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パリで学ぶ若き留学生に聞く、現地リレーインタビュー vol.3

インタビュー連載記事|第3回 奥村みゆき

フルートの留学生が特に多い都市と言えばパリが挙がるだろう。その理由は明確だ。フランス音楽を語るに欠かせない、ドビュッシー、ラヴェル、フォーレなどの作曲家、そしてフルーティストではランパル、エマニュエル・パユ、などキリのないほどの音楽家たちがこの地にあるパリ国立音楽院で学んだ。こうした音楽家たちに憧れパリに留学する学生は、この地でどんなことを感じ学んでいるのだろうか。この連載ではこうした学生たちの話を現地で聞く。
第3回目はサンモール・デ・フォッセ地方音楽院とモントルイユ地方音楽院の2校に通う奥村みゆきさんに話を訊く。

奥村みゆき
――
まず、奥村さんがフランスに留学したきっかけを教えてください。
奥村
フルートを吹いている多くの人は、フランスに対するあこがれを持っているのだと思います。私もそのうちの一人でした。
10歳の頃からフルートをはじめ音楽大学に入り、大学2年生の時に白尾彰先生やアンリ・リュボンやフェルナン・デュフレーヌの音の美しさに気づき、自分のやりたい具体的な音楽の方向性はまさにこれなのだと気づきました。それまでは楽譜通りにしっかり吹けばいいと思っていたのですが、音色や音楽性の美しさ、フルートはこんな綺麗な音を出すのだと改めて気付き、振り出しに戻れた転機があったのです。
大学では好きなことだけを集中してやるために上京してきたつもりでしたが、それまで具体的に何がしたいかも分からず2年を過ごしていたことにショックを受けました。それと同時に彼らの音色の美しさに改めて気づいてしまったらもう最後までこの音を理想にして勉強を続けるしかないと思ったのです。しかし残りの大学生活2年では学びきれない、そして東京であと何年も勉強できるような経済的余裕がない、ならば学費が安く本場で勉強ができるフランスに留学するしかないと決めたのです。日本にいた頃、耳にタコができるほど聴いた巨匠の音の本場で、フレンチフルート黄金時代の起源を追究したいと強く想いフランスに来ました。
――
フランスでの生活で困ったことはありますか?
奥村
大きなことは特にありません。ただ、私はこちらの病気の免疫がないのでビズ(頬と頬を触れるフランスの挨拶)は本当は苦手なのと、浴槽がないことくらいです。こちらの空気はとても乾燥していて、汚れているのですが、それを湯船で浄化することができないんです。湯船で温まって体調管理をしたいのが本音です……。ただ、日本のようにうまくいくことはありませんので、最悪の中の最悪の事態をいつも想定して生活していますね。かなりマイナス思考だと思われるかもしれませんが。 
音楽のことは尚更困ったことは少ないですが、年齢制限の厳しい音楽院も多いだけあって若い学生が非常に優秀です。そのため年齢を訊かれるのが少し億劫ですね。
――
パリに来て壁に当たったことや、大きく変わったことはありますか?
奥村
留学してからは壁に当たって、それをきっかけに上手くいったりというよりも、日々自分の目指す方向の微調整のほうが多いです。私はそれなりに自分のしたいことが固まってから渡仏したので、それのすべて崩してやり直すというより、毎日少しずつ微調整して気付いて振り返れば全然違うものができた、という感覚です。
――
元々抱いていた理想や思いにまた積み重ねていくという感じでしょうか。
奥村
そうですね。やっぱり私はこの方向で合っていたんだって思うこともありました。ですから留学して大きなカルチャーショックを受けながら進んできたというより、いろんなことがスッと受け入れられることも多かったですね。もちろんレッスンでは自分の考えていることとまったく違うことを言われることもあります。大事なのはそれを取り入れながら最後には自分自身で選択することだと思います。
奥村みゆき学内でのリサイタルにて
――
パリの教育についてどう思されますか?
奥村
音楽の教育に関して言えば、誰でも比較的簡単に始められます。しかしただ少し得意とか好きだからというだけでは続ける理由にならないのがフランスだと思います。日本はある程度楽器が演奏できたら音楽大学に行くことに大して疑問も持たず、卒業するころに進路を180度変える人も多いと思います。しかしフランスではDEMという学士のレベルに入るまでにもたくさんの過程があり、学士直前の試験はそれなりに厳しいそうですが、皆音楽院の他に高校に行きながら、バカロレア(高校卒業および大学入学資格の国家試験)を受け頑張ってその資格を取ります。そのあと学士過程まで続けるかどうかは大きく分かれます。そこまで来ると自分の才能や音楽に対しての思い入れがどの程度かに気付き、同時に好きなだけでは難しい世界ということを知るのでしょう。現に音楽院に行きながら、一般大学で音楽以外のことを学んでいる学生も多いです。できない人に対して最後まで諦めず手を差し伸ばすようなことはなかなか珍しいのではないでしょうか。だからこそ想いの強い人でないと続けれられないのだと思います。
――
先生の教え方の違いを感じることはありますか?
奥村
前回のインタビューで菅野芽生さんも話していましたが、レッスンの時にフルートを実際に演奏して教える先生が圧倒的に多いと思います。オーケストラやソロの演奏が毎週あるような人が、幼い子から私たちのような生徒にも教えています。それからどんなに忙しくても音楽のことで相談があったらきちんと時間をとってくれますね。演奏家としてしっかりしている人は、教育者としてもしっかりしていると私は思います。
――
パリの音楽環境はどう思いますか?
奥村
良いと言いたいところですが、最近ではパリの代表的オーケストラ2つを合併させて数を減らそうとしたり、かつては国の管轄だった音楽院も今は地方管轄に、何か大きな学校と合併しなければ維持ができなくなる……というように、近年の風当たりは強いと思います。しかし、そのような流れに対してすぐに反対の動きが出るところがフランスらしいですね。 フランス、特にパリには社会の貧富の差が大きいですが身分が下だとしてもはっきり意思表明ができるのはさすがに革命の国だなと思います。
――
勉強をしていて悩むことはありますか?
奥村
今はもう解決しましたが、最近まで自分のやりたい音楽がこの国には欠片もないのではないかと思っていつも悩んでいました。私はずっとルイ・ロットが絶頂期だった、フランスフルートの黄金時代に憧れていましたが、今はフランスでもルイ・ロットを吹く人はいませんし、私が憧れてきた音楽をまったく知らずにいるフランス人も少なくありません。見解の違いが起きないことのほうがとても珍しく、何度も自分の意見を簡単に否定され、何をしたらいいのか分からなくなる時もありました。そんな時に先生が「世の中は続けるかやめるかの2択だ。どんなにコンクールで成績を残しても後でやめてしまう人は山ほどいる。大事なのは何をするべきなのかではなく、何がしたいかだ。」という言葉をかけていただいたおかげで、今は一人の音楽家として自分のやりたいことを見失わないようにしています。
奥村みゆき
――
これから挑戦していきたいことはありますか?
奥村
パリで出会った仲間とグループを組んでテーマを決めて、1年単位で演奏会を企画したいです。個人的には単なるソリスティックなヴィルトゥオーゾではない、ニュアンスに富んだ古き良き時代のフルートの音で表現できるようになりたいですが、あまり何かに固執しすぎず一つひとつの経験を大事にしていきたいと思っています。
――
ありがとうございました。
 

インタビュー 川上葉月

 

奥村みゆき

奥村みゆき
1991年福岡県生まれ。 10歳よりフルートを始める。2008年九州電力主催「親子ふれあいコンサート」にて九州交響楽団と共演。日本学生音楽コンクール 西日本大会第1位及び全国大会入選等。 上野学園大学音楽学部卒業と同時に渡仏。これまでにフルートを前田明子、三上明子、大村友樹、北川森央、安原三保子、マルク・ボクードレイ、二コラ・ヴァレットに、トラヴェルソを前田りり子各氏に師事。 現在サンモール・デ・フォッセ地方音楽院にソルフェージュ科として、モントルイユ地方音楽院にフルート科として在籍中。

 


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