クラリネット記事
The Clarinet vol.72 Cover Story│アレッサンドロ・ベヴェラリ

瞬間的に音楽を作り、クラシックの音楽家として自由に演奏したい!

9歳よりクラリネットを始めたアレッサンドロ・ベヴェラリ氏は、2018年のジャック・ランスロ国際クラリネットコンクールで優勝を飾った若手実力派プレイヤーだ。
現在、拠点を日本に移し、東京フィルハーモニー交響楽団首席クラリネット奏者として、また、洗足学園音楽大学などでは指導者としても活動している。
そんな、同氏に日本での活動のこと、そしてコロナ禍により自粛期間をどのように過ごしていたのかを訊いた。
取材協力:株式会社 ビュッフェ・クランポン・ジャパン Photo:井村重人

 

来日してから3年が経過
ただ今日本語を勉強中!

来日されてからどのくらい経ちますか。日本での生活で一番苦労されたことは何でしょうか?
アレッサンドロ・べヴェラリ(以下A)
日本に来て3年が経ちました。一番苦労していることは確定申告です(笑)。計算自体は確定申告のサイトに数字を入力するだけなので簡単ですが、そのサイトの使い方が日本語で書かれていて理解できないんです。たまたま税務署の方が少し英語を話せたので、手続きの仕方を1から教えてもらいました。
現在も日本語を勉強中なので、とにかく日本語で書かれた書類関係は大変です。例えば、健康診断の書類に、宅急便の不在伝票。特に不在伝票は電話をかけ直すと日本語の音声ガイダンスになっていて、再配達希望日の入力の仕方がよくわかりませんでした。最近は、日常生活をサポートしてくれる日本人の友人がいますので、とても助かっていて感謝しています。
ご出身はどちらですか? どんな町なのか教えてください。
A
21歳までイタリア・ヴェローナにいました。ヴェローナはイタリア語の表現にあるのですが“人間らしい町”と言われています。大きすぎず、小さすぎないということです。
高校時代は、毎日朝は学校、午後は音楽院に行く生活でした。移動するときは、いつもヴェローナのステキな街並みを歩いていました。本当に素晴らしい町で大好きです。
ヴェローナは旧市街を囲むように川が蛇行しています。教会もたくさんあって、サンタ・アナスタシア教会はとても美しいです。昔の円形闘技場(アレーナ・ディ・ヴェローナ)も遺されていて、夏にはここでオペラを上演します。僕は学校のバカンス中にオーケストラのエキストラとして、素晴らしく、美しく、雰囲気も良いアレーナで演奏しました。また、ヴェローナは丘に囲まれた町でもあります。夏は暑いのですが、町からクルマで1時間ほど走れば涼しくて静かな避暑地に行くことができます。

Alessandro Beverari (アレッサンドロ・ベヴェラリ)
1988年ヴェローナ生まれ。東京フィルハーモニー交響楽団 首席クラリネット奏者。9歳からクラリネットを始める。2008年にヴェローナを代表するオーケストラ、アレーナ・ディ・ヴェローナ管弦楽団とモーツァルトのクラリネット協奏曲を演奏しデビュー。ソリスト、室内楽とイタリア国内外にて幅広く活躍。2012年から2016年にかけ、ジュネーブ高等音楽院でローマン・ギュイヨに師事。修士号を取得。東京フィルハーモニー交響楽団首席指揮者アンドレア・バッティストーニと同じ、イタリア・ヴェローナ出身でバッティストーニの盟友。音楽の“B面”を探求することでクラシック音楽の堅苦しい伝統を突破したいという願いから、音楽監督アンドレア・バッティストーニとピアニスト セルジォ・バイエッタと共に「アンドレア・バッティストーニ&Bサイド・トリオ」を結成。オリジナルの愉快なショーで、 若者から絶大な支持を得る。 数々の国際コンクールで上位入賞を果たし、2011年プレミオ・クレッシェンド(フィレンツェ)第2位、モンカリエーリコンクール(トリノ)第3位。最近ではマルコ・フィオリンド国際クラリネットコンクール第1位、第15回東京音楽コンクール第1位、2018年6月に国際アウディ・モーツァルト・コンクール第1位、同年9月には第4回ジャック・ランスロ国際クラリネットコンクールにて第1位を受賞した。洗足学園音楽大学 講師。

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・様々な音色を出すために息の入れ方を研究する
・音がフォーカスされていて密度が高い、愛用のトスカ

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