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パリで学ぶ若き留学生に聞く、現地リレーインタビュー vol.4

インタビュー連載記事|第4回 内山貴博

フルートの留学生が特に多い都市と言えばパリが挙がるだろう。その理由は明確だ。フランス音楽を語るに欠かせない、ドビュッシー、ラヴェル、フォーレなどの作曲家、そしてフルーティストではランパル、エマニュエル・パユ、などキリのないほどの音楽家たちがこの地にあるパリ国立音楽院で学んだ。こうした音楽家たちに憧れパリに留学する学生は、この地でどんなことを感じ学んでいるのだろうか。この連載ではこうした学生たちの話を現地で聞く。
最終回となる第4回目は、パリ国立高等音楽院(以下パリ音)に通う内山貴博さんに話を訊く。

内山みゆき

内山貴博
1992年東京都生まれ。10才の時、フルートを始める。東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校卒業後、東京芸術大学の入学を経て、渡仏。パリ地方音楽院を最優秀の成績で卒業し、現在パリ国立高等音楽院第一過程第3学年在学中。第61回全日本学生音楽コンクール中学生部門、第64回同コンクール 高校生部門 優勝 横浜市民賞(聴衆賞)日本放送協会賞。第16回松方ホール音楽賞。第18回びわ湖国際フルートコンクール第三位入賞。2014年、第3回ニコレ国際フルートコンクール 第3位 (第1位なし)入賞。第32回日本管打楽器コンクール第2位。2010年度 YAMAHA音楽支援制度奨学生。これまでにフルートをミッシェル・モラゲス、高木綾子、堀井恵、木ノ脇道元、田村珠美の各氏、室内楽をミッシェル・モラゲス、フィリップ・ベルノルド、フィリップ・フェロー各氏に師事。現在、ソフィー・シェリエ、ヴァンサン・リュカ各氏に師事。2008年に初リサイタルを行なってからパリや日本で毎年コンサートを行なっている。平成4年生まれのフルーティストで構成されたフルート四重奏「Ensemble Demi」のメンバーであり、東京、大阪公演を行なった。現代音楽への演奏も積極的に行なっており、坂東祐大氏のHumoresque(Animation3)を初演。

 

奥内山貴博
――
内山さんとは久しぶりにお会いします。今日はよろしくお願いします。
まずパリに留学したきっかけを教えてください。
内山
留学について少し考え始めたのは高校2年生の時にフランス・ニースの講習会に行ったことです。その時はヴァンサン・リュカの指導を受けていました。先生の指導ももちろん、講習会の雰囲気やニースの街並みも良くて、聞こえてくるフランス語のニュアンスなどに魅力を感じ、フランスが自分に合っているかなと思い、留学を考え始めました。
あとは自分の師匠である堀井 恵先生の影響もあると思います。先生はドイツに留学していましたがマルセイユ・モイーズに習っていて、その話をよくレッスンで聞いていたので、それも僕を留学に導く鍵でもありました。
留学したのは4年前で、大学1年の秋でした。最初はパリ地方音楽院で2年勉強してディプロムを取り、今はパリ国立高等音楽院でソフィー・シェリエに習っています。
――
ソフィーの教え方はどうでしょうか。
内山
おそらく彼女はフルート自体を好んでいるわけではなくて、音楽そのものを大きな枠として考えています。ですので、教え方もフルートを教えるのではなく音楽を教えているように感じています。
今でもよく覚えていますが、最初に僕が彼女の前で演奏した時、「あなたの音楽は好きだけど、演奏は嫌い」って言われました。彼女からすると僕はただフルートを吹いている、それだけだったということです。「あなたの演奏を聴いていてフルートが見える」とも言われてしまいました。彼女からは「フルートを忘れて、音楽をしなさい」って常に常に言われていましたね。
――
つまりそれは、音楽がまず大きな柱であって、それからフルートがあるということでしょうか。
内山
そうです。フルートがあって音楽があるわけではなく、音楽がまず中心。彼女のフルートのテクニックに対する指導はすごくシンプルです。普通ならばまずアンブシュアをつくって、音をつくって、それから音楽をつくると考えてしまいますが、彼女はまずその考えを捨てなさいと言います。まず自分の体があって、息はただ自然に流れているのだから、それにフルートをつけて吹けばいい。だから口のまわりにフルートを吹くシステムなんて必要ないんだと言っています。
僕は最初のうちはなかなかこうした感覚がつかめませんでしたが、こうしたスタイルで音楽をしたいとようやく最近気づきました。
おそらくそれは、元々パリ音で教鞭を執っていたアラン・マリオンからのスタイルを継承しているものだと思いますので、この学校で勉強するならば、第一にリスペクトすることではないかと僕は思います。
内山貴博
――
フランスに来て苦労したことはありましたか?
内山
僕はひとり暮らしをするのが初めてだったので、それはもう大変でした。フランス語も勉強しないで来てしまったのでなにかもわかりませんでした。まずどうしたら良いかというのを周りの友だちからまず聞き、日本人の大家さんにも聞き生活のアドバイスをもらいました。ですから最初はなかなかフルートになかなか集中できませんでしたね。
パリ地方にいた2年間はさほどフランス語を使わずに済んでしまいました。悪い意味で苦がなく過ごしてしまったのです。けれど今思うとあの時はそれでも天狗になっていたのではないかと思います。今僕はパリで勉強しているという優越感を感じていたのかもしれません。
当時の考え方と今はまったく違っていて、あの時は僕はパリにいるけれど、変わらずに今までの自分で良いと思っていました。けれどそれが実際生活にも影響していてなかなか成長できなかったのです。今思うとその頃の自分はとても幼かったと思いますね。
――
変わったきっかけはなんだったのでしょうか?
内山
パリ音に入ったことですね。この学校はまず、学生を音楽家として育てるという理念があるので怠けていられません。自分自身が自立していかない、そこから前に進めないんです。それまでの生活をしていると、フランス語が上達せず、パリで有意義に生活できなかったでしょう。しかしここはフランスですし、現地のフランス人とコミュニケーションをとってわかることが、音楽以外でも音楽につながるものでもたくさんあるのです。
ここ最近でようやく自分がフランスに生活しているっていうことがようやくわかり、自分を客観的に見えるようになってきたと思います。良いところも悪いところもいろんな面を持つ自分を見られるようになったと思います。それは良い音楽をすることに於いて一番必要なことなのです。そうしたことを感じられるようになればきっと音楽も充実すると思います。それからいろんな人の話を聞いたり演奏を聴いたりすることもより充実させる材料になるのではないでしょうか。
本当にそういったことがこの学校で気づき、自分のいろんな能力の幅が広がったと思います。
――
それはソフィーが言っていることと似ていますね。充実している自分があって良い音楽がわかる、そしてそれからそれに付随するフルートというような……。
内山
まさにそうだと思います。もっと自立しなければと今でも思っています。
――
話は戻りますが、パリ音の環境はどのように良いのでしょうか?
内山
周りの学生はみんな自分の演奏を将来仕事にするために燃えている人ばかりです。ですからただレッスンや授業をこなしていけば良いという生半可な気持ちで音楽をしていない人が多いです。それから先生も含めて音楽の見方が自分と違う人もたくさんいてとても新鮮ですね。知久翔くん(第一回登場)も言っていましたが、学生をやるならすごく良い学校で、自分が今までの自分でいられないのです。
刺激的というと一瞬の強い衝撃っていうイメージが僕にはあるので、その感覚とは少し違うのですが、こうした新鮮な環境の中で徐々に自分が全く違う自分に塗られている感じがします。
練習するときは当然自分自身と向き合わなければいけませんが、いろんな学生がいるのでどんな演奏をするのか気になって自分以外の人に興味が湧きます。日本にいたときはどうしても自分だけに集中しすぎてしまって、練習しなきゃレッスンに間に合わないとか、狭い感覚になっていましたが、ここではすべてに視野を向けることができます。
――
フランスに来た当初の自分を思い返して、今のような自分を想像していましたか?
内山
こんなことはまず話せなかったでしょうね。ここ2年間くらいが自分の人生の中でも大きな転機で演奏家としてもヴィジョンが変わったし、一人の人間としても変わることができました。それは留学をしたからというわけではく、周りの環境のおかげでしょう。
――
どんな演奏を目標にしていますか?
内山
自分が演奏した曲を、お客さんが良い曲だなって思ってもらえるような演奏をしたい。演奏したあと、一番嬉しいのは「この曲の良い曲ですね、私もやってみたいです」と言ってもらえたことです。フルートで見られてしまう演奏でなくて、音楽で見てもらえるような演奏をすることが目標です。
――
ありがとうございました。

インタビュー 川上葉月

 


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