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Interview│シルキー社 社長アンドリュー・ナウマン
ジョアン・シルキーとの出会いが 私の人生を大きく変えた
[この記事の目次]
世界のトランペットメーカーの中でも、ひと際大きな存在感を放つ〈シルキー〉。そんなシルキー社の現社長であるアンドリュー・ナウマンとはどのような人物なのか。まるで運命に導かれるようにシルキーと出会い、継承するに至った同氏の素顔に迫った。
取材協力:株式会社グローバル
人生を変えた偶然の出会い
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とても珍しい経歴をお持ちですが、トランペット製作をはじめたきっかけとは?
アンドリュー・ナウマン(以下、N)
それはたぶん私がプロ奏者を志す前から始まっていたんだと思います。私は子どものころから工作が大好きで、“モノを作る”ということに強い興味がありました。だからトランペットを学ぶうちに、自然と「楽器が作られるプロセス」にも惹かれていきましたね。最初に楽器を作ったのは大学院のとき。当時バロックトランペットのアンサンブルを作ろうとしたのですが、大学には100人を超えるトランペットの生徒がいるにも関わらず、学校にはバロックトランペットの備品が2本しかなかった。そこで私は楽器を眺めながら、「これなら自分で作れるんじゃないか?」と思ったんです(笑)。
そこから大学の先生に古いトランペットのベルや管を譲ってもらい、妻と住んでいたワンルームアパートのベランダで試作をはじめました。不格好ながら一本のバロック・トランペットを完成させた私は「これなら一から作れる」と考え、町工場で旋盤を購入してリビングのテレビの前に置き、ベルのスピニングを学んでいきました。最終的に6本のバロックトランペットを作りましたが、「これは売れる!」と先生に評価された経験が、私のトランペット作りの始まりです。
そこから大学の先生に古いトランペットのベルや管を譲ってもらい、妻と住んでいたワンルームアパートのベランダで試作をはじめました。不格好ながら一本のバロック・トランペットを完成させた私は「これなら一から作れる」と考え、町工場で旋盤を購入してリビングのテレビの前に置き、ベルのスピニングを学んでいきました。最終的に6本のバロックトランペットを作りましたが、「これは売れる!」と先生に評価された経験が、私のトランペット作りの始まりです。
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その後、金管で有名なゲッツェンにも勤めていたそうですね。
N
大学院で修士号を取得した後は、大学教授の職を得て、指導・演奏・製作の3つを並行する生活を送っていたのですが、そのころに銀メッキが必要なバロック・トランペットを製作していて、メッキ加工ができる一番近い場所を探してたまたま行ったのがゲッツェンだったんです。彼らに加工を依頼すると、私がやっていることに興味を持ってくれて、その後「うちで働いてみないか?」と声をかけてくれました。当時、博士課程に進むか迷っていたのですが、妻に背中を押されて入社を決めました。ゲッツェンでは、主任デザイナーとして4年間、主に「エドワーズ」を担当していました。
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それが、どのようにしてシルキー社を引き継ぐことになったのですか?
N
ゲッツェンに勤めていたときのことですが、私はとある奏者を空港へ送る途中に「シルキーに寄ってみないか?」と誘われたんです。私は立場上、シルキーの工場見学は遠慮し、オフィスで奏者を待っていたのですが、そこで当時のオーナーだったジョアン・シルキーと出会い、1時間ほど話し込んだのです。もちろん話題の多くは彼女の父、レノルド・シルキーについて。彼女は父を誇りに思い、その名を継ぐことをいかに大切にしているか話してくれました。そんな偶然の出会いから3か月ほど経ったある日、ジョアンから突然電話があったんです。「私たちの会社を買いませんか?」と。買い手は複数あったそうですが、彼女はシルキーを大企業に売るのではなく、ファミリーとしてブランドを守り、継承してくれる人を探していたと。
恩師の言葉に「right place, right time(正しい時に、正しい場所にいて準備ができていること)」というのがあるのですが、私の人生はまさに幸運な出会いの連続です。最初の幸運は、私の対等なパートナーとして常に支えてくれた妻ジュリーとの出会い。そして恩師のキャンデラリア先生や、深い理解を示してくれたエド・ゲッツェンとの出会い。彼らの存在が私を導き、ジョアン・シルキーとの出会いが私の人生を大きく変えました。
恩師の言葉に「right place, right time(正しい時に、正しい場所にいて準備ができていること)」というのがあるのですが、私の人生はまさに幸運な出会いの連続です。最初の幸運は、私の対等なパートナーとして常に支えてくれた妻ジュリーとの出会い。そして恩師のキャンデラリア先生や、深い理解を示してくれたエド・ゲッツェンとの出会い。彼らの存在が私を導き、ジョアン・シルキーとの出会いが私の人生を大きく変えました。

シルキーを支える“人”の力
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ナウマンさんが考えている「シルキーの設計理念」とは、具体的にどういったところでしょうか?
N
レナルド・シルキーと直接会えていたら、彼のことをもっと深く理解できたと残念に思います。ただ彼を知る人から聞いた話や、彼が設計した楽器を目にした限りでも、彼の仕事はとてもユニークなものだったとわかる。彼の設計哲学を簡潔にまとめるなら「円錐形の性質を持たせながら、シリンダー型(円筒形)の設計を融合させる」というものです。彼はステップボア設計を採用し、その代表的な例が、シルキー伝統のBシリーズ。楽器全体にわたって異なるボアサイズを組み合わせてバランスを取り、音程を改善するという考え方です。私が思うに、「単一ボアにせず、楽器の部分ごとにボアを変化させることで、幅広い音楽スタイルに適した、バランスのとれた楽器を生み出したこと」が、彼の最も偉大な功績でしょう。
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異なるボアサイズとは?
N
トランペットは一見すると円筒形に見えますが、部分ごとに異なるボアサイズが用いられる箇所があり、全体がずっと「0.460インチのまま」というわけではないんです。部分的にシリンダー型のまま進み、抜差管の曲がり部分や、バルブセクションの一部など、場所によってサイズが変わる箇所があり、円錐的に広がる部分もある。そうした楽器の“ユニークな領域”がそれぞれ違う働きをする。これが彼の設計思想の肝だったんです。
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その中でもシルキーの特徴的な音色に一番影響がある部分はどこでしょうか?
N
それは本当に難しい質問ですね。トランペット作りは画家の仕事と似ていて、ほんの小さな箇所の色を変えるだけで、絵全体の印象が大きく変わるように、ひとつの要素を変えると関連して4つ、5つと違いが生じて音色全体が変わるもの。それでも「あえて一つを選ぶなら?」と聞かれれば、それはベルです。ベルはとても重要なパーツで、楽器の音色を大きく変えることができる。私は根っからのベル職人なんですよ(笑)。
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バルブも自社で作られていますが、他メーカーとの違いは?
N
バルブこそがシルキーのユニークさでもあり、自社で作りつづけている理由なんです。具体的には各ポートの組み合わせ方や、セクションの繋ぎ方が他のメーカーと異なっていますね。さらにモデルごとにピストンの種類やサイズ、ボアが変わり、場合によっては真鍮以外の素材も使います。さらに重要なのは素材へのこだわり。ピストンに使うモネル合金(ニッケルと銅の合金)は認証を受けた最高水準の品質のものを選んでいます。そしてもう一つ欠かせないのが「人」です。シルキーには、ピストン製作に40年近く携わってきたような熟練の職人が何人もいて、その技が楽器を支えています。高品質の素材とそれを扱う人の存在が私たちの最大の強みだと思っています。
今も息づくレナルド・シルキーの哲学
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SB4については、過去に本誌でも紹介しましたが、ウォレス・ルーニー、クリス・ボッティとともに作られた「HC」についても教えてください。
N
HCのコンセプトは、マーティン・コミッティや初期のハンドクラフトが持っていた「ダークでスモーキーな音」を再現することでした。ご存じのとおり、レナルド・シルキーはコミッティの設計委員のひとりであり、「コミッティは“レノルドひとりのコミッティ”だった」と揶揄されるほどで、実際に設計を見るとシルキーの特にBシリーズとの共通点が多いのです。HCの開発には、クリスとウォレスの2人に協力してもらい、クリスは1920年代のプレ・マーティン・コミッティを、ウォレスはオリジナルのコミッティを所有しており、その楽器を間近に観察できたのは大きな助けになりました。
コミッティの音色を再現するため、私たちは設計をゼロから見直し、2年かけて新しいベルを開発し、古い楽器と試作品を比較しながら調整を重ねて理想の音に近づけていったのです。特にコパーベル仕様のHCは、“当時の音”が見事に表現できていると思います。
コミッティの音色を再現するため、私たちは設計をゼロから見直し、2年かけて新しいベルを開発し、古い楽器と試作品を比較しながら調整を重ねて理想の音に近づけていったのです。特にコパーベル仕様のHCは、“当時の音”が見事に表現できていると思います。
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シルキーはヤマハやバックと並び語られることが多いですが、シルキーを際立たせているものはなんだとお考えですか?
N
トランペットは魅力的なメーカーが多くあり、同じ業界にいる製作者として、彼らに大きな敬意を抱いています。とりわけバックやヤマハはとても大きな会社ですし、その2社と名前が並ぶこと自体とても光栄なことです。ただ強調したいのは、これはレノルド・シルキーとジョアン・シルキーの功績だということ。1970年代、ヤマハがトランペット製作を学ぶ際、レナルド・シルキーが大きな役割を果たしましたし、その功績はいまも業界に生きつづけています。それに会社の規模では、私たちはバックやヤマハと同じカテゴリーには立てません。では何がシルキーを際立たせているのか? それはやはり「人」です。レノルドは「職人は演奏家であるべきだ」と考えていました。その哲学はいまも受け継がれていて、私たちは約30人のスタッフがいますが、そのうち22人が修士号を持ち、音楽教育を受けた演奏家です。だからこそ「最高品質とは何か」を理解しており、それを製作に活かせる。その哲学が今も我々シルキーの根幹を支えているのです。

メンバー全員にマウスピース付きオリジナルプレートを渡し、交流を深めていた。















