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The Clarinet vol.4 Cover Story │ ミシェル・アリニョン
心の奥底に語りかけるクラリネットの音色
パリ国立高等音楽院の教授であるアリニョン氏は、何度も来日し、多くの若者を教え育てている。
高い音楽性と飾らない人柄から発する演奏は多くの人々に強い感動を与えている。
インタビュア:大浦綾子
祖父のクラリネットを聴いて育ったのです
―
クラリネットを始めたきっかけは何ですか?
アリニョン
(以下A)
(以下A)
私は音楽家の家庭で育ちました。父はアマチュアのバイオリニストだったんですが、それよりも影響を受けたのは祖父からでした。祖父の趣味がクラリネットだったんです。幼いころから、祖父がクラリネットの話をしたり演奏したりするのを聞いていましたからソルフェージュを習っていた先で「何の楽器をやりたい?」と聞かれたとき、ごく自然に「クラリネット」と答えました。
―
何歳のときですか?
A
10歳です。
―
その前にソルフェージュを習っていたわけですね。
A
そうです。8歳から9歳のころからだったと思います。
―
そしてクラリネットでコンセルヴァトワールに入学されたんですね。
A
はじめは、私の住んでいた街のコンセルヴァトワールに通って、15歳でパリ国立高等音楽院に人学しました。卒業したのは2年後です。
―
どんな先生に習いましたか?
A
高等音楽院に入る前に3人の先生に習いましたが、皆大変良い先生でした。父の転勤でブルターニュに移ったときについた3人目の先生が、高等音楽院に入るためのレッスンをしてくれました。高等音楽院で、ドレクリューズ先生に習ったのです。
―
大変厳しい先生とうかがいましたが。
A
そうですね。でも良いことだと思いますよ。彼は常に高度なテクニックを要求しましたから、当時の私のように若い学生には必要なことだったと思います。
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・聴講は大切な勉強
・ヴィブラートも豊かな表現を得る手段
・作曲者はクラリネットらしい音色を求めている
・曲にあったリード選び
・芸術の多様性を失わず
・ブーレーズから多くを得た20代

Michel Arrignon ミシェル・アリニョン
18歳でクラリネットおよび室内楽の1等賞を得てフランス国立パリ高等音楽院を卒業。1972年、ジュネーブ国際コンクールに入賞。P.ブーレーズの「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」の創立時より同アンサンブルのクラリネット・ソロとなる。ここで20世紀のレパートリーのほとんどを録音する。そのかたわらオルレアン国立音楽院の教授を務め、84年、パリ・オペラ座管弦楽団のスーパー・ソロイストに就任。89年、ギィ・ドゥブリュの後任としてフランス国立パリ高等音楽院の教授に就任。多くの国際コンクールの審査員に招かれ、また多くの作曲家が彼のために作曲している。
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