパンを食べる機会が増えてきているが、私が留学した頃はなかなか食べ慣れなかった。また、好き嫌いが意外と少なかったのは助かった。黒パンなど日本で食べることのなかったパンなども別に苦もなく食べられた。

ヴェルバに紹介された住居だが、そこをヴェルバに紹介したのは日本人女性だった。某音大の声楽科の教授をされていたAさんで、彼女はヴェルバのお父さんの生徒だった。ヴェルバの父はエリック・ヴェルバという、クラシックファンならご存知の方もいる名ピアニストだ。ソリストではなく、コレペティトゥーアという歌専門のピアニストで歌手ではないがウィーン国立音大の教授として数々の名歌手を育てた。だからAさんは「ミヒャエルは子供の頃から知っている」と話していた。

そのAさんは私の住む建物の一階に住んでいた。日本の大学教授をしながら休みの時期はウィーンに滞在するというスタイルなので、ウィーンに滞在されている時期にはお世話になった。特に住み始めた頃はお米やおかずをいただいたりした。お米は日本のお米を頂いたのだが、炊飯器がない。ネットで炊き方を調べて炊いてみたのだが、電気コンロだったからかうまく炊けなかった。最終的におかゆもどきにしてなんとか食べたが、お米を炊くのも家電がなければ難しいものだと実感した。

あとはとにかくパスタを食べた。当時、とにかくパスタが安かった。バリラのパスタが一箱80セントくらいで買えたのだ。自分の味付けに飽きたら市販のソースを買って試した。スーパーにあるパスタソースはほとんど試したのではないかと思う。しかし、後々結局自分が作るのが一番美味しいことになるのだがそれはまたしばらく後の話。

ウィーンといえばシュニッツェル。

馬込門下の後輩が高卒でウィーン国立音大に留学していたので落ち着いてからご飯を食べにいくことになった。後輩だが、「ウィーン留学記念で私がおごります!」と言ってくれてウィーン私立音大(旧市立音楽院)とウィーン国立音大(当時)のすぐ近くにあるウィーン料理のレストランでシュニッツェルをご馳走してくれた。日本で見る機会のない大きな皿にはみ出すほどのシュニッツェル、薄暗く優しいオレンジの照明、ウィーンの昔ながらのレストランの雰囲気を味わいながら、改めてウィーンに来た実感をもらったのだった。

 

 


 

次回予告 :comming soon








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