サックス記事 渡辺貞夫 音楽活動60周年記念のニューアルバム 「カム・トゥデイ」を語る
THE SAX vol.50 Cover Story

渡辺貞夫 音楽活動60周年記念のニューアルバム 「カム・トゥデイ」を語る

日本のジャズシーンが生んだ最大のスターと言えば、サックスプレイヤー渡辺貞夫氏であることに、 異論を挟むものはいないだろう。そして日本のみならず海外でもその名を知られる“世界のナベサダ”が今年、 音楽活動60周年、そしてリーダーアルバム発表から50周年という節目を迎えた。そこで本号では渡辺氏へ異例のロングインタビューを敢行。 記念作ともなるニューアルバムのことはもちろん、自身の歩みや楽器の変遷についても語ってもらった。 さらに、完全ディスコグラフィやゆかりの深いアーティストからのコメントなど、 盛りだくさんの特集でジャズ巨人の功績を讃えよう。(写真:土居政則)(※こちらの記事では、[1st INTERVIEW]のみ掲載)

若手実力派の3人を前作に続き抜擢したレコーディング

まずは、音楽活動60周年と、初リーダーアルバム発表から50周年ということで、おめでとうございます。そして、記念アルバムとして新作をリリースされました。2009年発表の「イントゥ・トゥモロー」から2年ぶりになります。
渡辺
まっ、そういうことで、今回のアルバムは「カム・トゥデイ」にしたんですよ(笑)。
レコーディングメンバーは前作と同じ顔ぶれですね。
渡辺
「イントゥ・トゥモロー」で彼ら3人をすっかり気に入っちゃったんで、是非またということでお願いしたんです。
ジェラルド・クレイトンとベン・ウィリアムスは20代で、ジョナサン・ブレイクが30代半ばということで、まだ若いミュージシャンですね。彼らのすばらしい点というのは、どういったところでしょう。
渡辺
まず、とにかくコンセプトの把握が早いですよね。それから、アーティキュレーションもすばらしいし、デリカシーがある。それでいて、なんというか品があるよね。それはすごく大切なことだと思うんですけどね。今回のレコーディングでは一応曲のコンセプトは話しましたけど、それを彼らがどういうふうにトライするか、どんなアプローチをするかというのは僕から一切要求はしなかった。だから、僕の中にはあったんですけど、あえてそれを彼らには言わず、みんなが感じるようにやってよと。
そういう方法でレコーディングしてみて、いかがでしたか。
渡辺
リハーサルは1日だけだったんだけど、翌日の本番は思いがけなくというほど良かった。ただ、レコーディングの日程が2日しかなかったのに、初日の2曲目に楽器が壊れちゃったんですよ。フェルトがおっこっちゃった。急に鳴らなくなって焦りましてね。糊で貼り付けてやったんだけど不安感いっぱいで(笑)。だから1日目は気持ちが落ち着かなくて。それで2日目、朝一で楽器の修理に持って行って、午後からまた始めたんです。
そういうトラブルがあったということは、ほぼ1日でレコーディングされたようなものですね。
渡辺
だから、気持ちの上でちょっと急いてしまって。もうちょっと丁寧にやればよかったと後になって思いました。後の祭りだったけど。ミュージシャンたちも集中できる時間はそんなに長くないから、これ以上やってもしょうがないというのもあってね。で、やはり1回目が一番いいんですよね。新鮮で。

CD Information

カム・トゥデイ
「カム・トゥデイ」
 【VICJ-61655】 
発売元:ビクターエンタテインメント
[演奏] 渡辺貞夫(Sax) ジェラルド・クレイトン(Pf) ベン・ウィリアムス(Bass) ジョナサン・ブレイク(Ds)
[収録曲] 渡辺貞夫:カム・トゥデイ、ウォーム・デイズ・アヘッド、エアリー、ホワット・アイ・シュッド、アイ・ミス・ユー・ホェン・アイ・シンク・オブ・ユー、ジェメイション、ヴァモス・ジュントス、シンパティコ、シーズ・ゴーン、ララバイ

次ページにインタビュー続く
・ジャズ界のトップランナーとして東日本大震災に想うこと
・アルバム全体から物語性が感じられる新作「カム・トゥデイ」

登場するアーティスト
画像

渡辺貞夫
Sadao Watanabe

1933年2月1日栃木県宇都宮市生まれ。チャーリー・パーカーに憧れ、1951年に上京してプロとしての活動を始め、1953年に秋吉敏子(Pf)のグループに参加して注目を集める。1961年に初リーダー作「渡辺貞夫』をリリース後、バークリー音楽院に留学。その後チコ・ハミルトン(Ds)やゲイリー・マクファーランド(Vib)などのグループに参加し、ブラジル音楽などにも触れて自身の音楽性を確立していった。1965年に帰国。1966年に「ジャズ&ボッサ」をリリースして日本にボサノヴァ・ブームを巻き起こした。1970年代から海外にも進出し、1970年代後半からはフュージョン的なサウンドにもアプローチ。1978年の「カリフォルニア・シャワー」は大ヒットを記録した。1983年に全米でもリリースされた「フィル・アップ・ザ・ナイト」は“ラジオ&レコード”誌のジャズ・チャートで1位を記録。その後も日本最高のアルトサックス奏者として精力的な活動を続けている。

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