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マトシュ・コパーチェク Matouš Kopáček

ドヴォルザークやスメタナなど多数の作曲家を生んだ音楽の国チェコ。その首都を拠点に活躍するプラハ交響楽団に、20歳という若さで入団したのがマトシュ・コパーチェクさんだ。チェコの3大オーケストラの一つといわれるプラハ交響楽団の奏者を務めながら、プラハ芸術アカデミーにも通いさらなる学びを怠らない。それはマトシュさんが持つ、ある大きな夢をかなえるためだという。

取材協力:ヤマハ株式会社、株式会社ヤマハミュージックジャパン

オケ奏者の父から英才教育
最年少でプラハ響に入団

マトシュ・コパーチェク
「The Clarinet」には初登場になりますね。最初にマトシュさんのご出身地を教えていただけますか。
マトシュ・コパーチェク
(以下M)
生まれたのはプラハから約50キロ北の町「ロウドニツェ・ナド・ラベム」です。人口1万5千人ほどの町ですが、そこには、ベートーヴェンが交響曲第3番「英雄」を作曲し、城の持ち主に献呈したといわれるお城があるんです。現在はプラハに住んでいます。
クラリネットを初めて吹いたのはいつですか。
M
9歳のときです。父がクラリネット奏者で、その影響ではじめました。
マトシュさんのお父様はチェコ・フィルハーモニー管弦楽団(チェコ・フィル)の首席クラリネット奏者トマーシュ・コパーチェクさんですね。日本には何度も来日されています。
M
父だけでなく、家族には音楽家が多いです。祖父もチェコ・フィルのクラリネット奏者で、曽祖父はチェコ・フィルのファゴット奏者でした。
お父様のトマーシュさんからクラリネットの指導を受けたのですね。
M
そうです。とても厳しい指導でした。いつもベストを尽くすように求められました。そして、ただ教わるのではなく、自分でもクラリネットを習得するのに努力しなさいと言われました。もちろん父自身も熱意を持って教える努力をしてくれました。多くの人が、親でありながら音楽の指導者として子どもに教えることは難しいと思うでしょうが、私の場合はそれがうまくいったようです。あんな先生はどこを探してもいなかったと思います。
お父様にはいくつまでクラリネットを習いましたか。
M
16歳でプラハ音楽院に入学するまでは、ずっと自宅で父の指導を受けていました。もちろん地元の学校で義務教育は受けていましたが、16歳までは音楽学校には特に通っていません。
プラハ音楽院ではどのようなことを学びましたか。
M
練習の中で一番効果があったと思うのは、オーケストラのクラリネットパートの一員として演奏することです。ある程度上達した後は、一人でクラリネットを吹く練習はあまりしなくなりました。やはりプレイヤーとして上達するためには、オーケストラと一緒に演奏する経験は不可欠です。オーケストラの中で実践を積んでいくのはとても実のあることでした。
そして昨年20歳でプラハ音楽院を卒業後、プラハ交響楽団に入団されましたね。
M
2019年5月に行なわれていたプラハ交響楽団のオーディションに参加しました。クラリネットのメンバーを2人募集していたのです。そのオーディションに合格し、音楽院卒業2日前に入団しました。20歳での入団はおそらく最年少だと思います。
 
 
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