クラリネット記事
The Clarinet vol.67 Close Up-1

ホセ・ゴンサレス・グラネーロ Jose Gonzalez Granero

サンフランシスコ歌劇場管弦楽団の首席クラリネット奏者であり、同時に作曲家としても積極的に活動しているホセ・ゴンサレス・グラネーロ氏へのインタビューが実現した。西海岸を代表するオペラカンパニーの首席奏者である彼はヤマハプレイヤーであり、日本との縁も深いプレイヤーだ。彼のクラリネット、そして作曲活動への情熱を訊いた。

ヴェルディの“憩いの家”で得たかけがえのない経験

ホセ・ゴンサレス・グラネーロ

ホセ・ゴンサレス・グラネーロさんと、通訳を務めた奥様の矢野明日香さん(Vn)

─クラリネットを習い始めたきっかけを教えてください。
ホセ・ゴンサレス・グラネーロ(以下J):地元のスペイン南部の小さい街で5歳の時にブラスバンドに入ったのがきっかけです。スペインの街には必ず小さな闘牛の練習場があり、それに付随する形でブラスバンドも必ずあります。私の祖父も父も街のブラスバンドで指揮者をやっていました。最初はサクソフォーンをやりたかったのですが、まだ幼かったので指が届かず、父から「クラリネットなら指が届くと思うからやってみれば?」と言われ、クラリネットに移ったのです。クラリネットも5歳の自分にとってはもちろん大変でしたけれど、最初は左手で出せる音だけで合奏に入っていました。バンドでは日本でも親しまれている吹奏楽のオーソドックスな曲をやることも多少ありましたが、大抵はスペインで親しまれている曲を吹きます。闘牛やイースターのイベントを盛り上げるためにイベント中ずっと吹くのです。マーチングもやりましたね。その伝統は地元の街では今でも続いています。
バンドで演奏しているうちにどんどんクラリネットのことが好きになり、近くの音楽教室でレッスンを受けるようになりました。中学校の放課後に別の音楽学校に通い、音楽理論や和声なども勉強しました。

─その後専門的な教育を受けるためにグラナダの音楽学校へ進学されましたね。
J:グラナダで学んでいた時は、人生で初めて同じ音楽に興味のある人たちに囲まれた環境に身を置くことになりました。グラナダのシティ・オーケストラで吹く機会にも恵まれ、そこで初めてプロの音楽家と一緒に演奏できました。その後、奨学金が出てミラノにある音楽学校に6ヵ月間行く機会を得ました。かの有名なジュゼッペ・ヴェルディが残した“憩いの家”で生活しました。そこはすごく大きな家で、すでにリタイアした音楽家と若い音楽家が寝食を共にするというユニークな施設です。ヴェルディの墓もそこにあるんですよ。そこでの生活は本当に最高な経験でした。カルロス・クライバー(指揮者)の妹さんや、マリア・カラス(オペラ歌手)やストラヴィンスキーと一緒に音楽をした経験のある方々と一緒に暮らせるのですから! そこで出会った音楽家たちから得た経験、そしてスカラ座で初めて聴いたオペラなどの音楽は私の人生を大きく変えるほどのものでした。

インタビューはまだまだ続きます。The Clarinet vol.67をチェックしてください!

 

Profile
クラリネット奏者、作曲家。グラナダ・ロイヤル・コンサバトリー、南カリフォルニア大学ソーントン音楽学校、ロサンゼルス・コルバーン・スクールを卒業。2008年パサデナ・インストゥルメンタル・コンクール第2位 、2009年バーバンク・フィルハーモニー管弦楽団コンクール第1位、同年パサデナ・インストゥルメンタル・コンクールでグランプリを受賞するなど数多くのコンクールで入賞。また、Villiers Quartet New Works作曲コンクール(ロンドン)第1 位、なども受賞し、彼の作品はScomegna Edizioni Musicali(イタリア)とRivera Musica(スペイン)で出版された。
2005年から2007年までアンダルシア・フィルハーモニー管弦楽団(スペイン)の首席奏者を務める。 Norwegian Radio Orchestra(ノルウェー)、Odense Symfoniorkester(デンマーク)、Galicia Symphony Orchestra(スペイン)、City of Granada Orchestra(スペイン)など多くのオーケストラと共演。
現在、サンフランシスコ歌劇場管弦楽団首席奏者であり、EnsembleSF, Music in May, EOS Ensemble, Granada Brass Quintet, Proemium Metals、Stanford Philharmonia などの作曲家としても活躍。


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