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コンサート・レポート

アンサンブル・ソノリテ 名曲コンサート

クラリネット四重奏団 アンサンブル・ソノリテ 名曲コンサート
[日時]2023年6月8日(木) 19:00開演
[場所]日本福音ルーテル東京教会 礼拝堂
[出演]アンサンブル・ソノリテ
    青山秀直 1st.クラリネット
    小俣静香 2nd.クラリネット
    西川智也 3rd.クラリネット
    青山映道 バスクラリネット

日本を代表するエーラー式クラリネットの名手である青山秀直氏。彼がベルリン留学中の1995年に結成したクラリネット四重奏団「アンサンブル・ソノリテ」の名曲コンサートが、東京・新大久保にある日本福音ルーテル東京教会の礼拝堂で開催された。
創設メンバーである青山秀直氏と小俣静香氏、青山氏の弟子で群馬交響楽団の首席クラリネット奏者を務める西川智也氏、そして青山氏の実弟でバスクラリネット奏者としても名を馳せる青山映道氏と、それぞれのキャリアを重ねてきた名手が集まったこのアンサンブル・ソノリテ。
神聖な雰囲気が漂う礼拝堂の澄んだ空気はこの日、極上の《ソノリテ》で満たされた。

左から青山秀直氏、小俣静香氏、青山映道氏、西川智也氏

彼らのレパートリーは、クラシックからポピュラー音楽、ジャズまで幅広い。今回のコンサートでも、それはいかんなく発揮されている。
前半では、後期バロック期の作曲家T.アルビノーニ、古典派音楽の大家M.A.モーツァルトの曲を演奏。正統派の秀麗な響きを存分に堪能させていただけた。
一曲目はアルビノーニの『ソナタ ト短調』。元は『6つのシンフォニアと6つの五声の協奏曲』の第11曲目であり、2本のバイオリン、2本のヴィオラ、1本のチェロとチェンバロという編成である。会場が教会であるが故の選曲なのだろうか、壁面の雰囲気などと相まって荘厳な雰囲気を生み出していた。バロック音楽らしい和声感、進行の厳正さをキッチリと音に表現したそのサウンドは、格別の一言。個々人の極まった技術と豊かな響きが生み出す倍音に会場は包み込まれ、非日常的な多幸感で満ちあふれていた。
二曲目はモーツァルトの『四重奏曲 KV590』。こちらはもともと弦楽四重奏用の曲であり、モーツァルトが同編成のために書いた最後の曲でもある。今回は、青山秀直氏によるアレンジでのお披露目となった。
この曲はモーツァルトの最晩年に作られた。古典的な4楽章形式で書かれており、どこか愛おしいような懐かしさをまとったその曲調は古典派音楽の文法から逸せず、モーツァルトらしさ全開であると言えようか。穏やかで耳馴染みがよいメロディが各パートに散りばめられており、それぞれが対話するように、楽器でコミュニケーションをとっていることが目に見えてくる。クラリネット4本からこれほどまでに豊かな響きが作り出される。これこそが《ソノリテ》なのだと得心させられた。

クラシカルな選曲となった前半からは雰囲気を変え、後半は近現代の作曲家や一般に親しまれているクラシックに焦点を絞ったプログラムとなった。

後半では、青山秀直氏が自らお話をされる

後半の幕開けとして、ヨハン・シュトラウスⅡ世の『トリッチ・トラッチ・ポルカ』が賑やかに出走を飾った。動静の緩急が非常に特徴的であり、メリハリの付け方が前半とは大きく異なる。後半はまた違う表情を見せてくれるのだと、期待で胸が高まった。

続く曲は、真島俊夫の『レ・ジャルダン』。今回のプログラムで唯一の邦人作品であり、唯一の二十一世紀に書かれた曲である。
タイトルのレ・ジャルダンとはフランス語で「庭」の意味。「Ⅰ.画家の庭」「Ⅱ.夕暮れの庭」「Ⅲ.音楽家の庭」の全3楽章構成で、それぞれ異なった情景の「庭」を、淡く美しい色彩感で表現している。
ここまでこのコンサートは、厳格なイメージを持つクラシック曲に小気味よいテンポのポルカと続いた。そしてこの『レ・ジャルダン』はフランスのエスプリが効いた印象派にも通ずる楽曲である……と、それぞれ性格がまったく異なる選曲を、そのすべてに高い理解を持って演奏されている。この引き出しの多さは彼らが踏んできた場数の賜物であり、この引き出しの多さこそが彼らを名手たらしめるファクターなのだろうか。

コンサート最後のプログラムは、A.ピアソラの『タンゴの歴史』である。
この曲は全4楽章からなる。「Ⅰ.娼家 1900」「Ⅱ.カフェ 1930」「Ⅲ.ナイトクラブ 1960」「Ⅳ.現代のコンサート」と、その名の通りにタンゴの辿ってきた歴史を30年ごとに切り出し、音楽に表した曲となる。
第1楽章「娼家 1900」は売春宿での気晴らしに過ぎなかったころのタンゴを描いている。明るく陽気な、ともすれば軽佻浮薄な雰囲気の中に情熱的なタンゴの顔を潜ませた多彩さが魅力的である。ここまで様々な顔を表現してきたこのアンサンブルにとっては、二面性を描くのは実に容易いのであろう。場面が転回するごとに音の指向性やキャラクターを変え続け、目まぐるしく変わる情景を克明に音に表し続けていた。
第2楽章は「カフェ 1930」。この時代に、タンゴは「踊る音楽」から「聴く音楽」へと転回した。妖艶とすら表現できそうなほどにロマンティックな旋律が印象的であり、ここまでその顔を見せなかった、情念を抱くように歌い上げる曲となる。当時のカフェでは、恋人同士が密かに睦言を交わしたのだろうか。何人も立ち入れないようなアンタッチャブルな雰囲気を出すに当たり、クラリネットの右に出るものはいないと改めて実感する。
続く第3楽章は「ナイトクラブ 1960」。ピアソラがタンゴの破壊者として頭角を現した時代。踊る音楽としてのタンゴと聴く音楽としてのタンゴ、どちらの要素も持ちながらそのどちらにも属さない、新時代のタンゴが産声を上げたのである。
この楽章は、ナイトクラブを主戦場にまったく新しいタンゴを演奏していたピアソラの“自由なタンゴ”のエッセンスを存分に含んだ、ある意味では非常にピアソラらしい楽章である。ある場面では熱を帯びた舞曲のように歯切れよく、かと思えば人目をはばかるようなメランコリックさを持ち、うねりを上げながら演奏は展開していき、情熱的なコーダまで一息にこぎ着けていった。
最終の第4楽章は「現代のコンサート」。1960年代に破壊され再生したタンゴは嘗てよりさらに広く人々に受け入れられ、より多くの様式を受け入れながら進化をしていった。この楽章では現代音楽的な無調声、変則的な拍子感を取り入れており、それまでの楽章とは一線を画す表情を出している。
演奏の難易度としても最高潮であろう。無有入り乱れる和声は調和を難しくし、つかみどころがズラされたリズムの中でアゴーギグを魅せるのは至難の業だ。特殊奏法が頻発するし、そもそも一つひとつのパッセージがまず難易度が高い。そんな曲を難しく感じさせない彼らの演奏は最後の一音まで血潮がほとばしり、観客も万雷の拍手でもってこの演奏の締めくくりを迎え入れた。


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