フルート記事 女性文化とドキュメンタリー〜BLACK BOX DIARIESについて〜
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木村奈保子の音のまにまに|第87号

女性文化とドキュメンタリー〜BLACK BOX DIARIESについて〜

MUSIC

2025年は、なんといってもMY BEST 1映画は「ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家」だ。
ミシェル・ルグランの映画音楽と存在が心に焼き付いた名作ドキュメンタリーについては、コラム「音のまにまに」でも、本誌7月号で紹介したばかり。
「モリコーネ 映画が恋した音楽家」(2023,伊)とともに、映画ファンのみならず、演奏をする音楽家にとっても、必見の作品である。

さてドキュメントといえば、年末から日本でもやっと公開中の「Black Box Diaries」が日本でも公開になっている。
この作品は、日、米、英の製作で、ユタ州のサンダンス映画祭で注目され、アメリカアカデミー賞ドキュメンタリー部門でもノミネート。
欧州の映画祭のいくつかで受賞も果たし、まず海外マーケット向けに作られたことがわかる。

ジャーナリストを目指すインターン生が、通信社の海外勤務を求めて、著名な記者に就職の相談をするというところから始まり、無意識のままホテルに連れ込まれてまさかの……という実体験のレイプ疑惑事件を主演、監督、製作とも被害者であるサバイバー本人が手掛ける話題作。

MeToo運動が世界で広がり、声を上げやすくなったはずの性的ハラスメント、あるいは性犯罪について、それでもまだまだ声を上げたものはバッシングを受けつづけ、理解されないのが現実。
日本でも、就職相談中に被害にあった学生たちの事件がニュースになったことはあるが、実際は、泣き寝入りをしているのがほとんどだろう。若者にとって決して他人事ではない。

何より伊藤詩織氏の場合は、容疑者が、時の総理にもっとも近いジャーナリストと言われる立場にあったため、社会的には、太刀打ちできない存在だった。
それでも彼女はセカンドレイプ的な取り調べや枕営業疑惑などの誹謗中傷を受けながら、事件化を決意。

ただ容疑者の逮捕は、決定したはずが、すんでのところで、上からのストップがかかり、刑事事件では、不起訴になった。
その後、民事で勝訴を得たのは、かの山上による銃撃事件が起こった後である。

彼女は自分の身に起こったことを本に記し、海外のBBCほか欧米テレビ局でゲスト出演し、女性問題として発信した。
こうした女性発信者を男性社会が望まないことはもちろん、それどころか、女性ですら被害女性に対して疑いの目を向けることがあるから複雑だ。

まず、告発者が信頼できるオンナなのか?

どんな女性なら信じられるというのか……?

実話をもとにした映画「告発の行方」(89年、米)のヒロインは、酒場でマリワナを吸い、お酒も入り、見るからに遊んでいそうな、はすっぱな女性だが、周囲の男性たちと踊って楽しんでいる間に、ゲーム台の上で男たち3人に襲われる話。
こんなだらしないイメージの女性だと裁判しても勝ち目はあるのか?と思わせるヒロイン像だが、彼女をサポートする硬派の検事補女性が、徐々に本気を出して挑む裁判劇。
どんな女性にも、人権はある。男性たちの欲望によって、人権を踏みにじられてよい理由はない。
ジョディ・フォスターが被害者側の女性を演じて、レイプ裁判は、魂の救済を求める戦いだと伝わる社会派の作品だ。

余談だが、性犯罪被害者に対するよくある誹謗中傷について、マスコミに身を置いた私の人生経験では、枕営業に失敗し、逆切れして訴えるというような半端な女性を見たことがない。
権力者を手玉に取る悪女は、そもそも失敗しない。いつもうまくやって、しれっとしているから泣いたり訴えたりはないのだ。
たまに外すことがあるのかもしれないが、通常はヴァンパイアのごとく、次から次へとターゲットを捕食するだけだ。
つまり男を利用し、嘘をつくような悪女は、あとで落ち込み、PTSDで悩み、魂が奪われるなどということはない。

伊藤氏に限らず、被害者に悪女の資質があれば検証したり、復讐する暇などなく、とっくにもっと野心を満たしているはずだ。
理不尽な性暴力に屈するしかない普通の女性でありながら、泣き寝入り以外の道を求めて行動をしただけだろう。

そんな意味で、彼女の言動は、海を超え、アートを生み出し、あっぱれというほかないと私は思う。

特に、事件当日の夜、意識を失ったような伊藤氏がホテルにかつぎこまれているシーンや、立場を超えて協力してくれた捜査官との電話トークなど、じつになまなましく、これらのシーンなくしては事件の衝撃性、真実相当性は得られなかったといっても言い過ぎではない。
事件の真実を多くの人に訴え、説得するうえで絶対に譲れない線であることは映画製作者側につくと、理解できる。

今回、協力しながらも製作上の問題に納得ができない弁護士たちは、伊藤氏を糾弾したが、それが残念でならない。
伊藤氏が映像使用権の契約を無視したようだが、私の疑問は、最終的にホテルの映像を出したことで、ホテル側から契約違反や損害賠償の話はどこまで具体的に出たのか?
加害者の逮捕直前に、空港で上からストップがかかった理由をこっそり教えてくれた捜査官の隠し撮り音声使用について、本人からのクレームは具体的にあったのか?

取材者に対する秘匿権とはいえ、彼女はこの事件では第三者であるジャーナリストというより、被害者自身でもある。
そして親切な捜査官は、個人的に良心のある人だが、それでも公人で、権力側の立場である。
なぜ、逮捕にストップがかかったのか、説明してもらいたい。

捜査官との隠し撮りの声を使用したのは良くないかもしれないが、この話の真実性を表すにはやむをえない。
むしろ権力側の人間の一抹の良心から、捜査官のほうが申し訳なく思う場面ではないか。
権力に立ち向かうジャーナリストなら、なぜ、捜査官が知りえる情報を公的に提供できないのかをもっと追及してよいはずである。

弁護士たちから指摘された問題のシーンのほとんどは、客観的に見て作りての悪意を感じさせないため、誰も不快にしない。

サバイバーの伊藤氏の態度が良くないようだが、このような作品作りでは、アーティストの意向を感じ取り、協力者は先回りして、問題が起こりそうなことを想定し、解決方法を考えたほうが良かったのではないか。

今回はフェミニズムの観点から、弁護士たちは通常の仕事以上に作りてに全面協力したと説明したが作品完成のためには、協力者たちによるアートへのより柔軟な理解、あるいは土壇場でまとめる強引なプロデューサーの手腕が必要だったと思う。
いずれにしても、若干の修正がなされたものの、日本での拡大公開が可能になったのは、一般客の心理を動かす作品の力だったと思う。

そこには、権力に立ち向かう女性の途方もない勇気があり、真実の証言に協力するホテルのドアマンやタクシーの運転手、つまり権力を持たない男性たちの姿をヒーローとしてリスペクトする真摯な描き方があり、それだけでも美しい。

ジャーナリストである前に、サバイバーである伊藤氏は、そこまでしないと信じてもらえない社会を知り、一か八かの勝負に出た。
訴えるメッセージは、伊藤詩織という女性像を超えたところに意味がある。
この作品により、性的な事件を信じてもらえない女性、レッテルを貼られた女性たちがサバイバーとして生きる勇気を得るに違いない。

木村奈保子 2025年BEST

※カッコ内は本コラム掲載月号
1 ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家(7月)
2 教皇選挙
3 名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN
4 ワン・バトル・アフター・アナザー
5 クィア/QUEER(5月)
6 ガール・ウィズ・ニードル
7 ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた(1月)
8 ブルータリスト
9 罪人たち
10 Black Box Diaries(3月)

 
木村奈保子

木村奈保子
作家、映画評論家、映像制作者、映画音楽コンサートプロデューサー
NAHOKバッグデザイナー、ヒーローインターナショナル株式会社代表取締役
www.kimuranahoko.com

 

N A H O K  Information

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