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ヴィセンテ・アルベローラ Vicent Alberola

Cover Story on The Clarinet vol.66

世界の一流オーケストラから入団を熱望されるクラリネット奏者のヴィセンテ・アルベローラ氏が、ルツェルン祝祭管弦楽団のメンバーとして来日した。浜松国際管楽器アカデミーや、毎年夏に開催されるMMCJ(ミュージック・マスターズ・コース・ジャパン)の講師としても知られる彼は「日本は第二の故郷」と語る親日家でもある。指揮者としても活躍の幅を広げるアルベローラ氏に、愛する音楽と楽器について聞いた。  



練習はお小遣いのためだった?

ヴィセンテ・アルベローラ

─母国スペインのマドリード交響楽団の首席奏者をされていますね。出身はどちらですか。
ヴィセンテ・アルベローラ(以下A):私は地中海近くの小さな町で生まれました。ヴァレンシアの60キロほど南にある、「Benifairo De La Valldigna(ベニファイロー・デ・ラ・バルディグナ。スエカ司法管轄区)」という長い名前の町です。すてきなところで、とてもおいしいパエリアが食べられます。

 

─いつからクラリネットを吹き始めたのですか?
A:8歳の時でした。ヴァレンシア地方は伝統的に吹奏楽が盛んで、ローカルの吹奏楽バンドがたくさんありましたから、そのうちのひとつに入団して演奏を始めました。町の人口が1500人くらいなのですが、その中で100人ぐらいは私と同じ楽団に属していたんです。

 

─音楽を仕事にしようと決めたのはいつごろですか。
A:12〜13歳のころだったと思います。所属していた吹奏楽バンドは町のお祭りやパーティに呼ばれて演奏することが多く、その中でバンドをバックに自分がソロを吹く機会に恵まれました。吹いているうちに「これはとても楽しいな、いいな」と感じて、音楽家になりたいと考え始めたんです。

 

─どんな練習をしていましたか。
A:私の祖父がクラリネット吹きだったので、まず彼に習いました。最初は1日30分程度の練習でした。祖父が言うには、音楽家になりたいなら平日も週末も毎日練習しなさいと。10代の遊びたい盛りでしたが、祖父が「週末にちゃんと練習したら100ペセタ(当時の価値で100円程度)やるぞ」と言うので、練習してお金をもらい、それを貯めて映画を見に行ったり、お菓子を買ったりしていました。それが15歳くらいまで続きました。

 

─その後、ヴァレンシア高等音楽院に進学されましたね。
A:その頃には1日5時間以上は練習していました。17歳で高等音楽院を卒業してベルギーのアントワープ王立音楽院に入学し、そこでは1日10時間くらい練習するようになりました。その時に本当にたくさんのテクニックを身に付けることができました。それだけ練習を続けることができたのは、12歳の頃から自分の音楽が確立していたからだと思います。その音楽は今も自分の中でずっと続いています。

 

─アントワープ王立音楽院ではワルター・ブイケンス教授に師事しましたね。
A:初めてブイケンス先生に会ったのはアリカンテ(スペインの港湾都市。ヴァレンシア州)で開催された夏の講習会でした。そこで先生が吹くのを聴いて、音もテクニックも音楽性もすばらしい、こんなふうに吹いてみたい! と強く感じて、アントワープに行くことを決めました。

 

続きはThe Clarinet vol.66をご覧ください。

 

ヴィセンテ・アルベローラ Vicent Alberola
現在マーラー・チェンバー・オーケストラ、レ・ディソナンスの首席クラリネット奏者として活躍するほか、Orquesta del Real Sitio, the 430 Vigo Chamber Orchestraの首席指揮者、ロシア・ペルミ歌劇場の客演指揮者を務める。W.ブイケンス、G.ピーターソン、L.コムズの各氏に師事。20年以上にわたりマドリッド響とガリシア響の首席奏者を務めた。客演首席奏者としてもC.アバド、M.ヤンソンス、R.ムーティ、D.ガッティ、G.ドゥダメルなど世界的な指揮者のもとロイヤル・コンセルトへボウ管、ニューヨーク・フィル、ルツェルン祝祭管などで国内外の著名オーケストラで演奏。指揮者としての活動も積極的に行なっており、これまでにガリシア・ユース交響楽団、マドリッド歌劇場ユースオーケストラ、ソリア・ユースオーケストラの音楽監督を務め、マドリッド響、ロシア・ペルミ歌劇場、ヴァレンシア管、ヴァレス響などを指揮。オーケストラ作品だけでなくテアトロ・リアル歌劇場ではマドリッド響を指揮し多くのオペラ作品も演奏するなど多才ぶりを発揮している。