木村奈保子の音のまにまに|第25号

まっとうなヒロイン像の“継承”

「戦争の指揮、わてに取らせてもらえまへんか?
あんさんにはもう、だ~れもついてきまへん。
いっそ、引退してもらいまひょうか?」

シリーズ4作目、映画「極道の妻 最後の戦い」(日、1990)から、ヒロイン演じる極妻、岩下志麻のセリフである。
ム所帰りの夫に向かって、妻の岩下志麻が吐くセリフである。久々に本作を見て、日本のヒロイン像に、しびれまくった時代を思い起こした。

極道の妻たち,flyer

これまで、夫がいないところで忠実に組を見守ってきたはずの妻だが、いまや敵に騙され、愛人ともチンタラしている夫を極道の親分として、ついに見限る、そんな瞬間にいうセリフ、立ち回りが素晴らしい。
このセリフのあと、夫に刀を握らせ、自分の足の甲にブスッと刺させる。
指を詰める以上の、足を詰める、という行為の迫力ある演出が岩下ヒロインのセリフ使いで、美しく引き締める。

 

「これが、ケジメや。あとは好きにしなはれ。」

妻は夫である親分を蹴り飛ばしてクビにし、女の友情と自らの信念のもとに、一人、敵に向かうシーンが痛快で、かっこよさに涙が止まらない。

ちなみに、映画を観て泣く時というのは、私にとって、いい俳優の芸や演技の凄さを感じるとき、ストーリーのなかで、精神分析に至る奥深い心理が描けているとき、ジェンダー論にかかわるテーマがあるときなど。いわゆる「泣ける映画」というような、お涙頂戴的視点はない。映画は、人間の深みに入るメディア。泣くのは、心をえぐられた時だ。

さて、この家田荘子原作の映画化、極妻シリーズが話題となったのは、女性もやくざ映画に興味を持ったから、とういうわけでは決してなく、すこぶるタフな精神による新しい女性像が登場したことにあった。
やくざ社会が背景となると、現代ではそれだけで逆に受け入れられない時代だが、このころは、裏街道と関西弁もあいまって、女の根性を表現した。
同時に、80年代は、アメリカ映画におけるヒロイン像がみるみる強くなった。その強さは、子供を産む女性の強さとか悪女のしたたかな強さといった女性的なものではなく、男性に対して、女性の論理的な切り替えしのセリフが見ものとなり、曖昧な恋愛依存より、男女のあり方を論理的に考える方向に向かった。
実社会での女性の権利が進んだのも、こうしたメディアの意識改革が大きく貢献している。

アメリカでは、この方向性がその後も決して後戻りすることはなく、男性が背負うヒーロー像にとって代わる、筋道があり、責任を負い、明確な意思を示す女性像へと向かった。

私が「アメリカ映画と人権運動」をテーマに、論考や講演を30年も続けてきたのは、映画を娯楽としての楽しみ以上に、こうした実社会への意識改革も期待してきたからこそである。

日本でも80年代後半から男女雇用機会均等法も始まり、キャリアウーマンが増える一方、本作は、日本映画のヒロイン像を大きく作り替えるチャンスでもあった。
映画とフェミニズムを語る視点で、欠かせないシリーズといえるが、社会はそれを、どこまで意識してきただろうか?
たぶん一過性のブームでしかなかったのではないか?

背景にあるやくざの世界を、一般社会に差し替えて想像することができたから、多くの女性にも人気の的となった物語。
あくまで、男性社会の補助でしかなかった女性の役割から抜け出たい、私のような感性を持つ女性が日本にも多くいたのである。

さらに東映映画の良さは、原作に描かれた女性の我慢や愚痴や愛をとりいれながらも、男性社会の持つスケール感、アクション技をヒロイン役に、取り入れたところ。
五社英雄のダイナミックな演出でスタートした岩下志麻のタフなヒロイン像は、女のリリシズムにあふれ、その後十朱幸代、三田佳子に引き継がれたが、4作目で再度、岩下志麻がカムバックとなった。

このとき、岩下志麻が、山下耕作を監督に指名。女優が、監督を選ぶことができるという関係性にも進歩があった。

私もこの監督が好きで、「修羅の群れ」(84年、日)をその年のベスト1に入れ、「夜汽車」(85年、日)では、映画の特番をまかされ、演出、制作をした。
山下監督は、ありがちな女性のエロを控えめに、男の世界のストイックで、直線的な表現をヒロイン像にも反映させ、女にも、高倉健や菅原文太のキャラが生かせることを証明したのである。

また本作で大事なポイントは、物語の中で、ヒロインと友情に結ばれた妹分(かたせ梨乃)との関係性である。女性同士が男をとりあって競うわけでもなく、裏切りあうこともない。女性同士、盃を交わした関係だ。そうなると、セクシー梨乃の存在も、りりしくなる。
女同士を戦わせるのが好きな男のせこさはまるでないのが、女性映画らしい。

このころ岩下志麻自身が、「グロリア」(80、米)のジーナ・ローランズを気に入り、アメリカ映画の自立したヒロイン像を意識していたとのこと。

グロリア,flyer

こうした男性的なヒロイン像をこのころから映画界も明確に確立し、社会で受容し、若い世代がそれを強く継承してきていたら、日本の女性像は、いまもっとグローバルに近づいたかもしれない。

ただ、テレビドラマでは、脚本家に女性が多く、昔と異なりキャリアウーマンの主人公が確かに存在する。
ただ、タフなヒロイン像としては、欧米に比べると、まだまだ線が細いと私は感じる。
中堅女優でも、「グロリア」ばりの迫力が出せると思える人はなかなかいないし、可愛らしさやきゃしゃさ、美貌があり過ぎて、役作りまで到達できないような……

何より、ドラマ全体が劇画チックで笑いをとるような構成が多く、俳優らが、漫画で描かれるような大げさな顔芸や、動きが気になっている。
映画やドラマは確かに“誇張”だ。しかし、誇張される方向が、期待とは違う。

あの、くわえたばこを練習した岩下志麻が、ブランデーを飲みながら銃を携え、「あほんだら~~、撃てるもんなら、撃ってみい~」とすごむ。こんな迫力は、いまやアメリカの女優なら当たり前に出せる凄みだが、日本だと生のイメージも大事だからか、可愛らしすぎて、迫力不足になる。

そういえば新政権で、日本は、他国に比べて女性の閣僚は極端に少ない。とはいえ、こんなに古い男性社会では、たとえ多くの女性が閣僚に入っても、結局、内助の功で悪いトップリーダーを盲目的に奉ったり、あるいは自分の野心のためにしか働かない女性だとしたら、裏切られるような気がしてならない。
まっとうな女性リーダーがどれほど育ってきていないのか、ヒロイン像研究家としては、女性の未来を危惧するばかりだ。

女性が男社会の悪い部分、ダメな部分を恐れることなく、ばっさばっさと斬りすてて、立ち回るヒロインになってこそ、意義がある。
その時代が、近づいているようにはいまのところ、見えない。

まっとうなヒロイン像の“継承”こそ、いま日本に必要なのかもしれない。

 

木村奈保子

木村奈保子
作家、映画評論家、映像制作者、映画音楽コンサートプロデューサー
NAHOKバッグデザイナー、ヒーローインターナショナル株式会社代表取締役
www.kimuranahoko.com

 

N A H O K  Information

木村奈保子さんがプロデュースする“NAHOK”は、欧州製特殊ファブリックによる「防水」「温度調整」「衝撃吸収」機能の楽器ケースで、世界第一線の演奏家から愛好家まで広く愛用されています。
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問合せ&詳細はNAHOK公式サイト

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モデルは、東京フィルハーモニー交響楽団フルート奏者で、指揮者としても活動中のさかはし矢波さん
 

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