クラリネット記事 フローラン・エオー インタビュー 〜愛弟子から見た、ミシェル・アリニョンの肖像〜
  クラリネット記事 フローラン・エオー インタビュー 〜愛弟子から見た、ミシェル・アリニョンの肖像〜
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ミシェル・アリニョン追悼 ~In memory of Michel Arrignon

フローラン・エオー インタビュー 〜愛弟子から見た、ミシェル・アリニョンの肖像〜

15年もの間、アリニョン氏のもとで学び、40年以上の月日をともに歩んだ愛弟子であるフローラン・エオー氏。アリニョン氏は生前、エオー氏を「後継者」と語っていたという。そんなエオー氏が今回、演奏家として、最も近くで見てきたアリニョン氏の素顔と功績について語ってくれた。
また、本インタビューの最後には、アリニョン氏のご息女である、カミーユ・アリニョン氏の特別寄稿メッセージも掲載している。

協力:ビュッフェ・クランポン・ジャパン

エオーが見た、アリニョンの肖像

ミシェル・アリニョンさんに師事され、長年ともにしてきたエオーさんですが、弟子の立場から見たアリニョンさんは、どんな人物だったのでしょうか?
フローラン・エオー
(以下H)
私はもともとパリの南にある小さな街の出身で、そこで彼にクラリネットを教わりました。それ以前にも少しクラリネットは習っていましたが、きちんとした意味での最初の先生は彼でした。
当時、彼はピエール・ブーレーズ率いる「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」のクラリネット奏者でした。そのことに関連して言えるのは、ミシェル・アリニョンは現代音楽の分野において非常に大きな貢献をしたということです。たとえば、ルチアーノ・ベリオの《セクエンツァ》の初演も彼が手がけました。私が学生だったころの話です。彼は多くの新作を初演し、ブーレーズと長く仕事を共にしていました。彼はいつも、「自分の人生においてブーレーズの存在はとても大きかった」と話していました。ブーレーズが偉大な作曲家であり、音楽家であり、指揮者であったことは誰もが知っていますが、「特にブーレーズから、音楽に徹底して向き合う姿勢と規律を学んだ」と語っていました。ブーレーズのおかげで、本当に多くのことを学んだと。それが、まず第一の大きな影響だったと言えると思います。これは現代音楽への貢献という点ですが、それに加えて、彼は本当に偉大な教育者でもありました。
私自身、ずっと彼のもとで学びつづけました。パリ音楽院に入学した最初の1年はギイ・ドゥプリュのクラスに在籍していて、その翌年に彼がドュプリュ先生の後任教授として就任し、再び私の先生になったんです。ドゥプリュ先生や、ミシェル・ポルタル先生も現代音楽を徹底的に探求していた世代で、アリニョン先生はその流れを音楽院の中でしっかりと受け継ぎ、発展させていきました。そういう意味でも、彼は本当に偉大な教授だったと思います。
彼はパリ音楽院では20年間にわたって教鞭をとり、その間に本当に多くの音楽家を育てました。日本人の音楽家もとても多かったですね。そして音楽院に就任する前は、パリ・オペラ座の首席クラリネット奏者も務めていました。私がいろんな人から聞いたのは、在団期間が短いにも関わらず、パリ・オペラ座で強烈な印象を残した存在だったということです。彼のクラリネット・ソロは、ヴァイオリニストたちが思わず振り返って演奏を見てしまうほど美しかったと言われています。

そして、私が本当にすごいと思っているのは、彼が15年間も私の先生だったということです。それ自体がとても珍しいことなんです。普通はそんなに長く同じ先生に習うことはありません。にも関わらず、私は彼のレッスンに一度も飽きたことがなかった。それはつまり、彼自身が常に考え方を進化させつづけていて、私はその変化をずっと享受してきた、ということだと思います。だから彼の教えに退屈したことが一度もなかった。それだけ、彼の教育には本当に豊かな内容があったということですね。
 
 

アリニョンが遺した功績

H
クラリネットのレパートリー面でも彼の功績はとても大きく、クラリネット作品の解釈そのものを変えた人物でもあります。たとえばドビュッシーの《ラプソディ》ですが、当時はコンクール曲だったこともあって、とにかく速く演奏される傾向が強く、音楽的にあまり良い解釈とは言えなかったと思います。しかし彼は、ドビュッシーの演奏様式そのものを根本から考え直しました。なぜそのような再考に至ったのかというと、彼自身が、クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノという編成の「オリヴィエ・メシアン四重奏団」のメンバーとして演奏していた経験があり、彼らはコンサート前半のプログラムで、ドビュッシーの《ヴァイオリン・ソナタ》、《チェロ・ソナタ》、そしてクラリネットの《ラプソディ》をよく演奏していたそうです。彼は、ヴァイオリニストやチェリストの演奏を聴きながら、「クラリネットも同じレベルの表現力、同じレベルの音楽性を持つべきだ」と強く感じていたと話してくれました。その考えのもと、楽譜を徹底的に読み込み、ドビュッシーの音楽を数多く聴きながら、ドビュッシー作品へのアプローチの仕方そのものを見直していったのです。
私は、それが本当に重要な点だと思っています。なぜなら、今私たちがドビュッシーの《ラプソディ》をより良く演奏できるのは、まさに彼のおかげだからです。

同じことがモーツァルトの《協奏曲》にも言えます。若い世代に説明する上で大事だと思うのですが、今では誰もがこの協奏曲がバセット・クラリネットのために書かれた作品だと知っていますよね。でも私がパリ音楽院の学生だった当時は、それはまだはっきりしていませんでした。本当にバセット・クラリネットのために書かれたのかどうか、確信が持てなかったのです。だから、今の若い世代には、こうした解釈や知識が、長い時間をかけて少しずつ発展してきたものだということを理解してほしいと思います。
彼の1988年の録音を聴くと、それがよく分かるでしょう。YouTubeでも聴けますが、パリ・オペラ座管弦楽団とジョルジュ・プレートル指揮でモーツァルトの協奏曲を演奏しています。そしてその3年後、今度はジャン=フランソワ・パイヤール指揮のオーケストラと、バセット・クラリネットで同じモーツァルトの協奏曲を録音しているんです。そのわずか3年の間に、彼はすでにモーツァルト協奏曲の捉え方を大きく変えています。まず楽器そのものが違いますし、さらにこの時期は、古楽やバロック音楽の演奏が本格的に広まり始めた時代でもありました。 古楽やバロック音楽に取り組むクラリネット奏者が現れはじめたころです。
彼自身もすぐに、「古いクラリネットと現代のクラリネットで、同じやり方で音楽を演奏するわけにはいかない」と考えるようになり、新しく生まれてきた演奏の考え方を取り入れながら、自分の演奏スタイルを変えていきました。 今でこそ「様式的に情報に基づいた演奏(ヒストリカル・パフォーマンス)」と言いますが、当時はまだそのような考え方は一般的ではありませんでした。 そのため、今あらためて当時の録音を聴くと、現在とは明らかに異なる演奏様式であることに気づきます。それは、クラシック音楽の様式に対する理解そのものが、この時代を境に大きく変わったからです。アリニョンは、まさにその変化を実際の演奏によって示した人物でした。
 
 

現代クラリネットを決定づけたアリニョンの音色

H
そしてもう一つ、彼について非常に重要なのが「音色」です。かつてのフランス派、たとえばジャック・ランスロの時代に知られていた音色は、現在私たちが耳にしているフランス派の音とは、質感そのものが異なっていました。
当時の音は、もっと明るく、英語で言えば「bright」 な響きでした。明瞭という意味ではなく、輝かしく、やや小ぶりで、軽やかな音色です。しかし1970年代から80年代にかけて、管楽器全体の流れとして、より丸く、厚みのある音へと志向が変わっていきました。この大きな転換のきっかけを作ったのが、パリ音楽院での彼の前任者、ギイ・ドゥプリュです。そしてミシェル・アリニョンは、その流れをさらに推し進め、音のコンセプトそのものを変えた人物でした。
結果的に、今日私たちが「現代的」と感じているクラリネットの音色は、まさに彼がその移行を決定づけたものだと言えると思います。
ある日、彼が私に「自分の音楽人生で本当に重要だった人物がふたりいる」と話してくれたことがありました。一人はすでに話したピエール・ブーレーズ、そしてもう一人がモーリス・ブルグでした。ブルグはアリニョンより少し年上のオーボエ奏者で、パリ音楽院でオーボエと室内楽の教授も務めていた人物です。アリニョンはブルグのアンサンブル「アンサンブル・ブルグ」で演奏し、そこで本当に多くのことを学んだそうです。特にブルグは、呼吸の仕方、つまり“ブレス”について本格的に考え始めた最初期の音楽家の一人で、さらに音楽のフレーズの作り方についても深く研究していました。アリニョン先生自身も「ブルグと一緒に演奏することで、たくさんのことを学んだ」と言っていました。そうした経験すべてが、今日私たちが演奏しているような、現代的なクラリネット奏法への移行につながっていったのだと思います。
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