インタビュー連載記事|第1回 知久 翔

パリで学ぶ若き留学生に聞く、現地リレーインタビュー vol.1

フルートの留学生が特に多い都市と言えば、パリが挙がるだろう。その理由は明確だ。フランス音楽を語るに欠かせない、ドビュッシー、ラヴェル、フォーレなどの作曲家、そしてフルーティストではランパル、エマニュエル・パユなど、枚挙にいとまがないないほどの音楽家たちが、この地にあるパリ国立音楽院で学んだ。こうした音楽家たちに憧れてパリに留学する学生は、この地でどんなことを感じ学んでいるのだろうか。
この連載では、こうした学生たちの話を現地で聞く。第1回となる今回は、そのパリ国立音楽院(以下パリ音)に留学中で、数々の国際コンクールに挑戦している知久翔さんに話を聞いた。

 

知久翔
――
今日は寒い中ありがとうございます。パリの話やフルートのこと、いろいろ伺いたいと思います。よろしくお願いします。まず、知久さんは今パリに来て6年目です。パリに留学した理由を教えてください。
知久
単純ですが、パリ音に入学したいというのが大きな理由です。好きな奏者に習いたくて、その人が教えている学校を受験してっていうのが一般的ですが、僕の場合は学校が第一で習いたい先生は特に考えていませんでした。
この学校を受験した理由は、やはり自分の好きな奏者がみんなここの出身だったからです。入学すればきっと良い教育が受けられる。そう思ってパリに来ました。
――
留学1年目はパリ地方音楽院で勉強していましたね。最初からパリ音を受けなかったのですか?
知久
はい。フランスの音楽や奏法は好きでしたが、その当時はまだ日本から来たばかりできちんと学んでいませんでしたので、1年間そのスタイルを学んで準備をしてから受験しようと思いました。パリ音でも教えているヴァンサン・リュカのレッスンを受けられることにもなりましたし。
――
話は少し戻りますが、パリに初めて来た日のこと覚えていますか?
知久
僕の場合はまず、8月にフランスのニースで行なわれる講習会を受けて、日本に戻らずそのままパリに来たんです。ニースは地中海沿いのヴァカンス地。講習会には日本人の知り合いも多くて、苦もなく有意義に勉強することができました。それからのパリですよ(笑)。もうその落差がすごかったです。当時パリには知り合いはいたけれど、そこまで親しい友人はいませんでしたし、まだインターネットもつながらない、生活の基盤ができていない、話す人はいない、やることは練習のみ。そして夏なので日が長くて(パリの夏は21時くらいまで明るい)、やることがないから早く寝たくても寝られない。最初の1週間が留学生活の中で一番精神的に辛かったですね。1週間後に語学学校が始まったので、それからは友だちもできて楽しかったです。
――
ほかに生活面で困ったことはありますか? パリでは多いスリに遭ったとか……。
知久
遭いそうになったことはあります。駅のホームでケータイを触っていたら盗られたのです。どうやら犯人は常習犯だったようで、盗られた瞬間に周囲で待ち構えていた警察が彼を捕まえました。結果的には盗られなかったけれど、僕も被害届を出さなきゃいけない、そして裁判に行って事件の証言をしなければいけない、ケータイも証拠品として数日預けなきゃいけない、などもう本当大変でした。
裁判に行くなんて、日本でもそうないことをフランスで……。スリの多いパリだからこそですよね。
パリが危険で不便というのか、日本が安全で恵まれているというのか、きっと両方ですが、こういうのを経て、日本に帰るとなにも困らなくなりましたね(笑)。やっぱりなにか余裕ができます。メンタル面が強化されます。
――
なんだか精神的にも強くなりますよね。自立しなければやっていけないし、困ることなんて数え切れないほどあるし。
知久
そう。黙って待ってれば誰かがやってくれるってことはないです。日本人はなんだかんだで周りの人が察してくれる。海外ではちゃんと自分のやりたいこととか、意見を言わないと、何も考えていないと思われるし。
知久翔
――
フルートのことで、パリに来て感じたことや気づいたことはありますか?
知久
アーティキュレーションが本当に大切なことだと知りました。アーティキュレーションはフレーズを作っていて、言葉の句読点や抑揚と一緒なんです。
――
私もよくレッスンで「このフレーズはリエゾン(フランス語において母音を後の単語の子音と繋げて話すこと)して吹いて」と言われることがあります。
知久
そう、音楽って話と一緒なんです。日本語は音の数も少なくてゴニョゴニョしてハッキリしないように聞こえてしまいますが、フランス語、多くの外国語もそうですが、口をすごく動かしますよね。子音もたくさん使うから言葉に立体感があるんです。だから同じように音楽をやると立体感がでるんですよね。もう言葉が音楽なんです。ですので、もっと抑揚のある文章を話すように吹くこと。これは自分のやりたいことで、大きな目標でもあります。
――
今まで国際コンクールをいくつも経験されましたが、日本のコンクールとの違いはありますか?
知久
僕の考えですが、審査員が求めているものが違う気がします。いろんな国のいろんな人が受験しますから、その中で比べられて残るには、個性のある、印象に残る演奏をしなくてはいけないですし。やりたい音楽がきちんと伝えられて、それができる技術を持っている人。審査員はそういう観点で聴いているんじゃないかなと思います。
――
コンクールで大変なことは?
知久
もう自分との戦いです。いかに自分の状態を保って演奏するかがとても難しい。いろんな国のいろんな人がいるから、「自分、本当に大丈夫かな」って不安になってしまう。周りに左右されないで、自分の演奏をいかに保って貫けるか、ということが大変です。
そして予選もいくつもあって、進むにつれて当然疲れてきますから、ペース配分も考えなければいけない。コンクールは技術はもちろん、その上に精神力の強さ、体力、集中力……いろんな能力を試されます。
――
そこまで大変な思いをしてでも受けている理由は何でしょうか。
知久
もちろん賞を取って名前を残したい気持ちが一番ですが、こうしたことに慣れていないと、将来奏者とし活動できないと思うからです。
世界各地で演奏する奏者は、いろんな状況に直面するでしょう。何日も続けてリサイタルをやったり、伴奏者と上手く合わなかったり……きっとそういうことは当たり前なんだと思います。どんな状況でも自分の演奏が表現できるように、そういう能力もコンクールでは培うことができます。
――
日本とのフランスの音楽教育の違いは感じますか?
知久
先生によって違うと思うのでなんとも言えませんが、先生が生徒を一人の音楽家としてきちんとリスペクトしているっていうこと。これはフランス以外でもそうだと思いますが。先生と生徒の間に変な垣根がなくて、生徒の意見も吟味してくれる、もちろん技術や経験は比べものになりませんが、音楽家として対等でいてくれる気がします。
――
将来はどんなフルート奏者になりたいですか?
知久
「この人のこの演奏は本当に素晴らしい!」って思われるような演奏をしたい。かつて自分が聴いて憧れていたプロ奏者の演奏のように聴いてもらえたらと思います。
――
では、最後の質問になりますが、パリのお気に入りの場所を教えてください。
知久
夜のパリ中心地のセーヌ川沿いですね。本当に夜のパリは夜景が綺麗。そういうものを見ながら音楽を聴いていると、今まで感じたことがないことに気づいたり、感じたりします。あらためて、パリって素敵な街だなと思います。
――
ありがとうございました。
知久翔

知久翔
宮城県出身。12歳よりフルートを始める。国立音楽大学在学中に渡仏、パリ地方音楽院を経た後、現在パリ国立高等音楽院に在学中。第19回びわ湖国際フルートコンクール一般部門第1位、日本音楽コンクールフルート部門入選、フランスの«Jeune Flûtiste(若きフルーティスト) »国際コンクール第1位、カール・ニールセン国際フルートコンクールセミファイナリストなど国内外のコンクールで数多く入賞。2012年8月に汐留ホールにて自身初のソロ・リサイタルを開催。同年11月パリの地方音楽院で行われたフルート・コンベンションでのコンサート「Jeunes Lauréats(若きコンクール入賞者たち)」にて演奏する。ソリストとして東京フィルハーモニー交響楽団とモーツァルトのフルート協奏曲ト長調、オデンセシンフォニーオーケストラ(デンマーク)とCPEバッハのフルート協奏曲ニ短調を共演する。今までに大友太郎、堀井恵、水井稔、フィリップ・ベルノルド、フローランス・スシャール・ドゥレピンヌ、ピエール・イヴ・アルトー、ヴァンソン・リュカ、ミシェル・モラゲスの各氏に師事し、工藤重典、アンドレアス・ブラウ、ジュリアン・ボディモン、ソフィー・シェリエ、マリナ・ピッチニーニの各氏のマスタークラスを受講。2012年2月、汐留ホールにてジュリアン・ボディモンのリサイタルにてドップラーのハンガリーの主題による小二重奏曲を共演。2012年4月よりヤマハ留学奨学生。

 

次回はリュエイユ=マルメゾン地方音楽院に留学する、
菅野芽生さんにインタビューします!

インタビュー 川上葉月


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